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【Vtuber】「評価」と「私情」

2019年は、界隈にとってどういう年だったのか、一言で表すのは難しいが、私にとっては「ファンの年」だった。それ自体はいい言葉のようにも感じるが、実際にはそうではなく感じた。
一つの、悪い事案が発生するたびに、飛び交う暴言、誹謗中傷、擁護と決めつけそういったことが毎回起きるたびに「多面的に考える」ということ自体について「考える」ということが多かった。

さて、それを踏まえて書くが、最近少々話題になったことがある。
「あるVtuber同士のコラボ」だ。名前は伏せておくが界隈において、片方にリスクが大きいコラボであったことは、ある程度Vtuber業界のことを知っていればそれは誰が見ても理解できた。
個人的には、それ自体は「やりたければやればいい」という印象でしかなかったしそれ自体は悪いことではない。当然のことだが、件のVtuberのコラボは、コンテンツの一つでしかない。
Vtuberもクリエイターとして、出したコンテンツの評価を通じて、そのVtuberが評価されていくのは当然の事だ。これは、クリエイターという存在である限りは、できる限り不可逆であるべきだ。

故に「そのクリエイターが嫌いだから」という理由もまた、コンテンツへの評価になるべきではない。
「この人間が嫌いだから、出すコンテンツに相応の評価をする」
というのは、「私情」であり、正当にコンテンツそのものを評価することへの障害でしかない。だが、そのVtuber・クリエイター行っている普段の活動も含め本当に人間としても、コンテンツとしても評価できない・嫌い=「私情」が勝つというのであれば「見ない・興味を持たない」という選択を取ることができるということを忘れてはいけない。

評価をしないということは、自身が考えるということを放棄するということではない。むしろ考えた結果として、それが自身のとる最善の選択肢だという結論を出したことが大事なのだ。
ファンやリスナーは、コンテンツとクリエイターを一緒くたにして見るのではなく、ある程度の理解、視野の広さと角度をもって、見るべきか評価すべきかを考えるべきだと感じる。

そして、それが精神衛生上も良いと同時に、Vtuberが業界においてコンテンツを出すことに対して委縮するということを防ぐことにもなる。
もちろん、リスクヘッジを行うことと、自身のVtuberとしての方針を鑑みて行動を起こすことが前提だと思う。批判があったとしても、その後の対応について、信念をもって、自らが築いてきたあらゆるものに対して、恥じることのない行動をすべきである。そうでなければファンからの信頼が失われ、理解も得難いものになる。

コンテンツが結果として、円満な状態で成功するにはそういった立ち回りをすることや、考えるということをしなくてはいけないと感じた。
ファンもVtuberも。


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