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Derek Jarman’s Prospect Cottage

https://www.dezeen.com/2020/04/03/derek-jarman-prospect-cottage-saved-art-fund/

英国南東部ケント州の海岸沿いにある、英国人アーティストであり映画監督の最期の家 Prospect Cottage。

このコテージは、英国内で最も美しい地域とされる Beautiful south、緑の豊かな南東部にあって不気味な一種の砂漠のような地帯Dungenessに、ぽつんと建っている。海岸を背にして立つと、左手にはイギリスの home county - 首都ロンドンを囲む郊外郡で唯一の、原子力発電所が今も稼働しているのが見える。

人影はない。木の育たない平らな砂地と乾いた風と、簡素な電線が所々に伸びているだけの、現実から切り取られたような場所。海岸には、魚を取る網が引っ掛けられた壊れかけのFisherman's hut がある。古い船が乗り上がっている。時間の流れが止まったような、その奇妙な不自然さがきりきりと感情に訴えてくる、そんな場所。

1980年代終わりの頃、自分の運命が、発症したHIVと共にある事がわかった時に彼が出した答えは、
「(免疫が壊れていく事によって死を迎える運命であるのならば) この世界の不条理である原子力発電施設 (忌々しく恐れるものであり、ヒトの免疫を破壊する放射性物質を送り出す) の下で最期を迎える」
というものであった。
アイロニー、彼の世界を見る志向、Devastation。感情的だと批判されることも多かったけれど、それを貫き通す強さ。Jarman らしい選択だと思った。

彼が作った住処、garden は、ひとつひとつが謙虚で手の込んだ彼の作品だった*。(*写真集 derek jarman’s garden が出版されており、そのディテールを確認することができる)
Prospect Cottage には門やフェンスの様な外との隔たりが全くない。まるで丸めた絨毯を伸ばしたかのようにその庭と外の世界は繋がっている。灌木の影に Jarman がしゃがみ込んで手入れをしている姿がいまにも出てきそうな、そんな空間。そして時折訪れる友人達を温かく迎え入れる特別な場所でもあった。女優の Tilda Swinton は、Prospect Cottage が心の拠り所だったと、あるインタビューに答えていた。

Jarman の亡き後 Cottage は、彼のパートナーであった Keith Collins が住み続けた。Garden は、Jarman の生前と変わることのないよう、Collins 自身や友人達がそこで生活することによって、Jarman の意思を引き継いで維持された。そして2018年、まだ若かった Collins が他界した後、その行く末がどうなるのかが不明であったため、多くの支持者やアーティスト仲間たちが関心を寄せていた。

昨年から、デレクジャーマンと親密な交友のあったアーティストや映画関係者が保存を呼びかける声を上げはじめた。その姿を保存するためには不動産価格が急騰したままの状態が続いている英国では、多大な基金が必要だ。Jarman映画のミューズであった Tilda Swinton が、寄付を呼びかけた。今年始めの段階では必要な額まで達成しておらず、私のような彼の admirer 達は、まるで聖地が無くなってしまうかの気持ちで成り行きを見守っていた。

だが、競売にかけられることになる締切日翌日 (最後の最後に) 何とか目標額まで寄付金が集まり、そのままの形で保存されることになったというニュースを聞いて胸を撫で下ろした。安堵感で少し涙が出そうになってしまった。

心は、M25からM26へ、Romney Marsh を越え海岸を目指して車を走らせ、あの奇妙な乾いた台地と、静寂で時が止まったかのようなDungeness へ向かう。Jarman が、死を受け入れ最期を迎える場所と決め、そこから生み出された庭/映画 Garden、そして彼の最後の作品となったレジェンダリー映画、Blue。Dungeness の海と青い空が頭の中を駆け巡る。

再び訪れよう。




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