見出し画像

何のための対話か

【何のための対話か R4.3.13】

※某SNSにも投稿しましたが、記録用にnoteにも保存しておきます。
続編「対話とはなにか」も近日公開予定。

 数日前、SNSのある投稿で、
「まちづくりのための会議によく出ていたけれど、
①意見を言っても何も変わらなかった、
②相手の意見を否定しないでポジティブなことしか言ってはいけない、というと無難なことしか言えなかった、③発表するためにまとめるのは、ある結果に誘導されている感じがした、グラレコも、きれいにまとめるために反映しにくい意見は抜けている」
ということが書いてあるものを拝見しました。
 同じ日に、とある投稿のシェアで、NPO法人アカツキさんのブログが紹介されていました。
 「場づくりに関する3つの誤解がある。
①ワールドカフェは対話の促進にはならない、
②グラレコは議論の可視化ではない、
③ファシリテーションは仲良しの技術ではない」

 前者の投稿の指摘とほぼ同じ指摘が、されていました。

 それでは、なんのためにワールドカフェ、対話を行うのだろう、というもやもやが一気に噴出しました。

 そうした中、なんともタイムリーなイベントが3月10日にオンラインで行われました。

「ふくおか対話と学び学園祭
福岡のファシリテーター大集合!
対話のまち・ふくおかへの20年の軌跡」
5人中3人が、色々な学びの場で拝見している方で、それこそ、対話のプロフェッショナルの方々が集合している中のお話を聞けば、この数日のもやもやの解決の糸口がわからないか、と考えて参加しました。

第1部の最初は、福岡市のこれまで20年の対話の歴史を、市政と民間に分けて書き出した表を参考にお聞きしました。

 ここには書ききれないほどの数々の実績があるのですが、印象に残ったのは、
・福岡市…DNA運動、カイゼン活動が盛んであったこと。
・FAJ(日本ファシリテーション協会)の九州支部が早くに立ち上がったこと。…これについては、加留部貴行さんの、自分のやっていたことがファシリテーションであったということが印象的でした。
・東京、関西では、ファシリテーションはビジネスとつながることが多いが、福岡市は公共とつながって発展している。
 例えば、天神ビッグバン…ビルをどのようなものにするかを官民で考える時に対話を行ったことなどです。

 1回目のブレイクアウトでは、「あなたが思う「対話のまち」のイメージはどのようなものでしょうか。」をテーマに話し合いました。
 私は、「職場(官も民も)だけでなく、地域、学校、保護者が相互に、相手の意見を尊重しながら、自分の意見をきちんと述べることができているまち。」としました。
 他の方の意見としては、
・ボトムアップができるまち。
・相手の意見の尊重、耳の痛い話もいったんは受け入れるようなまち。
・屋台で隣に座った人と気軽に話ができるように、初めての人でも遠慮せず話せるまち。
・内面が出せる安心感。立場をフラットに考えられること。
・心理的安全性が確保されていること。
・批判的な話をするときは、再現性のある言い方ができるかどうかを確認する。それが、愛ある指摘、フィードバックができる文化を生み出す。
 がありました。

 第2部は、未来に向けての話が展開されました。

・福岡は本当に対話のまち?という問いには、
「人が変わると組織も難しい。文化として根づかせるのは相当難しい。
熱量をたもつにはどうしたらよいか。福岡はイベントをやるたびに成長する。それが追い炊き機能となっているので、普段は、種火を繋げる。小さい火を消さずにいて、追い炊きを適宜行っていく」
「一人の人がずっと走り続けているわけではないけれど、入れ替わり立ちかわり役割を果たしていく」
 という回答がありました。

その他、対話について印象に残った議論としては、
・自由にモノを言い合えるのはいいが、人を傷つけている場合がある。アンコンシャスバイアス。女性、子ども、お年寄り…。自由にモノが言えるかと、本当に言えているかどうかは別。安心して話せる場に。自分らしく、かつ、「周りに合わせる」
・山口覚さんのワールドカフェ7か条。「私とあなたに境目ない、耳を澄ます、否定も断定もするのはやめる。否定したくなる意見は、自分の器を広げてもらえる。沈黙を歓迎する。言葉をつなぎ合わせて一人では考え付かなかったことを考える。心の変容を許す。」
・トップが自分の意見に持ってきたくて対話をすることがある。
seek speak listen 影響力の強い方は、言えない人がいることに自覚的になる。
・(そしてここでも出てきた)NPOアカツキのHPより、「ワールドカフェは対話の促進にはならない、グラレコは議論の可視化ではない、ファシリテーションは仲良しではない。」これは、対話信仰の人には水をかけられるような話。

 そしてなんと、チャットに、前述の、ワールドカフェについてのもやもや(ポジティブなことを言わなければならない同調圧力、等々)について書いたところ、拾っていただけまして、登壇者の方にそれぞれご意見をいただけるという幸運に恵まれました!
→・場づくりは、こちらが、配慮をしなければならない。100点は取れない。手段としての限界?手法として使ってよかったのかどうか?正直めんどくさいことも。声を出したくなったら出せる環境を作ってあげたいが。年を取るうちに柔軟でなくなって来ているか?万能ではない。
・自分の物差しで測れない意見を聴く訓練が必要。妄想、つぶす人、いろんな役割をいう人をおいて対話をしてみる。
・例えばSIMulation〇〇はロールプレイ。対立を対話で解決する練習をする。
(すべて拾えてないかもしれませんがすみませんm(__)m)

 ここで、2回目のブレイクアウトセッション、「どんな対話の町になったらいいか」
・自分の意見は、「相手の立場をお互い尊重して、立場年齢を超えて話ができる。変容をゆるす。」
他の方は、こんな感じでした。
・議員との対話を進めたい。
・ワールドカフェは、話を拡散させる。新しい発想を見つけるもので結論を出すためには向いていない。 否定的なことは言わない、というより、相手の言うことを否定しない。「私はこう思う」は言えるようにしなければならない。対話は、心理的安全性を確保しなくてはいけないので、対話まで持って行くのは大変。
・親子の対話の場が大切。子どもの意見をすべて受け入れることから始まる。

最後に…、今回のイベントの名言を2つ。
・夫婦、親子、嫁姑の関係、これが3大困難ファシリテーション
・対話は目に見えないインフラ、話し合いのやり方の社会のインフラ
(どんなにITが充実しても、戦争を止める力があるのか?)

 ちょうどこの会に出席したことで、私の対話のもやもやの旅も、少し光が見えてきたところです。ありがとうございました。

 さて、ワールドカフェでは、意見を決めるというよりは、意見をいろいろ出してもらいます。そして、さらにそれを「議論」することによって、最終的な企画ができていく、というのは理解ができます。が、いざ、それをどのように参加者に説明し、さらに、実装につなげていくのか、なかなかイメージが付かないでいます。

 雑談(関係性の構築)→対話(価値観の共有と共創)→議論(具体的事例の決定)

 この流れを、実際の事業に当てはめて実行する、これが次のミッションかと考えています。


【30歩目】場づくりに関する3つの誤解 | 認定NPO法人アカツキ (aka-tsuki.org)

[開催終了]3/10(木)福岡のファシリテーター大集合!〜「対話のまち・ふくおか」への20年の軌跡〜 - ふくおか対話と学び学園祭 dialogue&learning (dialogue-learning.net)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?