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2023上半期振り返り 曇天

なんだかんだ6月が終わる。早く終わって欲しい今年の半分が過ぎようとしている。

将来のことを考えて、言葉にして、人に話してみて、やっぱりダメなのかな、やっぱり今は耐える時なのかな、でもこのままじゃダメなんだよ!とぐるぐる。

「25.6歳って1番悩む時だよね〜」と少し上の人に話すとめちゃくちゃ言われる。それはもう「社会人一年目って慣れなくて大変だよね〜」と同じくらい言われる。

そうなんだろうなぁ。誰一人間違ったことも言ってない。そう声をかける人達もまた皆同じように悩んだんだと思う。悩みの大小なんて比べられなくて、「一緒にしないで」と思うのもまたお門違いなんだろう。すみません。でも自分の悩み事が一般化される感覚、大多数の1の認識によって楽になる場合もあるのだろうけれど、なんだかすごく矮小化された感じになっちゃう。自分にとってはすごく大きな問題なのに。
そんなふうにネガティブに八つ当たりするあたりも、あぁ余裕が無いんだなと苦笑い。しかたない。

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結局自分の人生は自分のものでしかなくて、他人の人生は究極どうであれ構わないのだ、ということに気づいて寂しくなった。

友達が「結婚しました!」「転職しました!」「海外住みます!」「別れるって言ってたけど復縁した!」「辞めるつもりだったけど会社続ける!」と色々言ったところで私の答えが「そっかそっかー!よかったね」で収まるのと同様、友だちたちは、私が泣くほど悩んだ末に報告したとして、その答えがどんなものでもやはり同じく「そっかー!よかったね!」と言うに違いない。

それは決して興味が無いということではなくて、むしろどの選択肢をとってもいいと思えるからだと思うし、本人が納得しているのであれば応援したいという素直な気持ちである。
否定されない、どんな自分でも肯定してくれると期待できること自体が本来とても素晴らしいことだとも思う。

でもそれはやはり、主語を自分事に置き換えた時に、自分が納得出来る答えを自分で決められるのか?と跳ね返ってくるわけで、「そんなのわかんないよ」と投げ出したくなるわけで。怖い。誰のせいにもできず自分の二本足だけで生きる道を歩いていかなきゃいけないだなんて。選択肢を無くしてしまうことの方がずっと怖いと頭ではわかっていても、心の中で「コワイヨー」と叫ぶ小さな私が足をすくませるのだ。

☁️

就活生の時は、周りの大人がすごい人ばかりに見えた。自分のやりたいことを言葉にして、形にして、なんだかんだ上手に伝えて、毎日毎日仕事に励む人達、なんて凄いんだろうと。

今はまた思う。転職しようがしまいが、自分の仕事に一定納得して(諦めも納得のひとつとする)、家族のために自分のために毎日投げ出さずに日々淡々と仕事をしている人達はすごいと思う。自分が生きる道に納得している人は、芯の強さが見える。

就活生だった私は社会人4年生も半分になった。

就活生の私が想像した社会人よりもずっとずっと悩んでいる。とうていカッコよくなんてなれてない。なんなら1年前の悩みと大筋は同じで、全然変わってないじゃんと呆れるくらいだ。社会人になっても私は葛藤の連続なんだよ、と4年前の私に声をかけたい。

ともすると、今私が羨む「納得(仮)して生きる大人たち」も結局日々悩んで生きることに変わりは無いのかもしれない。

ただ、アイドルを見ていて思う。
悩みながら、もがきながら一生懸命頑張る人の存在は我々にとって一番のエンパワメントになるのではないか。

苦労して努力することだけが美学だとは思わない(アイドルの皆さんには花道だけを歩いていてほしい)けれど、そのひたむきな姿に胸を打たれ、好きになることもまた事実ではある。

スポーツ選手や高校球児、漫画の主人公に惹かれる人が多いのもおそらく同じ原理だろう。

何万人の心を動かすような存在にはなれないだろうけれど、身近な人の頑張れるパワーだとか、いつかの大丈夫の源になれるのだとしたら、今のこのどんよりと晴れない気持ちの日々も救われる。

悩んでることは変わらないけれど、就活生だった私の「こうなりたい」には少しずつ近づいてきた4年間だったと思う。これは、言える。特にこの半年で、去年の自分が驚くくらい、私は変わったなぁと思う。(いつかまとめる)
だとしたら、また数年後の私は「25歳の悩んでいた時よりかは成長した」と言っているんだろうとも思う。
半年前、なんなら3ヶ月前の自分も想像しなかった6月を迎えているのだから、下半期が終わる頃にはまた全然違う感情なんだろう。

2023年の振り返りの時に「悩んだけれどちゃんと進めた」と思えるように、頑張る。

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