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ヴィパッサナー瞑想で"滅"に気づく~ブッダの実践心理学 第7巻・8巻~

はじめに


ブッダの実践心理学は、テーラワーダ仏教のお坊さんであるスマナサーラ長老の著書。
テーラワーダ仏教は、インドから中国を経て日本に伝わった大乗仏教ではなく、インドから直にスリランカに伝わったブッダ直伝の仏教。
ブッダが心をどのようにとらえているのか、そして、どのように心を管理すれば、悩み苦しみから離れて安穏に、幸福にいられるのか、それを解説している。第7巻・8巻は、複合刊であり、このシリーズの最終刊。

苦しみ


人は、なぜ苦しむのか。
原因は生存本能。それが、他の生物を殺してでも自分が生き残れ、そう命令する。その命令によって、欲と怒りが生まれる。それが苦。
さらに、そのことを知らないのが無知。
苦しみの原因は、欲、怒り、無知。
向上心、自己実現という一見正当な理由で欲を追求する。
社会のために不正をただす、あんなことをする人は許せない、という一見正当な名目で怒りを発動する。
これらはすべて生存本能によって踊らされている状況。

ヴィパッサナー瞑想による苦の観察


ヴィパッサナーとは、よく、観察する、ということ。
ヴィパッサナー瞑想では、とにかく、自分の心、身体の感覚を観察する。
どのように、自分の心に欲が生じるのか、怒りがわいてくるのか、それを精密に、精密に、観る。
しかしこの瞑想、簡単ではない。
すぐに心が妄想に持って行かれる。
今日の夕飯何を食べようか、明日、あの人に会ったらこれを話さなければ、昨日、なんであんなことを言ってしまったのか。
過去、未来に心がとんでしまう。
妄想にとらわれて現在から心が離れ、不安や不満を感じて苦しむ。
それが苦の正体。
しかし、観察することで、距離をとることができる。
そしてこの瞑想は、動物にはできない。人間だけができること。

ヴィパッサナー瞑想の勧め


ブッダはヴィパッサナー瞑想を勧めている。瞑想にはサマタ瞑想というものもあるが、真の安らぎ、解脱に達することができるのは、ヴィパッサナーだそうだ。
ヴィパッサナーによって、自分の心、心の認識に気付くことができる。
ブッダの教えを知る前の私は、欲や怒りによって気持ちを高揚させ、モチベーション高く進んでいくことが、幸せなように感じていた。
しかしそれは、どこまでもどこまでも続く渇望に踊らされているだけのものであった。どこまでいってもほしいほしいが続くだけ。
さらにやっかいなのは、一度手に入れたものを失うことは、とても怖くなる。
そんなことから離れた方が、ずっと幸せになる、ブッダはそう言っている。

瞑想の熟達によって苦から離れる


瞑想が熟達すれば、すべてのものが"生じては滅する"ということが判るらしい。特に、”滅”に気づくことが重要。”生”には普通にしていれば気づくことができるが、”滅”に気づくことができるのが瞑想の重要なところ。
私はまだ、その域に達していないが、滅に気づき、滅を観察することができれば、すべてのものが生じては滅する、すべてはその繰り返しであることを実感し、欲から離れることができるようだ。
そして、自分という存在が、唯一無二の重要な存在などではなく、宇宙の法則に従って現れては消える一次的な現象に過ぎない、そう実感できるようだ。
そうなれば、動物としての本能、生存欲求に振り回されることから離れて、心の安穏が得られる。
自分にはまだ全然できないが、そのようなところまで、瞑想で実感したい。

とにかく今は


仏教は理論と実践の両輪が必要。実践心理学を8巻まで読んだことで理論は判った気がするが、瞑想実践による実感はまだ得られていない。
とにかく今は、自分の苦しみが生存本能によって自動的に起こる欲と怒り根ざしていることまでは理解できてた
ここまででも良しとして、瞑想を続けてみる。
とにかく今は、ここまで。