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ことばにできないことばかり

ノートを開く。自分の思うことをとりあえず書こうとする。

でも、言葉を綴ろうとすると、なかなか出てこない。そんな日が続いていて、自分は何を思ってるんだろう。頭の中でばかりぐるぐると浮かぶ。

自分と向き合うって、すごくエネルギーがいる。周りに合わせて、与えられた環境に流れに身を任せているのだって疲れるなぁって思うけれど、でも自分のことを考えるより、スイッチをオフにしてしまった方が余程楽かもしれない。

昨日、そんなモヤモヤを話していた。
話す間ずっとうんうんと相槌を打って、一通り話し終えた私にゆっくりと一言。

「今話してみて、どんな気持ち?」

そう聞かれて、私は驚き、困惑した。

感想や質問を聞かれる場が、普段から苦手なことも思い出した。咄嗟に言葉を紡ぐのが苦手だから、仕事の時は情報を集めて他の人の言葉を並べて準備していた回答を伝えていたんだな、とすら思い出した。感想文なら全然書けるのにな。といつも不思議に思ってたことも。

「ゆっくりでいいよ。」
「今話してくれたこと、全部嘘じゃ無いと思う。でも色んな人や情報に溺れて埋もれて、わかんなくなってるでしょう。」

「わかってもらおうとしなくてもいいんだよ。
言葉にできるのが2年後でも、3年後でも、遅くないんだよ。どんな気持ちか、わからなかったら『わからない』でいい。説明できないことっていっぱいあるんだから。」

私は今まで、自分のモヤモヤも考えも感じたことも、全部言葉にして自分で理解しようとしていたし、同時に皆に理解してほしいと思っていた。(のだと思う)

裏返せば、言葉にできないこと自体が怖かった。自分の状態がわからないことも、周りにわかってもらえないことも。

でも言葉にするのは、やっぱり難しい。人にわかるように説明するのはもっと難しい。
だから対話は大事なんだけれども、でも難しいことはエネルギーがいるから、できない時もあるんだと思う。

それはそれで仕方がないことで、言葉にできることだけが全てでもないんだろう。
そもそも、コミュニケーションの言語が占めるパーセントは1割もないんだった。

「言葉にできないときは、黙って泣いていいよ。私も黙って背中をさするから」

silent 10話より

本当は、そういう非言語の救いが欲しいだけだったのかもしれない。
言葉でできることなんて、ほんの一部だったのに、言葉で表せたら全てがわかる/わかってもらえるような気になっていた。


25年生きてきて、ようやくわかったことがまたひとつ。

"この世には、言葉にできないことがたくさんあって、人は時にお尻を引っ付けて丸まる犬のように、非言語的な安息が必要なこともある。"

よしよし

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