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【Vtuber】「憧れ」と「距離感」

芸能人の乗っている車に高級車や車好きが憧れるような車が多く感じるのはなぜだろうか?
好きな車に乗っているだけという場合もあるし高級車に乗ることがステータスだという場合もある。どちらにしても一般人には手の届かないであろう、その「憧れ」が距離感の分かりやすい一つの形だとふと感じた。

Vtuberの場合はどうか?

Vtuberの場合、物質的な憧れはあまりない。
物質的にファンが憧れているわけではないからだ。
それでも憧れがやまないのはなぜか。
手が届かないというのが大きい。
次元の壁はないように見えて見えない厚みがある。

憧れているVtuberそのものに会うためにはどうすればいいか。
VR機器を通して会いに行くという手段もある。
そうすることで距離感を一気に縮めることができる。
だが、仮想体験にとどまる。
逆にとどめることもできる。

会いに「行く」という面ではどうか。
キズナアイの誕生日イベント
委員長(月ノ美兎)の洗濯イベント
ニコニコ超会議のバーチャルYoutuBAR
などがあげられるだろう。

「憧れ」という概念に近づくという方法としてはこちらの方が的確な気がする。
物質的な距離は実際に縮まっているのかもしれないが、次元の距離は縮まっていないはずなのに。

それはつまりVtuberへの「憧れ」を「憧れることができる距離」にとどめているからだろう。

芸能人の車が、大衆車や軽自動車だったらどうだろうか?
距離感は確かに縮まる、身近に感じることはできるかも知れない。
だがそれに「憧れる」だろうか?

Vtuberへの憧れとは、蜃気楼のようなものだ。
近づきすぎるとそれでは「幻」が見えなくなってしまう。
そういう距離を一定に保てるかどうかだ。

特に「スター性」がそのVtuberにとって占める割合が大きければ大きいほどにそれは重要になってくるし、大きければ大きいほどその「距離」を縮めるということ、つまり「リアライズ」することはリスクが非常に大きくなる。

身近な距離感と存在になってしまうことが「スター性」と「憧れ」を欠損させてしまう要因になりかねないからだ。

もちろん、それが売りではない場合はその限りではない。
本人にとってその方が有益になる場合も十分にあり得るだろう。
より現実的に考えることと、存在感に対してリアリティが重要になってくる場合は逆になる。
イベントであればその時に考えなければいけないのは参加者が十分に楽しめるクオリティだと感じる。

一体どの「車」を選び、乗るのか。
それはファンとの「距離」に応じて選ぶのがいいだろう。
道は無数にあるのだから。



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