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【Vtuber】「思考」と「感情」

熱が冷めている。
とは言わない、今でも新しく応援するVtuberを自分で見出すことはある。

ただ、考えるということに重点を置き始めた結果として、感情的になることは、減ったのだと思う。
最近だと「権利」や「note」というキーワードから察する人もいるだろうが、特定の企業やVtuberに対して、発言する人が多い中で、
「感情をもって言うべきことは言う」
ということに関して自分なりに考えたことがあった。
ファンの「思考と感情」について。

あるVtuberの事件が起きて、それなりに長期間にわたって、権利関係や運営会社、Vtuberとの間で争いと言ってもいい事件があった。
その時は、自分も感情的になってしまっていて、推しのVtuberではないにも関わらず熱くなって発言をしていたことだろうと思う。
その後しばらくして、間接的に関係した人の話をある配信で、視聴した。
その人は、クリエイター側を支持する立場にもいたことで、最初はVtuber側を支持していたそうだが、状況を改めて整理し、運営側のことも考えたところで浅慮だったという風な発言をしていた。
その時には自分も多少落ち着いてはいたのだが、自分と同じだという感覚を強く感じた。

それ以降、「考える」ということを重視するようになっていった。
少ないが、いくつかのVtuber運営さんと話をしたり、Vtuberを見るときにどういった運営をしているのか観察し、問題が起きた時には、本当に運営が悪かったのか、Vtuber側にも責任があるのではないか、あるいは両者か、決着としてはどういう形が好ましいのか…という風に考えるようになった。
1年以上はそうだと思う。

もちろんそれまでも、考えてはいたがどうしてもVtuberというコンテンツは裏側が見えにくいし、性質上見せられないことが多い。
運営側がツイッターなどで、ファンと関わるのもいくつかの限られた運営だった。他に情報が得られない場合、「Vtuberが言っていることを支持する」という方向に向かいやすくなる傾向があった。

だからこそ「感情」よりも、考えるという「理性」を重視する方向にシフトした結果、発言せずによく考え待った結果、実際にはVtuber側の暴走や規約違反であったりすることもあったこともあるし、Vtuberの問題どころか、労働規約的なもの自体が問題であったり、人的ミスや組織の働きが原因の場合もあった。

正義ではないが、感情に振り回されるよりも正しいことだという風に判断した。今でも大筋では、間違ってはいないと思っている。
感情を捨てたわけではないが、感情的になることは避けてきた。
だが、Vtuberファンの中には軽率に罵詈雑言を並べる者もいれば、憶測や決めつけで行動する者も、多く感じることが多い。
これも、今までと変わっていないと思う。
感情を優先しすぎると、理性を優先した場合と比べて、思考能力が落ちるように感じることもあるし、実際そういう人もいるのではないか。

ただ、ある程度、良識の範囲内で「怒り」や「悲しみ」といった感情を運営に伝えるということは間違ったことではないと思う。
倫理観や常識の面で、リテラシーが希薄である場合、所謂世間一般で言われるような「悪」であるということに気付いていなかったり、重大なことだという認識が無い場合もある。

冷静に思考を重ねるのはいいことだ。
ただ、感情で反応しなければ変わらないものもある。
思考を手段として、それを感情によって動かす。
自分自身で感じていることだが、思考に感情がまるでのっていないと、ドライで、冷たいのではないかと思う。ある事柄に無関係であっても、関係する人間やファンがどう思うのか、よく考えることは、それを抑えることに繋がると感じた。

真実・事実はどうあれ人間としては、どちらかに偏らず、思考と感情のバランスをとって発言をしていきたい。



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