どうか、心が壊れる前に

『やりがい』なんて一銭にもならない概念は人を殺します。

いきなりなんなの、って話なのですが、本気で思っていることなのでド頭に持ってきました。保育士を10年やってましてん、10年目に鬱になっちゃったけど。その間に、自分も含めて、鬱までいかずとも心を痛めた人、保育士という仕事を憎み続けている人……

収入の割に仕事がきつい、職場での人間関係がうまくいかない、仕事がうまくこなせない……。でも、子供は可愛い、入ったばかりだから辞めるわけにはいかない、お金も稼がなきゃだし楽しい時は楽しいからいいのだ、やりがいがある……その考えははっきり言って危険です。

まして、『この仕事はやりがいがあるんだから厳しい状況でも頑張れ』なんて言い出す上司は頭がおかしいです。やりがいなど喰っても飢えは凌げません。

仕事はあくまで手段である、と自分は考えます。地点Aから地点Bに移動するとして、別に何を使ってもいいと思うんすよ。車には車の苦労があり、徒歩なら徒歩の苦労がある。そんなことを強制されたり、ましてや上から目線で人に説教垂れるなんざ僕にはおこがましくてできやしません。

そして、人ひとりいなくたって世界は回ります。逃げるのは悪いことでもなんでもないんです。理不尽さを感じたとして、それが本当に理不尽なのかそうでないのか決めるのは自分自身です。

拾い物ですが(問題があれば削除しますね)、痛みの尺度なんで人によって違いますし、お前の痛みなんて大したことない、みんな体験してるしもっとつらい思いをしている人もいるんだ!とかいう馬鹿がいたら、その馬鹿がトイレに向かうときに、お前の便意(尿意)なんて大したことない、みんな体験してるしもっとつらい便意(尿意)を抱えている人もいるんだ!って言ってやればいいのです。

「サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きる方を選んだからといって、だれがシロクマを責めますか。」

『西の魔女が死んだ』より。自分の生きる場所、やりたい仕事は自分で決めていいと思います。心がぶっ壊れてからでは遅いです。それは自分がそうなったから改めて思います。

もっとみんな気軽に生きようぜ。

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