見出し画像

Terminal~私にとっての東京~

新卒1年で退職した。
早くも会社という場所から離脱し、満員電車に乗る機会もめっきり減った。
目覚ましアラームの要らない生活を過ごすのは、何気に十数年ぶりだ。

会社を辞めてから、「東京」を感じる機会が減った。

都内で日雇いの飲食系アルバイトをしていても、勤務時間は大体17:00-23:00。行き帰りの電車も全く混んでいない。

生活リズムの変化に加えて、今年は観光地でのアルバイトや海外ボランティアなど、東京を離れる時間が長かったことも、もちろん起因しているだろう。

わたしの旅行記。
新卒1年で退職して、半年で10を超える国や地域を訪れた、24歳。
少し変わった角度からではあるが、
そんな今の私だからこそ綴れる想いを、残していこうと思う。

舞台は東京。
会社員時代の私にとって東京という場所は、日常そのもだった。
できる限り騒音と人混みで溢れる東京から離れたいとすら思っていたし、終業後はすぐに神奈川の自宅までの帰路についた。
三連休やお盆休みなど、多めの休みができると緑や広い空、波の音や砂浜の感触などを求め、友人を誘って自然に触れられる観光地に逃避しに行った。

私にとって東京とは、
第一に生活の基盤を手に入れるための場所。
まあ、会社や日雇いアルバイトなどで通う場所という、そのままの意味だ。
これは私に限った話ではなく、首都圏に在住の多くの方にあてはまるだろう。

第二に戦う場所。
東京は優れた技能を持つ人、自分とは異なる教育方式を受けてきた人、
様々な価値観やバックグラウンドを持つ人たちが行き交う場所。
そんな東京で、私は戦ってきた。

大学時代の話。
都内の大学に通った。ほぼ全ての授業が英語で行われる学部だった。
高校生ながらも英検準一級を取得していた私は、言い方は良くないかもしれないが一人勝ち状態で指定校推薦入学した。満足のいく進路だった。それでもいざ入学すると、同じ18歳にも関わらず、自分では想像できないような決断や経験、そこに至るまでの考え方を持つ学生で溢れていた。毎日満員電車に揺られ、地元の高校までと比べると約3倍の時間をかけて大学に通った。どこを見渡しても優秀な学生に囲まれる日々を送った。学生の本分を踏まえると、恵まれた環境ではあったが、自分の英語は拙い現実を毎度突き付けられた。
聞き取れない速さや発音の英語、教授のジョークにみんなが笑っている理由が分からないあの5分間、翻訳しても理解のできない論文、質問の意味すら分からない課題。私が1週間かけても準備が終わらなかった卒論をものの数時間でこなしていく友人。
大好きだった英語から逃げたくなる時もあった。大得意だったものが劣等感に変わる日々は耐えがたかった。
それでも、自分のやりたい学問に出会えたこと、自分の意見を裏付ける事例を持ち寄りながら英語でのプレゼンを完成させられるようになったこと、学部でもハードで有名なゼミを最後までやり遂げたこと、その教授に褒められたこと。周りの学生と比較ばかりしていた当時の私には気付けなかったが、着実に自分の好きなことを伸ばすことができた時間だった。

東京。
絶えず求められる高レベルな課題や、常に比較してしまう優秀な友人たちの存在、その両方による劣等感。
それでも自分の好きなことから逃げたくなかった。
大学4年間、自分の「好き」を諦めなかった経験は、今でも自分を支えてくれているし、その選択をし続けた自分のことは、今でも好きだ。

大学4年間、私にとって東京は、自分自身と戦う場所だった。
そこで戦い抜く自分のことを、好きになれた場所だった。

次に会社員時代の話。
「英語を使う仕事に関われる」
そう聞いて入社を決めた私にとっての初めての会社では、
英語を使って仕事をできるようになる自分が全く想像できなかった。

「こんな思いをするために英語を頑張ってきたんじゃない」
好きになれない仕事、上司による理不尽さや、自分の不甲斐なさ、
それらとぶつかる度に何度も頭によぎった。

会社という場所で私が戦ったのは、
一向に仕事ができるようにならない自分の不甲斐なさ。
言い方のキツイ上司に分からないことを聞く時の恐怖。
入社してから感じるようになった胃腸の痛み。
何より、過去の自分が見たらがっかりするような情けない自分の姿。

それらと毎日向き合う中で、
「こんな思いをするために英語を頑張ってきたんじゃない」
そんな思いが何度も頭をよぎり、退職を決意した。

東京。
大学時代に自分と戦い続けた故にそこそこのプライドを持っていた私にとっては、「会社員の私」という、最低限のステータスを守るために、
社会や情けない自分と戦った場所だった。
自分の好きなことに対して、傷つきながらも逃げずに戦った、
あの日々の自分を裏切りたくなかった。
自分なりに次の進路を考え抜き、退職の意志を上司に伝える緊張と興奮が入り混じった2月21日の長い長い1日は、今でも覚えている。

送り出して頂き、東京という場所で戦う日々はいったん終焉を迎えた。

最後に、始発となる場所。
タイトルの「Terminal」は、終点と始発、2つの意味を持つが、
今回は始発という意味で語ろう。

羽田空港やバスタ新宿など、神奈川在住の私は、地方や海外に向かう際は、
東京から出発することが多いし、帰りもほとんどが東京着だ。

始発を人生という軸で考えてみると、退職して新しい道でもあり、本来の自分の道とも言える道にコマを進めている今の私の立っている場所は、まさにTerminalと言ってもいいだろう。

今の私にとっての東京は、羽田空港やバスタ新宿など、新しい世界へ向かうためのTerminalだ。
慣れ親しんだ場所を出る緊張感、見たことのない景色への好奇心、そこで出会える自分の想像できない自分への期待。
刺激的な感情が一気に降りかかる場所。

都内で路上ライブを見かける度に、
バスタ新宿の看板が見える度に、
スーツ姿で居酒屋から出てくるサラリーマン集団とすれ違う度に、
受験票と思われる二つ折りの紙を握りながら歩く若者を見かける度に、
ああ、東京って、夢を追ったり、大切なものを守るために踏ん張っていたり、人生を変えたかったり、何かを成し遂げたい人が、行き交う場所なんだ、と実感するし、私もその1人だと、自信を持って思える。

東京。
何でもあるが故に何もない、ただ日常の中で使う立地だと思っていた。

でも決してそんなことはなくて、
私にとっては生活の基盤を得る場所であり、
自分自身や社会と戦った場所であり、
自分を変えるために立ち寄る始発点。

他の観光地とは違って、「楽しい」だけの場所じゃない。

ネガティブな思いもたくさん得た場所だけど、
全部、自分を諦めないための、東京でしか得られない、大切な感情だった。
好きになれた自分も、好きになれなかった自分も、今の私を造ってくれていることに変わりはない。

東京は、私にとってそんな感情を与えてくれる唯一無二の場所だ。

あなたにとって東京とは、どんな場所ですか?

#わたしの旅行記
#東京

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?