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LIFE SHIFT 2 を読む

オンラインにて、「『LIFESHIFT2』をみんなで語る朝活」に参加していたのですが、諸般の事情により、5回中3回しか出席できなかったので、2回分の分担分で、印象に残ったところを記録してシェアしようと思いました。

構成としては、各章ごとに、抜き書き+感想、となっています。

第4章 探索

・生涯にわたって学び続ける必要がある、また、逆に、古い思考や行動を捨てること「学習棄却」が大きな比重を占めるようになる。
・年齢を重ねた人が新しいことを学べないのは、それはその人が老いているからではなく、新しいことを学び続けてこなかったからなのだ。
・「結晶性知能」年齢を重ねるとともに強まるタイプの知能もある。時間をかけて蓄積される情報や知識、知恵、戦略…。
・容易に移行できることはめったになく、ほとんどの人は最初のうち強い不安を感じる。
なので、探索と調査を行って、旧と新の2つの足場を行き来しながら、徐々に移行していく。
・30代から40代は、わき目も振らない、家庭では育児や介護に忙殺される。「サンドイッチ世代」しかし、人生が長くなれば、それも変えられる。

 文字通り、学習することについての記述。学び続けるのはもちろんだけど、古いことを忘れる「学習棄却」も必要なのはなるほど、ですね…今までの成功体験が必ずしもそのままは使えない。しかし、30代から40代の育児や介護に忙殺される時間が、長寿によって解決するのか?というとそうではないような気がします。ただ、忙殺される時間が長くなるだけでは…なので、いつでも忙殺される可能性があるので、逆に私は、様々なものを再配分して後に取っておくのではなく、できるときにやる、という、この本の主張とは逆のことを考えていたりします。

第5章 関係

抜き書きしてみて、この章が一番たくさん印象に残る文章が多かったです。女性と家族についての記述であり、共感する部分がとてもありました。
 少し長くなりますがご容赦ください。

・いま日本では、社会における女性の役割について活発な議論がなされている。
 長寿化と人生のマルチステージ化が進むにつれて、家族のあり方が変わり始めているからだ。
→社会的発明、新しい「家族」のあり方
・女性たちの未来への大きな影響…どのような相手と結婚するかという選択肢。パートナーの支援があるかどうか。女性の教育レベル。自分ではどうすることもできない運命の影響もある。
・家庭での役割を(夫婦)共同で担う。→2人が強く依存しあう関係にある。
これまでの依存は、役割が固定。
→新しいパートナー関係を切り開かなくてはならない。
キャリア+キャリア(両方がキャリアを追求する)ためには、2人が意識的に相互依存関係をはぐくまなければ、選択肢と柔軟性が高まることの結果として、むしろ家族が崩壊しかねない。
→それはお手軽な道とは言えない。2人で突き詰めて対話し、自分たちが何を望むのかを話し合い、どのような生き方が可能なのか、というストーリーを共有する必要がある。
・世界中の人たちが新しい家族のあり方を築くことに前向きになっている。
←しかし、社会の制度的規範が追い付いていないという現実がある。
・「子供を作らない選択肢」の原因…日本企業の変化が遅い
・2人とも仕事を続け、育児に関する役割も等しく分担する、の方が魅力的。広げるためには、社会的発明によって社会的慣習と経済的条件を大きく変える必要がある。
・社会規範が人生の選択の指針にならなくなった。そのため、自分たちで話し合い、お互いがどのような責任を担うかを決めるために、ひときわ多くの労力を割かなくてはならない。コミュニケーションを絶やさないようにすること。
そのためには、互いの信頼関係が不可欠。
・世代間の対立の要因…3ステージの人生のモデルが立ちいかなくなったことにあるのだろう。
変化を迫られているという点では、どの年齢層も同じだ。
・世代内で過度の一般化を行う一方、世代間の差違を過度に強調することには、大きな害がある。
・仕事にやりがいと柔軟性を求めるのは、どの世代も同じなのではないか。
・世代間の共感をはぐくむことの利点は非常に大きい。
・人生がマルチステージ化する時代には、引退した後で初めてコミュニティの活動に携わるのではなく、生涯を通じてコミュニティとかかわる方が理にかなっている。
・「無知のベール」の中に入ったつもりで考えよ。
自分がどのような人間かを知らない状態を仮定して判断すべき。
・年齢で人を判断すべきではない。大切なのは、それぞれの人がどのような人間なのかだ)

 女性の働き方の話、世代、コミュニティなど、この本のキモとなる部分で、これまでの楽観論へのアンサーがたくさん書かれていた章でした。
 まずは、「子供を作らない選択肢を選ぶのは、日本の企業の変化が遅いから」との記述にスカッとしました。
 しかし、新しい価値観を作ってそれに基づいて生きていくためには、夫婦間の対話が必要とのことで、それは一見ハッピーなようでなかなか難しい問題だと思いました。まずはそれこそ対話のできる相手か、また、収入で優劣が付きがちの関係で、対等に話ができるのか、我が家も自信はありません。
 そして、世代のところでは、昔から、自分の世代らしさとはちがうらしさを持っていたため、世代で区切られることに抵抗がありましたが、それもおかしいと説明してくれています。世代間より世代内の違いが大きい、その人しだいである、というところに励まされました。
 コミュニティでは、生涯を通じてコミュニティにかかわる、はもちろんなのですが、「無知のベール」について、考えさせられました。
 個人的な解釈なのですが、これは、今の自分はうまくいっているとしても、それは運や偶然かもしれず、他の人は必ずしもそうではない、また、それは他の人の努力が足りないわけではない。そういう人へのまなざしを忘れないでいてほしいということだと思います。そのため、無理のベールに入ると、「社会の共感をはぐくむことが期待できる」のです。
 恵まれた状況は、必ずしも自分の努力「だけ」によるものではないし、それは永遠に続くものではない。過度の自己責任論からの脱却がこれからは必要なのだと感じ取りました。

第6章  企業の課題
 

・企業がエイジとステージの結びつきを断ち切る必要がある。入社年齢を多様化し、引退の道筋も選択肢を作る。
・仕事に費やす時間を減らすことの代償として、厳しい状況に置かれてきた人たちがいる。それは、ワーキング・マザーたちだ。
 仕事に復帰した母親たちの多くは、激しい不満を味わわされる。
 女性たちは家族の世話に時間を費やしているために、職場で不利な扱いを受けているが、男性が家族の世話をすることへの支援はほとんどなされていない。その結果として、キャリアを追求する女性には、男性よりも重い負担がのしかかっている。
・働き手の代替のためには、「業界の組織構造の大きな変化、テクノロジーへの投資、製品の標準化」(規制やジェンダー政策ではなく)
・生涯学習が不可欠
・年齢差別をなくす…高齢者への固定概念:スキルの学び直しに強い関心を示さない、教育レベルが低く、生産性が低い、肉体的制約がある…。

 「ワーキングマザー」の辛い状況について、きっちり触れてくれていたのはうれしかったですね。実体験をもって十分に経験しております。しかし、解決法は、相変わらず楽観的で、「それがマジョリティになれば、企業は対応せざるを得ない」…まあ意外とそうなのかもしれませんが。そして、ここでも、生涯学習の大切さが説かれています。
こ れから徐々に高齢者に向かっていく自分としては、年齢の固定観念をなくす、というのはありがたい主張でした。年齢ではなく、(さらに、性別ではなく)その人自身を見なければならないですね。
 そして…企業にとって、入社年齢を多様化させることは簡単ではない、なので、就職を遅らせれば、二度とチャンスがなくなると(親が)恐れている、というのも、まだまだ根強く、自分はこういう学びをしているけれど、いざ、自分の子供がマルチステージの時代だし、といって学びや探索を深めていくのを、応援してあげられるのか、履歴書に空白ができないように促すような気がします。

第7章 教育機関の課題

・知識の取得を目指す「生徒」から、スキルとそれを実地に適用する能力の獲得を目指す「学習者」へと転換しなくてはならない。
・学び方と発見の仕方(そして、過去に学んだことを忘れる方法)
 教育を通じてはぐくむべき人間的スキル…批判的思考、仮説設定能力、子ユニケーション、チームワーク、対人関係スキル
・雇用との結びつきを重んじる、ひとりひとりのニーズや状況に配慮、人生での移行を遂げるための支援体制を築く。
・一人一人が描くキャリアの道筋に柔軟に適応できる教育が必要になる。
・先駆的な大学は、学位を提供することから教育サービスを提供することへと、活動の中心を移しつつある。
・学歴を持っている人はすでに成人教育を活発にしているので、そうでない人への教育の機会の提供
・これからの大学は、生涯学習を支援し、年長の学生のニーズと動機をもっと重視すべき。

 学習観の転換は、義務教育段階でも今強く言われており、当市の教育委員会でも、昔とは変わってきているということを保護者や地域社会のみならず、教育をする教員に対しても伝達しているところなので、それはなるほどと思いつつも、求められている人間的スキルは高度であり、すべての子どもを取り残すことなくできるのだろうかという不安はあります。そのような中、「学歴を持っている人はすでに成人教育を活発にしているので、そうでない人への教育の機会の提供」と触れているのは幸いです。
大学についても、日本では進学率が50%を超えており、すっかり大衆化した中、教育機関の一つとしての活用を考えていかなければいけないものだということで、それこそ、30年前の「研究をするところ」という認識は「学習棄却」しなくてはいけないなと思いました。
「大学の先生は教えない、研究をするものである」と言っていた、かつての大学の先生方は、現在どう思っているのでしょうか?

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