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アメリカ:古代キリスト教美術展 『アフリカとビザンチウム』

USA: exhibition of ancient Christian art "Africa and Byzantium"

現在、アメリカで展示されているビザンチン時代(395-1453年)の北アフリカのイコン、モザイク画、写本、ミサ聖杯などの典礼用副葬品を含む160点以上の展示物は、来場者によれば『時代を超越した信仰の美しさと慎ましさ』を示しているという。それは2月14日の灰の水曜日の直前にニューヨークのメトロポリタン美術館で鑑賞したカトリック・ジャーナリストのマイケル・セントーレ(Michael Centore)を驚かせた。筆者は3月2日、アフリカとビザンチウム展(Africa & Byzantium)の神秘的ともいえる印象をナショナル・カトリック・レポーター(National Catholic Reporter)のウェブサイトに寄稿した。

この記事は、現在のモロッコ、アルジェリア、リビア、エジプトの土地に住んでいたキリスト教徒の精神性を紹介している。この時代のキリスト教文化は、特にヒッポの聖アウグスティヌス(St. Augustine of Hippo 354-430)とエジプトの聖アントニウス(St. Anthony of Egypt 251-356)に関連している。

そして、この展覧会では、ビザンチウムとこの地域の他の2つの国とのつながりを捉えている。ヌビア王国(Nubia現在のスーダン)とエチオピア(Ethiopia)である。エチオピアのアクスム帝国(紀元前80年から紀元825年)では、支配者であったエザナ(Ezana of Axsum)の指導のもと、西暦 330 年にキリスト教を採用し、信仰するようになった。そして540年、ヌビア(アスワンとハルツームの間/Aswan and Khartoum)、ナイル川の中流域、第6カタラクトと第1カタラクト(the 6th and 1st Cataracts)の間に位置する歴史的な土地で、現在はエジプト南部とスーダン北部に含まれる、3つの王国によってキリスト信仰が決定された。当時、ビザンチンと現地の芸術の興味深い融合があり、それは展示されているイコンのいくつかに特に顕著に表れている。そのひとつが、ヌビアの聖母マリアのイコン『ホゲデトリア/Hodegetria(Our Lady of the Way/道を示す)』である。「その作者は、テンペラを使ったわずかの無駄もない筆致で、聖母の繊細さと、いわば聖母を見るすべての人に向けられた『招き』を表現することができた。この『招き』は、聖母の慈愛に満ちた瞳に最もよく表れている」とセントーレは書いている。彼は、マリアのもう一つのイコンである『ガラクトトロファス/Galaktotrophous(幼子に乳を与える女)』からも同様の温かさが放たれていると付け加えた。この記事の著者は、マリアの『母性』がすべての人々に向けられていることに気づいている。そこに表現されている母子の絆は、精神的なものと肉体的なものという2つの次元を兼ね備えている。この13世紀のイコンは、シナイの聖カタリナ修道院(the monastery of St. Catherine in Sinai)から貸与されたものである。

ヌビアのキリスト教美術の発見を可能にしたのは、とりわけ60年以上前、カジミエシュ・ミハロフスキ教授(Kazimierz Michalowski 1901-81)のもと、ヌビアの砂地(Nubian)でファラス聖堂(the Faras Cathedral)を発見したポーランドの考古学者たちであったことは、ここで思い起こすに値する。1964年に始まり、同教授が設立したワルシャワ大学の地中海考古学センターによって行われたこの研究は、スーダンでおそらく中世ヌビア最大の教会であるドンゴラ聖堂(the Dongola Cathedral)の遺跡を発見するに至った。ポーランドの学者たちのこうした功績を高く評価したのが、エジプト政府を代表して1960年代後半のアスワン・ダム建設時に古代神殿の救済を指揮したフランス人女性、クリスティアン・デロッシュ=ノーブルクール(Christiane Desroches-Noblecourt 1913~2011年)だった。そのため、彼女は『ナイルの女帝(Empress of the Nile)』と呼ばれた。

もうひとつの『マリア学的』展示物であるコプト写本『タアンマラ・マリアム/Ta' ammәra Maryam(マリアの奇跡)』には、聖母が生まれつき足の不自由な男を癒す場面がいくつか描かれている。また、コプト教の殉教者、聖メナス(クリストファー、St. Menas 285-309)の肖像が描かれた土瓶のコレクションが展示されており、現代のルルドへの巡礼者が聖水の小瓶を持って帰るのと同じように、聖人の墓地を訪れる巡礼者がこれらの土瓶を購入する様子を想像することができる。

ビザンチウムの人々はキリスト教を筆頭に、異なる文化を融合させることができた活気に満ちた社会で生きていた。例えば、エジプトのダイル・アル・スーリヤン修道院(Dair al-Suryan)の詩篇には、エチオピア語、シリア語、コプト語、アラビア語、アルメニア語の5つの言語で詩篇のテキストが列記されている。

記者は、チュニジアの小さな『祈り』のランプに注目し、イエスの言葉を思い浮かべた。『ともしびをともして、それを器で覆ったり、寝台の下に置く人はいない(ルカ8:16)』。「私はこれらの大きなイコンを、大勢の天使や聖人たちに囲まれた聖母マリアのユスティニアヌス帝 (Justinian 483-565) の時代に遡る最古のイコンも含めて、何時間でも見ていられた。しかし、チュニジアのこのランプのように、私が最も感銘を受けたのは、人々が家に置いている小さくて『質素な』物だった。それらは時代を超越した空間に私たちを連れて行き、そこで毎日使われていたものが日常生活の枠を超えて、私たちを神聖な領域へと導いてくれる」とセントーレは述べた。

Fr.jj / New York



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