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電気刺激で幸福を創る?~脳と人工知能をつないだら~

この本は


池谷裕二さんと紺野大地さんによる、脳科学とAIを融合させたらどんなことができるのか、科学技術・研究の新しい情報から考察された本。
脳は電気信号で情報を伝達している。だからそれを読み取って解析したり、外から信号を与えて脳を機能させることができる。
そのプロセスにAIを関与させることもできる。そんなトピックが紹介されている。

脳科学が可能にすること


確かに、脳は電気信号で情報を伝達しているので、取り出して解読したり、外部で作った信号をインプットすることはできるのだろう。
眼が機能しなくなってしまった人に、眼の代わりをするセンサーからの電気信号を脳に直接刺激としてインプットすることで、完全ではないが視覚が得られるそうだ。
手がなくなった人が、手の代わりに機械の手を装着し、脳から生じる電気信号で機械の手を動かす、そういうこともできるそうだ。

そこからさらに、映画のマトリックスのように、脳に電気刺激を送ることでいろんな体験ができたり、さらには幸せを感じるようにもできそうに思える。つまり電気刺激で幸福が得られる、創られる

ブッダによる刺激と幸福の説明


ブッダは、外からの情報は、眼、耳、鼻、舌、身という5つの窓口を通して心にインプットされる、と説明している。
そして、インプットされた情報を心が受け取って、心が感情を作ると説明している。

外からの刺激によって反射的に作られる感情は、生命が持つ生きていきたいという気持ち、生存本能にコントロールされて、欲と怒りが中心になる。欲は対象を引き寄せたいという感情、怒りは対象を遠ざけたいという感情。
これらによって、生き延びようとする、そういう力が生命にある。

しかしブッダは、こういう生存本能による感情にコントロールされることから抜け出して、理性によって安穏な心を維持することが幸せだと言っている。
生存本能に支配されて他者と戦い、弱肉強食の世界で生きることは苦である。そして、戦いに勝利したとしても、欲しいものを手に入れたとしても、それらはすべて一時的な喜びで有り、すぐに色あせ、価値がなくなる、無常だと言っている。
すべてが無常であると理解して、生存本能に支配されて欲と怒りを追い求めることは人間にとっての本当の幸せではないと気づくことで、安穏な心、幸福が得られると言っている。

ブッダによる幸福を得るためのトレーニング方法


ブッダが勧める幸福のためのトレーニングがある。瞑想である。
瞑想で、心に生じる欲と怒りを観察し、それらを無常だと理解し、手放していく

これを脳科学にあてはめて解釈してみると、原始的な脳の領域で生じる欲と怒りを冷静に観察できるよう、新しい脳、前頭前野などを鍛える、ということではないかと思う。私の推測。

脳による刺激の解釈に関する考察


ブッダによる刺激の説明から、感情が生じるには、脳が電気刺激を受け取って、それから解釈する、という2つのステップがあるのだと思う。
そして大事なのは2つめの解釈のステップである。
同じものを食べてもおいしいと感じる人とおいしくないと感じる人がいる。
同じように他者から攻撃されても、怒って攻撃仕返す人と、冷静に受け流すことができる人がいる。
これらが解釈のステップで生じる違い。
幸せになるには、例えどんな刺激が入ってきたとしても、解釈の部分を落ち着いて冷静に行うことができれば良いのだと思う。

意識は科学では未だ解明されていない

この本にも書かれているが、意識は未だ科学では解明されていない。
ブッダが説明しているような、刺激を受けてそれを解釈するプロセスなんかも、科学的には何がどうなっているのか、判らないのだろうと思う。
判らないからなんとなく危険で怖い、というのはあるあるだとは思うが、やっぱり脳に外部から信号を送るというのは、私は怖い。
どんな感情、どんな意識が生じるか、副作用もあるのではと思う。
当面は、瞑想で欲や怒りを観察できるよう、脳をトレーニングしようと思う。

ちなみに、意識に関する科学的な知見の今のところの最先端は、「統合情報理論」という考え方だと書かれていた。
脳への刺激と感情や意識の関係がどうなっているのか、まずは統合情報理論に関する本を読んで考えてみたい。
To be continued.