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東京都立大学エリカ混声合唱団 第49回定期演奏会 第2ステージ 「アイロニック・ブルー」の衝撃


 2021年12月25日
 2nd Stage 『Ironic Blue』

 そう、衝撃を受けた。

 それは題にある通り東京都立大学エリカ混声合唱団の定期演奏会に足を運んで感じた率直な感想だ。

 まずは自分語り。僕は評論家ではないので人間性を理解して頂いてからの方が良いと思う。

 前日譚。

 もう10年以上の付き合いのある友の高橋大河という人間が指揮を振るうと言うので基本『音楽』が好きな僕は忙しい中でも親友の鈴木という人間と共に都立大の所在地でもある南大沢文化会館メインホールへと赴いた。日中は晴天で比較的ポカポカ温かい日だった。帰りは死ぬほど寒かった。

《往く道中 鈴木との会話》
「何故クリスマスだと言うのに男同士で男友達の演奏会などに行かなければならないのだ!(悲)」

↑はネタとして鈴木とは映画好きの嘉(よしみ)なので今年公開された映画などの話をしつつ会場へと向かった。1時間30分の道程だった。開場15分前に着いたので公園を散歩した。花束を持っていきたかったが今年は受け取れないとの事と、僕が若干寝坊したので買えなかった。お金も無かった。

 今回の会場は結構良い感じのホールだなと思った。音が吸われそうだけど。あとお手洗いが非常に綺麗で感動したしエントランスのカフェのコーヒーの香りが良く時間があれば頂きたかった。あとQRコードのチケット良いです。今回は特に完全招待制だったので。楽でした。

 はて、
 エリカ混声合唱団の演奏を聴くのは2年前の定期演奏会と学祭の時以来だった。999に感動した事だけは覚えている。耳にも音が残っている。それ以外はまあまあな印象だった。失礼ながら。しかし、この日はその印象は覆った。

 僕は音楽が好きだ。 たまらなく。 しかし 大抵聞き役だ。 演奏側に回るのは和太鼓の祭囃しを叩く時と盆踊りの時くらいだ。だが身を、耳を、心を任せられる曲を聞いていると精神が集中するのか気持ちが良くなり気持ちよくなる。今はストリートピアノユーチューバーのよみぃさんの『うまぴょい伝説』をエンドレスしている。


・合唱祭は基本つまらない

 そう、つまらない。いや、合唱祭に限らずその他のコンサートにはあまり足が向かない。理由は知らない曲ばかりだから。
 僕は気に入った曲があればそれを飽きるまで聴き尽くす人間。しかし、気に入る以前に知らない曲を演奏されてもあまり嬉しくない。そう、嬉しくない。実は今回の演目の曲は半分ほど知っていた。だから楽しめたのかも知れない。知らなかった鈴木とはやはり温度差があったのを今思い出した。世の中、上手く仕組みが出来ている。

 だから、よくある地元の合唱団の演奏会とかには基本行かない。『〇〇のための讃歌』とか『組曲「〇〇」より △△の詩』とか言われても知らないから興味が湧かない。それなら家でサントラを聴くのだ。

 たまに行くのは自衛隊音楽隊のコンサートやパレード演奏だ。自衛隊は広報と自衛官募集という目的のためキャッチーな曲を結構やってくれる。あれは嬉しい。星野源の『恋』とか、京アニの「響け!ユーフォニアム」の『三日月の舞』とか、『うまぴょい伝説』とか。さすが国家公務員音楽集団。クオリティ高いし、めっちゃ好き。

※↑こう書いてますがちゃんと色々聴いてるので大丈夫です(何が)。

自分語り終わり。



都立大生という“楽器”を最高値にまで高めた男

 特段、合唱や声楽に関わったことは無いが個人的に思う事がある。
『合唱は人間が楽器』。間違っていないと思っている。歌い手は自分たちが楽器だから胸いっぱい空気を吸い込み、声帯を操り震わせ、歌声をメロディーに乗せなければならない。何でもそうだが技を磨くのは難しいと思うし大変だと思う。そして伴奏者も大変だと思う。僕はピアノ弾けないので分からないけど凄いと思っている。

 そして指揮者。まだ小さい子どもだった頃、指揮者って何の為にいるのか分からなかった。ただ皆の前で指揮棒か手をゆらゆら振っている正体不明の人だった。僕はまず“指揮”という言葉の意味から理解した。多数の人間を統率し成す役割の事を言うのだと気づいた。あれ、凄いじゃん? 偉いのかは知らないけど。

 今回、凄かった。何が凄かったか?

・クオリティ
・音圧
・迫力
・感情
・ビジョン
・見応え

 「これは大学合唱団の演奏なのか? いや、これは間違いなく大学合唱団の音だ」と思った。何が言いたいか。

 大学合唱団というのはプロには及ばないながらもハイアマチュアとは同等という性質だと思う。ハイアマとの違いは大学生で構成されているか否かだろう。声を磨き続けているプロ合唱団には大学合唱団とハイアマは少し及ばないというか、やはり性質が違う。

 ただ、今回の演奏会の痺れ方がプロの演奏と同等かそれ以上だった。
 こんなことが在るのかと衝撃だった。

 僕が考える限り上の6つの項目が合わさった結果だと思う。

・クオリティ
 プロやハイアマであれば声色はもっと太く精悍さを出せると思う。鍛え方や置かれる環境が違うからだ。だが、2nd Stageのエリカはその壁をかなり力ずくで押し倒した。ダイナミックな音の弾きと繊細なハミング、歌い手も伴奏も指揮の要求に応え要求以上の劇音を響かせた。
 子どもでも大人でもない君たち大学生の声は儚い。儚いが故に美しい。

・音圧
 ただ必死に絞り出された大声量は全く死なず僕の耳に届いてきた。痛いほどに耳に刺さり心にまでその矢先は届いた。

・迫力
 演奏は下を見る派なのだが音圧に圧倒され前を見ると女声の一人と目が合っていた。おかしい。普通は指揮者の方を向いているからこちらの観客とは目が合う筈がない。そう、こちらを向いていた。音を、口を、指揮者ではなく客席に向けるためだった。まさにダイナミックな理論と方法で激音は耳に突き刺さっていたのだ。

・感情
 このステージは終始、耳も心も痛かった。ここまで感情が伝わってきた演奏なんて聴いたことがなかった。一番伝わってきた感情は『悔しさ』だった。あとは『興奮』だろうか。
 このステージの表題『アイロニック・ブルー』というのは「皮肉までの青さ」という意味らしい。この意味は鑑賞後に知った。非常に驚いた。表題の意味通りの演奏があの場で実現されていたのだ。
 子どもでもなく大人でもない彼らの唯一の手段。対抗手段。決して世の中を変えられない歌という表現を彼らは行使したのだ。

・ビジョン
 彼らなりの、この未曾有の世界で出来ることを考え、実行した結果がこのステージだった。彼らは歌を聴いてもらうことで観客に何を届けたかったのか。それは伝わった。歌を聴けば分かったのだ。

 第2ステージの始まる直前、石田光団長がスピーチをした。それはただのスピーチでは無かった。アイロニック・ブルー。感情の吐露はこの瞬間から吹き出していたのだ。この時、僕は覚悟した。「とんでもない事が起きる」と感じ姿勢を本気モードに組み直した。

 今回、今まで人生で聴いてきたステージで一番違ったのはこの思いの統一感、感情の一致、ビジョンの共有だったと思う。渡された楽譜通りではない。曲に歌わされるのではなく、曲を道具として想いを伝える。多分、皆の中に少しずつあった感情が歌で合わさり大きな感情の塊になったのではないかと思う。まるで原子爆弾のようだった。

・見応え
 そう。見応えもあったのだ。入場から退場まで。曲間の割れたグラスのように尖った、張り詰めた場内。誰一人、ステージ以外を見る者はいなかった。このステージは、歌い手の向く方向が違った。団員全員の表情が生きて死んで、怒り泣き悔しがっていた。

 火山から溢れ出るマグマのような団員の熱唱
 東京芸大の天才奏者 菊間倫也さんのうねる荒海のような弾鍵。
 燃え上がる青い火炎のような指揮者 高橋大河。

 全てを瞳孔内に収めなけれればと思った。鼓膜にだけではなく、網膜にもアイロニック・ブルーは焼き付いた。


非常に美しかった。儚く消え去る姿が。

 このステージの再演は望むまい。だって不可能だもん。奇跡だったもん。君たちの声帯は変わってしまうし、一度燃え尽きた薪には火は付かないと分かっている。ただ、別に死んだわけじゃない。新しい芽がまたぴょこんと小さな葉を出す。パンフレットに描かれた新芽と大木のように。
 どんな場所でも良い。君たちが自分の立ちたい場所で芽を出し、根を張って、幹を太くして、たくさんの葉を落とし、新たな土壌を作り、生態系と多くの実を落とす未来を想像する。


 最後に。

 今回、素晴らしい演奏を聴かせてくれたエリカ混声合唱団と伴奏者 菊間倫也さんに感謝と心から拍手を贈ります。本当に良かったです。楽しかったです。ありがとう。

 今回も演奏会に誘ってくれた(いや、誘われてないか・・・・・・・・・。)副学生指揮の大河、ありがとう。

 また出来たら新しい伝説を作って下さい。多分聞きに行きます。

2021年12月29日  久保 大翔

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