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江戸時代は旅行ブーム?江戸時代の旅人が訪れたお伊勢参りスポット5選

長い戦乱の世が明けた江戸時代。世の中が落ち着き、街道が整備されることにより、庶民が旅をすることができるようになりました。

彼らは一体どこへ向かったのでしょうか?なんと、江戸時代の旅行先といったら、伊勢神宮だったのです!

最盛期にはその当時の日本人の6人に1人が伊勢にやってきたという事実。今のような便利な乗り物はなく、基本的には徒歩での長旅でした。

江戸時代の旅行ブームを巻き起こしたお伊勢参り。江戸時代の旅人は、伊勢で一体何をしていたのでしょうか?


江戸時代のお伊勢参りとは?

江戸時代の人口のうち、およそ85%に当たる人たちは農民であったと言われています。主に農閑期(収穫後~種まきまでの間)を使って、全国津々浦々から多くの旅人が伊勢に押し寄せたのです。

お伊勢参りの全盛期は人口の6人に1人が伊勢に訪れたほど。まさに江戸時代は旅行ブームであり、お伊勢参りブームであったとも言えるでしょう。

当時の人たちにとって、旅とは命がけのものです。今のように旅に出ても無事に帰ってこられる保証はありません。それでも多くの人が伊勢にやって来たということは、それだけの魅力があったのです。

一生に一度しかないかもしれないお伊勢参り。であればこそ、旅に出た人たちは各地を巡り歩きました。まずは伊勢を目指して歩き、その後人によってはそのまま故郷に帰る人もいました。

中には京都や大阪を経由したり、人によっては香川の金毘羅山に行ったり、広島の宮島に行ったりと、各地を巡って帰途についたようです。また、人によってはお伊勢参りの後、熊野詣をする人もいました。

お伊勢参りの種類

現在と違って、お伊勢参りに必要な日数は数か月に及びました。その分、路銀も必要になってきます。決して裕福とは言えない農民が、どうやってお伊勢参りにやって来られたのでしょうか?

一つは、村でお金を出し合う「講」というものがあります。村の人たちがお金を出し合って、数名が代表者としてお伊勢参りに行くという方法がとられていたそうです。

この際、力になったのが伊勢の御師でした。御師は伊勢神宮の中級・下級の神職で、全国に檀家を抱えていました。御師が全国の人たちに伊勢神宮を広め、その結果のお伊勢参りブームだともいえます。

また、お伊勢参りのもう一つは「抜け参り」でした。これは家族や奉公人に黙って伊勢参りをすることです。

当然、「講」のように潤沢なお金があるわけではありません。抜け参りの人たちは、沿道の人たちからの施しを受けてお伊勢参りを成し遂げたのです。このことは、当時の人たちが「お伊勢参りをする人」を大切にしていたことがよくわかります。

抜け参りの人たちは目印として柄杓を持っていました。柄杓をもって伊勢神宮を目指し、伊勢神宮に到着したら柄杓もお役御免。伊勢神宮・外宮の北御門口付近には、大量の柄杓が積みあがったそうです。

お伊勢参りの立役者・御師とは?

先ほど触れた御師についてご紹介しましょう。最近NHKの「歴史探偵」で江戸時代の旅行ブームが特集され、その中で御師が紹介されていたのでご存じの方もいらっしゃると思います。

先ほど述べた通り、御師は伊勢神宮の中級・下級の神職でした。その当時、伊勢神宮では個人的に御神楽をあげることが許されていませんでした。そのため、個人的な御神楽は御師の邸宅で行われていました。

御師は全国の檀家を伊勢で受け入れる役割を担っていました。場合によっては伊勢から直線距離で20キロほど離れた、松阪のあたりまで弁当持参でお迎えに上がったそうです。そして、伊勢を案内したり、自分の家に泊めたり、食事でもてなしたりと、至れり尽くせりだったそうです。

とある有識者から聞いた話ですが、御師は檀家さんを自分のお客様ではなく、「神様のお客様」として丁重にお迎えされていたそうですよ。

なお、御師について興味がある人は、伊勢神宮にいらっしゃる前にぜひ三重県総合博物館(Miemu)に立ち寄ってみてください。御師の家のジオラマや御師の家でのもてなしなど、深く知ることができます!

江戸時代の旅人が訪れたお伊勢参りスポット5選

ここからは、江戸時代の旅人が訪れたお伊勢参りのスポットを5つご紹介します!

残念ながら現在伊勢で江戸時代を偲ぶことができる場所はあまり多くありません。ですが、その面影を感じることはできます。

想像力を働かせて、当時の旅人の姿を、彼らの足跡を思い描いてみてくださいね。

1. 伊勢への入り口・宮川

旅人は出発地点によってさまざまな街道を通って伊勢街道を目指します。伊勢街道を南下していくと、現在の津市や松阪市を経て、いよいよ伊勢に到着することになります。

そもそも当時は伊勢「市」ではなく伊勢国。伊勢国自体は現在の三重県の北部から現在の伊勢市までと、非常に広い地域でした。江戸時代は現在の伊勢市の外宮周辺を山田、内宮周辺を宇治と呼んでいました。

さて、伊勢神宮のある山田・宇治に入るために越えなければならない難所が、宮川です。非常に大きな河川で、昔は氾濫が絶えなかったそうです。

そのため、橋をかけることができませんでした。川を渡るには船で渡ったそうです。なんとこの船、お伊勢参りの人は無料で乗れたとか!

そんな往時の様子は現在の宮川には見られません。大きな立派な橋が架かり、ずいぶん便利になりました。そのころを偲ぶ案内が、当時の宮川の渡しの場所に立っています。

宮川の桜は「一目千本」と呼ばれるほど見事。当時この渡しは「桜の渡し」と呼ばれていた。

現在はJR参宮線の鉄路が悠々と宮川の上を走っています。

JR参宮線の鉄路。今は桜の渡しの面影はない。

2. 禊で心身を綺麗に・二見

先ほど出てきた御師の話をしましょう。御師は檀家さんを迎えるために松阪のあたりまで行ったり、その手前の町まで行ったりしていました。先ほどご紹介した宮川の渡しも、御師が出迎えをしたスポットの一つです。

ようやく伊勢に入って来た旅人たちは何をしたかというと、まずは禊をしに行きました。禊をしたのは二見浦という海辺です。現在は夫婦岩で知られている二見興玉神社がある場所です。

二見興玉神社の夫婦岩。神社の境内にはあちらこちらにカエルの置物が見られる。

宮川から二見までは10キロ程度離れています。ようやく伊勢に到着した思ったら、さらに10キロ歩かなければならないとは…。ですが、伊勢神宮に参拝する前に、ちゃんと心身を浄めておこうと思う人が多かったのでしょう。

禊の町、二見。

3. 唯一残った御師の館・丸岡邸

二見浦で禊をしたら、次に向かったのは御師の館です。御師の家に滞在することができたのは、御師の檀家の参拝者のみ。

彼らは、御師の家で普段は食べられないご馳走を食べたり、羽二重の布団で眠ったり、御師に伊勢を案内してもらったりと歓待を受けました。一方檀家ではない旅人は、旅籠に泊まったり路上で休んだりしていたのでしょう。

昔は外宮・内宮周辺に御師の館がたくさんありました。なんと内宮では、一時期は現在の神苑からお守り授与所のあたりまで御師の館が立ち並んでいたそうです!

しかし、明治になって御師の制度が廃止されてしまいました。その後、徐々に御師の館はなくなっていき、現在現存している伊勢の御師の家は丸岡邸のみ。

先ほどご紹介したNHK歴史探偵で登場していたのも、丸岡邸です。丸岡邸は御師の家の中では割と小さいお宅だったそうで、家の中に神楽殿はありませんでした。そのため、御神楽をあげる際には、他の御師宅の神楽殿を借りていたそうです。

御師の家・丸岡邸

通常丸岡邸は開放されていないため、中を見ることができません。年に何回か開放されているときがあるため、その時期を狙って伊勢に来るか、御師の末裔の丸岡さんに問い合わせをしてみることをおすすめします。

4. かつては料亭・麻吉旅館

『東海道中膝栗毛』という江戸時代の本を知っていますか?本の名前を聞いたことはなくても、「やじさん・きたさん」の名前を聞いたことがある人はいらっしゃるのではないでしょうか。

『東海道中膝栗毛』には、伊勢参りについても記されています。やじさんときたさんがようやく伊勢について、そこでひと騒動あるわけですが…。その騒動の舞台になったのが、古市という町です。

古市について詳細は後述するとして、『東海道中膝栗毛』に名前が出てきたお店が、実は今もなお現存しています。しかも現在営業中です。

お店の名前は「麻吉」。現在は旅館として営業していますが、やじさん・きたさんの時代は料亭だったそうです。現在も宿泊することはできますし、問い合わせてたら、夕食のみ食べることも可能です。

利用客以外は中に立ち入ることができません。宿泊や食事で中に入ると、江戸時代の頃から大切に保管されてきた調度品やお皿の数々が収蔵された蔵と館内を見学することができます。

自然の段差によって階層が分かれている、個性的な造り。

旅館の中に足を踏み入れると、時代をさかのぼったような気分になります。ここは国指定の登録有形文化財でもあります。貴重な文化財を未来に残すため、関係者の方々は日々大切にされているそうです。

屋根上部の飾りの中に、「あさ吉」の文字が隠れている。見つかりましたか?

5. お伊勢参り後の精進落とし・古市街道

先ほどご紹介した「麻吉」があるのが、古市という場所です。古市は外宮のある山田地区から内宮のある宇治地区へと繋がる山間の場所にあります。

現在は車がすれ違うのがギリギリの場所もある、かなり狭い道が通っている街道です。昔はこの街道一杯を旅人が賑やかしていたのでしょう。

伊勢神宮参拝を終えた旅人たちは、古市街道で精進落としをしたそうです。当時古市には遊郭が立ち並んでいました。また、歌舞伎も盛んで、歌舞伎用の衣装をレンタルする商売でひと財産儲けた人もいたのだとか。

伊勢には全国からたくさんの人がやってくるため、まずは伊勢で歌舞伎を上演してみて、評判が良ければそれ以外の地域でも評判が良いだろうという、ものさしの役割を果たしていたようです。

今はその当時の様子を伺うことはできません。古市街道の沿道に、いくつか史跡の跡を偲ぶことができるのみです。

古市の資料などを展示しているのが、古市参宮街道資料館。入館料は無料なので、古市に訪れた際には立ち寄ってみてはいかがでしょうか?

昔の資料がたくさん展示されている資料館。月曜日休館。

お伊勢参りとともに栄えた文化

人のあるところに文化あり。お伊勢参りによって、たくさんの人が伊勢に集まることで、さまざまな文化が花開きました。

お土産という考えができたのも、恐らくこのころだったのでしょう。旅人たちは故郷へ持ち帰るお土産を吟味したに違いありません。

その当時人気だったお土産は、伊勢特産の朝熊柘植(あさまつげ)で作られた伊勢根付や和紙を革に似せた加工をし、その紙で作った煙草入れでした。ちなみに、革のように加工した紙のことを、擬革紙(ぎかくし)と言います。

現在、当時流行した工芸技術はお土産が他のものにとってかわられたことにより、少しずつ衰退をしています。擬革紙に至っては、製造する人が一人もいなくなり、一時期は完全に技術が失われてしまいました。

しかし、その後の努力によって擬革紙の技術は復活。また、伊勢根付やその他の伊勢の伝統工芸も、未来に技術を継承するべく職人さんたちが頑張っていらっしゃいます。

荷物にならないお土産・伊勢音頭

伊勢から故郷へ帰る長旅に大荷物は持ちたくないものです。そこで、荷物にならないお土産として、伊勢音頭が喜ばれました。

伊勢音頭は、古市の遊郭で踊られていたものです。参拝に訪れた人たちが遊郭に遊びに来て、伊勢音頭を覚えて故郷に持ち帰ったのでしょう。そのため全国各地に「ご当地版伊勢音頭」が伝わっています。

しかし、伊勢音頭と名前がついていても、地方によって歌詞や曲調が違います。家路へ帰りながら伊勢音頭を口ずさんでいるうちに、何かちょっと変わっていってしまったのでしょうかね?

各地の伊勢音頭を聞いてみると、なかなかに面白いです。

情報の要衝・松阪

人がたくさん集まる場所には情報も集まります。伊勢の手前にある松阪では、たくさんの豪商の家がありました。今も数軒その家が残っています。

彼らが主に商売をしたのは、もちろん江戸です。特に江戸の日本橋界隈には松阪商人たちが店を多く構えていました。現在の国分グループや三井グループも、もともとは松阪発祥です。

なぜ松阪商人が活躍できたのでしょうか?それは、全国各地からお伊勢参りに訪れる人たちから諸国の情報を集め、その情報をもとに戦略を立て、江戸に伝えるという仕組みがあったからです。

今も昔も、情報を制する者が世界を制するということなのでしょう。

また、松阪の知識人として本居宣長が有名です。本居宣長は松阪で居を構え、全国の門下生と手紙でやり取りをしていました。手紙を運ぶ仕事と聞くと、飛脚を思い浮かべるかもしれません。

飛脚ももちろんありましたが、松阪ならではの手紙を運んだ人物がいます。それが、お伊勢参りの旅人だったのです。旅人に手紙を託して、遠く離れた門下生たちとやり取りをしたのですね。

南北に伸びる・餅街道

長旅を歩く旅人たちを元気づける文化として発展したのが、餅文化です。三重県には各地にさまざまな種類の餅があります。昔の旅人が歩いた伊勢街道沿いには、それぞれ味わいの違う餅が現代に伝わっています。

伊勢の餅と聞いて有名なのは赤福ですよね。それ以外にも伊勢には数々の特徴のある餅があります。二軒茶屋餅やへんば餅、くうや餅や太閤出世餅などなど。餅を楽しみに伊勢を周ってみるのもおすすめです。

「ちから蕎麦」や「ちからうどん」というと、蕎麦やうどんに餅が入っているものを指します。やはり昔から、餅を食べると力が出ると実感していたということなのでしょう。

餅を食べて元気をつけて、長旅を歩ききったのかもしれませんね。

江戸時代の足跡を辿る旅はいかがですか?

江戸時代、天下泰平の時代に多くの人が訪れた伊勢。その面影を残す史跡は残念ながらほとんどありませんが、ゆかりの場所を巡ってみると、何かの発見があるかもしれません。

当時の旅人、もしかしたらあなたの遠い祖先が歩いたかもしれない伊勢の地を、今度は自分の足で巡ってみてはいかがでしょうか?

最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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