見出し画像

25、友達

25歳の誕生日を無事にむかえました。
とはいえ今年は平日の金曜日。私以外の人にとっては普通の平日。
忙しい中、「おめでとう」メッセージを忘れることなく送って頂き…感謝ですね。

私は人の誕生日が覚えられない。
Instagramの投稿をみてハッ!となることも多い。
毎年祝っている人なのに、次の日だったり、一週間後に気づいたりする。

なので、その日のうちにメッセージをくれる人、本当に尊敬する。
前もってプレゼントを発送したり、0時ぴったりにLINEを送ったりできる人は、スゴすぎる。

ついでに、わたしは人の名前を覚えることも苦手。
初対面の人に名前を言われて1回で覚えられたことがない。
音で覚えられないから、必ず漢字を聞くようにするけど、覚えられない。
目の前にいる相手の名前が出てこない。
メールを打つ時に10人しかいない同じ会社の人の名前が出てこない。
そのたびに、握手会や接触イベントがあるアイドルにはなれないな、と思う。

アイドルも誕生日祝いも、メッセージによる「認知」が嬉しいのはその人の限られたメモリの中に自分が刻まれているという実感が持てるからだと思う。
わざわざメッセージを送るというのは、大人になればなるほど億劫なはずだ。圧迫されてくる記憶メモリ、余裕のない毎日。その中で「おめでとう」を言うに値すると思ってもらえることが嬉しい。

先週、友達と尾道に行った。土曜日だったので、一人は平日の疲れからいけなくなった。4人組で毎年どこかへ出かけるのが恒例だった。色んなところに行く旅友。
今回、日帰り旅行ながら、ほとんど会話が無かった。こんなことは珍しく、では今まで何を話していたのかといわれると、誰も思い出せないくらいの深い話はしないのだけれど。
でも、カフェで全員無言でぼーっとコーヒー片手にする時間が苦ではなく、かといって不自然でもなく、まるで部屋の片隅のように思い思いの休憩ができるのは10年近い関係性ゆえかもしれない。

無言でも居心地がいい、というのは文字では目によくするものの、実際に体感するのは初めてだった。昔テレビでジャニーズか俳優さんか男友達2人が焼き肉食べているのにほぼ何もしゃべらない、というところをモニタリングされていて「なんでわざわざ約束して出かけるのに無言なんだ?」と思ったけれど、なるほどこういう感じか、と思い直した。

友達の定義の一つとして大事なのは話題でもノリでもなく「同じ時間を共にできること」なのかもしれない。いればいいのだ、そこに。安心する。犬が話せなくてもおしりを引っ付けて丸まって寝ているように。目を見るとか、言葉を交わすとかを超えた空気のようなもので、それがzoom飲みやテレビ電話ではなしえないリアルな温度なんだと思う。

もちろん、飽きるほど語り尽くせる友達もとても大事。
いっぱいいっぱい、自分の頭の中を掘り下げたくなる友達。どこまでも言語化に付き合ってくれて、ああでもないこうでもないと語りあえる。
点を線で結ぶように思考をつないでくれるような、ちょうどいい問いを投げてくれる友達。
聞き上手で、気づいたらずっと口が動いているような。

小学校、中学校、高校、大学、社会人。色んなフェーズで友達ができたけれど、いつだって、今だって、友達との会話の中で、私は自分が何が好きで何を求め、どうありたいかを見つけてきた。
言葉を見つけると、形ができて、輪郭が見えて、ふわふわした感情に名前がつく。

言葉を知ると解像度が上がって、毎日の一つ一つの出来事が明確になっていった。そのせいか、私は20歳以降の時の流れがそれまでよりも確実に遅くなっている。(皆あっという間だと言い、共感されたことは無い。)24歳からの1年間も長かった。

25歳になって思うのは、こうした大事な友達との時間がどうやら有限であるということ。終わるわけではないけれど、これから私たちは人生の曲がり角を迎える。結婚したり転職したり、環境が変わっていく中で、いったい何人の友達が変わらない関係でいられるのだろうか。
いや、形を変えながら「友達」であり続けることはできるのだろうけれど、否応なしに疎遠になってしまう時期がくるらしいのだ。

だから、今年は、これからは、もっと友達と会う時間、話す時間を大切にしたい。長い長いと言っていたのに、急にあっという間に時が流れ出すかもしれないし、当たり前に思っていた集まりが途絶えるかもしれない。
何の制限もない今だからできることを思う存分しておきたい。

ちなみに、どんな1年にしたい?と聞かれたので、10個くらいリスト化してみたところ、2つめに「幸せ~!と思える瞬間を大切にする」と書いた。(こういう問いかけをしてくれるのもまた素敵友人の1人である。)

カメラで写真を撮るようになって、景色を見るときにピタッと切り取って見えるときがある。そういう刹那にこそ永遠を感じる、というような。

でもたとえ一瞬だったとしても、そう思える瞬間があることが貴重で、貴重さをきちんと実感できていることはラッキーなのだろう。きっと。
人生においてはほんのわずかな時間かもしれないけれど、その幸せだった瞬間の記憶はずっと残るわけだから。
積み重なったものを振り返って、25歳も楽しかったなと思えたらいいな。

p.s.幸せの瞬間をなるべく形に残せるように尽力する。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?