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居場所

自分はここにいていいんだろうか。

ここからいなくなっても、誰も気づかないんじゃないだろうか。

居場所 という概念はそれを失くしたと思う時に初めて実態を表すように思う。

例えるなら、手や足の小指を怪我した時の不便さのような。

当たり前だと思っていたものがなくなった瞬間、人はようやくその価値に気づく。
それでは往々にして遅いのだけれど。


ただ、居場所はたった一言で取り戻すことができる。自分の感じ方次第なので、自分が「ここに居ていいんだ」と思うことが出来れば、それは居場所があるということなんだと思う。

ありがとう 頑張ったね 楽しかったね

そんな一言をかけてもらえたり、みんなが私の名前を呼んでくれたり。
それだけで居場所があると思えたりする。

挨拶が大事っていうのも通ずるんじゃないか。

おはよう、またね、

その一言で、私はあなたを認識していますよ というサインになる。
そして、その一言には実は色んな意味が含まれている。

おはよう(元気?大丈夫?会えて嬉しい!)

またね(また次会う時まで元気でね、早く会いたい別れるのがさみしいよ)

その隠れたメッセージに助けられたことも何度もある。

私が居場所を与えてもらったみたいに、今度は私が誰かに『あなたの居場所はここにあるよ』と示せる人になりたい。

いつか、本当に困っている人には「私があなたの居場所になるよ」と声をかけたい。
私がいて、私と話して、その人が生きるきっかけになるなら、なんでもいい。

この広い世界に自分の居場所はない、なんてそんな悲しいことを思う人がいるなら、あなたの思っている世界はなんて小さなものなんだと殴ってやりたい。

今いるところに居場所がないなら逃げてもいい。

今いるところで頑張りたいなら居場所を作ればいい。自分で自分の椅子を新しく作ってしまえばいい。ブルーシートを広げて座ってしまえばいい。

私はここに存在すると、自分の声で自分の立っている所を示せる人になりたい。

当たり前を当たり前にできる人は、強い。


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