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できなかったをやってみよう

まーたやってしまった

毎日、やると決めたことが、なかなか続けられない。ふとしたきっかけで、1日できなくて、2日出来なくて、「あ、まって1週間やってなかった」と気づいて「やらなきゃ」という責任感と、溜まってしまった分の重さからくる面倒くささ。あーあ、やだなぁ。なんでこうなっちゃったんだろう。自分のこういうところダメだなぁ。


と、塞ぎ込んでいたのだけれど、今日はやってみた。できた。とりあえず今日の分はやった。貯めた分は消化できていないけれど、それでも私は昨日はできなかった「とりあえず今日の分だけでもやるか」をできたのだ。

私はしっかりしているようでしっかりしていない人間で、詰めも甘いし自分にも甘い。

ああ、だったら変に真面目にカッコつけて「こんなことも続けられない自分ダメだわ」なんて思うより「え、今日再開できた私えら〜〜い!!!」くらい甘々の方が良くない?

先程わたしは「できなかったことをできた」と書いた。これは書き直した文章で、その前は「やらなかったをやった」と書いていた。
現象としては同じことなんだけれど、随分印象が違うなあと思った。

「できた!」という成功体験がいかに大事かということは、とにかく子どもを見ていれば想像がつくと思うのだけれど、彼らの世界は毎日が「できた!」の連続なのだ。立てた、歩けた、話せた、そりゃあキラキラだ。おまけにみーーーんな周りの人も大歓喜。

大人になると、どんどんできることが増えて、出来ないことばかりに目がいって、できたのに出来なくなったことなんてもってのほかだと思ってしまうんだけど、でもやっぱり、本当は私たちいくつになっても「できた!」の連続で毎日過ごしているはずなのです。今日も朝起きれた。美味しいご飯屋さんを見つけた。連続出勤記録が更新。今日も元気におはようが言えた。体の調子が昨日より良くなった。自分の調子に気づけた。周りの変化に気づけるようになった。誰かを助けた。些細なことほど、誰も見てないことほど、当たり前のことほど、「できた」の繰り返しでなされていること。すごいこと。

当たり前だと思うことほど当たり前じゃないって話は、耳がタコになるくらい知っていると思う。でもその話を逆手にとれば、私たちが日々こなしている当たり前の行為はとても尊く価値のあることなんじゃないか?

できたこと、すごいこと。それに気づくか気づかないか、褒めるか褒めないかの差は、そうしてくれる人が(自分も含めて)いるかいないかなだけなんだと思う。もっと自分も他人も甘やかすくらい褒めあっていこうぜ。

果敢に目標を決めては続けられず自分を責めて凹むストイックなあなた(わたし)にお伝えしたい。

ストイックというのは、1日も欠かさないことなのではなくて、くじけそうになっても、また立ち上がることだということ。
どんなに時間がかかっても遠回りをしても、定めた目標を達成するというその粘り強さこそが肝なんだろう。

もうダメだ……となった主人公が、また1歩を踏み出す物語のほうが胸熱ではないですか?

その踏み出し方が自分をほめておだてることでもいいんじゃないかなと思うのはストイックの真逆のような甘々な考えかもしれないけれど。
自分のご機嫌を取れる人ほど強い理由、ここにあり。と思うのです。


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今日のBGMはデジモンでおなじみのbutter-fly

stayしがちなイメージだらけの頼りない翼でもきっと飛べるさ

アニメの曲ってなんか元気でるし、力強い。
呼んでくれたあなたの背中もそっと押せますように。

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