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シネイド・オコナー(1966-2023)──歌手のドラマ

Sinead O’Connor (1966-2023) Drama of the singer

アイルランドの有名な歌手シネイド・オコナー(Sinead O'Connor)が7月26日、ロンドンで死去した(享年56歳)。このニュースは彼女の家族と長年の友人であるボブ・ゲルドフ(Bob Geldof)によって確認されたが、死因は明らかにされなかった。イギリス警察も死因を明かさず、自然死であることを示唆するにとどまった。ニューヨーク・タイムズ紙(The New York Times)は、故人を偲びながら、この非常に才能のあるシンガーを世界が記憶している理由は二つあると回想している。世界的にヒットした 『Nothing Compares 2 U(ナッシング・コンペアーズ・トゥー・ユー)』と、1992年のテレビ番組で聖ヨハネ・パウロ2世の写真を破ったことだ。

BBC通信は、オコナーの人生を『彼女の類まれな音楽的才能と、自分自身の中にある悪魔との対決』と表現した。そのなかで、「音楽は彼女にとってセラピーの一形態であり、崩壊した家庭で生活し、子供の頃に様々な暴力行為を経験したトラウマからの逃避であった」と強調している。

シネイド・マリー・ベルナデット・オコナー(Sinéad Marie Bernadette O'Connor)は1966年12月8日、ダブリンで土木技師のジョンと妻メアリーの間に生まれた。兄弟は4人。後に歌手となる彼女は、母親が子供たちを精神的に虐待していたと数年後に訴えた。少女が8歳のとき、両親は離婚した。1979年、シネイドは父親とその新しい妻と暮らすことにした。

15歳のとき、不登校で窃盗を犯した彼女は、『マグダレン・シスターズ・アサイラム(Asylum of the Magdalene Sisters)』として知られるグリアナン・トレーニング・センター(the Grianán Training Center)の矯正施設に送られた。このカトリックの施設は、現在では多くの人々から批判されているが、(ピーター・マラン/Peter Mullan監督の2002年の映画『マグダレンの祈り(The Magdalene Sisters)』で描かれている)逆説的にこの10代の少女の才能を開花させることになった。

BBCによると、「修道女の一人が、この反抗的な若者を律し続ける唯一の方法は、ギターを買い与え、音楽の先生を見つけることだと気づいた。これが彼女の救いとなった」という。

センターで働くボランティアの一人は、バンド『Tua Nua(トゥア・ヌア)』のドラマー、ポール・バーン(Paul Byrne)の妹だった。プロのミュージシャンとしての彼女の素晴らしい才能に最初に気づいたのは彼だった。そして、彼女の歌手としてのキャリアが始まった。

1990年、アルバム『蒼い囁き(I Do Not Want What I Haven't Got)』、この曲は、アメリカのビルボード・ホット100を含む多くの国でチャートのトップを飾り、シネイドのキャリア最大のヒット曲となった。この曲には、パリで撮影された有名なミュージック・ビデオが付けられた。アルバムは好意的な評価を受け、イギリスとアメリカの市場で複数のプラチナ・アルバム(100万枚以上の売上げ)を獲得した。


その性格にふさわしく、反逆のシンガーは、自分が身を置くことになったこの新しい世界で、さまざまな慣例と戦い始めた。ロンドンでキャリアをスタートさせた彼女は、後にこれについて謝罪したが、イギリス軍と戦ったアイルランド共和国軍(IRA)を公然と賞賛した。彼女は生涯を通じてパンキッシュな髪型(パンクロック、反体制的、反権威的な文化を体現する)をしていたが、歴代の音楽界の彼女の上司は、もっと『ガーリーなルック(女の子らしい見た目)』にするよう常に主張していた。

テレグラフ(The Telegraph)のインタビューで、彼女はこうした圧力を「私に彼らの愛人のようになれと促している。私はそのような考えに同意できないことを彼らに詳しく説明した」と述べた。

おそらく彼女の人生で最も物議を醸したのは、1992年に彼女が音楽ゲストとして参加したテレビ番組『Saturday Night Live(サタデー・ナイト・ライブ)』で、当時の教皇、聖ヨハネ・パウロ二世(St. John Paul II)の写真を公衆の面前で破いたことだろう。この歌手は、教会における小児性愛(pedophilia/ぺドフィリア)への反対をこのような形で表現したかったのだが、視聴者に『本当の敵と戦う』よう呼びかけた抗議のなかで、あきらかに『過剰反応』したようだ。この行為については、事前に誰とも合意されておらず、「番組の司会者リック・ラドウィン(Rick Ludowin)は、文字通り椅子から転げ落ち(fell off)、聴衆は沈黙の静寂のなかで凍りついた」とBBCは回想した。また、番組の制作者であるポーラ・ペル(Paula Pell)は、「その瞬間、スタジオから空気が抜けたかのようだった(中略)拍手も起こらなかった」と述懐した。

翌日のニューヨーク・デイリー・ニュース紙(the New York Daily News)が『聖なるテロ』と呼んだオコナーの抗議活動は、カトリック界だけでなく一般の人々の怒りに見舞われた。この歌手のコンサートはブーイングの口笛が吹かれ始めた。ある意味、もう一人のスキャンダラスな歌手であるマドンナ(Madonna)が、アイリッシュ・タイムズ紙(the Irish Times)とのインタビューで「多くの人にとって大切な意味を持つ人物の写真を引き裂くよりも、もっと良い抗議方法があるはずだ。(中略)もし彼女がカトリック教会に反対しているのなら、それについて話すべきだと思う」と語った。また、シネイドは自分自身をバイセクシュアルであると言った。2000年、アイルランドの雑誌ホット・プレス(Hot Pres')に寄せた公開書簡のなかで、彼女は数々の男性との交際関係にもかかわらず、女性のほうが好きだと述べて、自分がレズビアンであることを告白した。彼女は数週間後、ハワード・スターン(Howard Stern)とのテレビインタビューで同じことを繰り返した。

しかしながら、彼女は二年後に結婚した。実際、彼女は4回結婚し、異なる結婚相手との間に4人の子供を残している。2007年、オプラ・ウィンフリー(Oprah Winfrey)とのテレビインタビューで、彼女は双極性感情障害と診断され、以前は自殺願望と闘っていたことを明らかにした。その後、境界性情緒不安定人格と複雑性心的外傷後ストレス障害と診断された。

教会に対する数々の攻撃にもかかわらず、オコナーは生涯を通じて自らを『敬虔なカトリック教徒』だと考えていたが、ローマから切り離されたアイルランド正教会(Irish Orthodox Catholic and Apostolic Church)に属していた。1999年には同教会の聖職者に叙階されている。その後、聖職者用の服(カソック/cassock)とカラー(襟)を身につけ、胸に大きな十字架をつけて舞台に立つこともあった。

2007年、Christianity Today(クリスチャニティ・トゥデイ)のインタビューで、彼女は三位一体の神と救い主イエス・キリストへの信仰を肯定する一方で、『神はすべての人を平等に愛している』として、裁き主としての神という概念を否定した。同時に、「キリスト教信仰は、私が子供の頃に経験した暴力の影響を乗り越える力を与えてくれた」とも主張した。「私はいつも、悪魔と共に生きれば、そこに神も見出すことができると言っている」と語っていた。

Fr. jj (KAI Tokyo)

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