年賀状じまい、始めてみました

検索してみて「年賀状じまい」という概念があるのに驚きました。

仕事上で関わっている10代後半から20代前半の若い人に尋ねてみると、年賀状なんて、誰も出していない、というのことに、これもまた驚くのですが、少なくとも今10代後半から20代前半の人たちにとっては、既に年賀状というものは存在していないわけで、「年賀状じまい」をするのは、もっと上の世代、例えば僕のように60代の世代に特化したことなのだなあ、と思います。

実は僕は、年賀状というものが好きではありませんでした。
若い頃は、そんな「虚礼」いらない、付き合うべき人とは自ずと日常の関わりの中で付き合っている、そうした人とは年賀状なんかあってもなくても関わっているし、「年賀状だけのお付き合い」なんて意味がない、って思っていた時代が長くありした。

けれども連れ合いは、年賀状を出すことを大切にしていて、コンピュータやプリンターが普及する前は、理想科学の「プリントゴッコ」で年賀状を作っていました。でも、正直言って僕はそれが面倒くさい作業だと思っていました。

2010年、出来合いのイラスト集のイラストの組み合わせで年賀状を作るのも「なんだかなー」と思い出し、とは言え、絵心のある人間でもなかったので、自分の好きなタロットカードをモチーフにして年賀状を作り始めました。
コンピュータでスキャンしたり、加工したり、印刷したりしながら作るようになりました。自分の好きなものに、少し寄せた年賀状を作るようになったわけです。
でも、やっぱり「虚礼」だよな、みたいな思いはありました。

今年(というか、来年のため)の年賀状を作る時期になって、連れ合いが、年賀状は今年で終わりにしよう、と言い始めました。
年末は年を追うごとに忙しく、慌ただしくなり、年賀状を作るという作業が難しくなっているということを踏まえた上でのことでした。

年の瀬を迎えて、年賀状を時間をかけて作る(昔は一通一通手書きで書いていたわけですし)みたいな時間が、今はもう夢物語のようなことなのは事実だし、この数年、年賀状は12月30日に慌ただしく作成する(コンピュータの年賀状作成ソフトがあったればこそ、のことです)のが常態だったので、その提案は妥当なものと思いました。
それに、年賀状代も決して馬鹿にはなりません。
年末年始は今だに結構お金がかかる時期ですから、無駄な出費は1000円でも100円でも抑えたいところです。年賀状代は、そこそこの価格になるので、それを削減することは家計に少なからず与します。

というわけで、「今年で年賀状は終わりにする」ための文例を検索してみたところ「年賀状じまい」という概念に出会ったわけです。
例えば、40代向け、50代向け、60代向け、のように文例がサイトに掲載されています。このあたりの世代は「年賀状世代」で、それを止める作業をしなければならない世代なのだと分かります。

今回、そんな文例も参考にしながら、「年賀状じまい」を始めたわけですが、意外なほどに悩んでしまいました。

年賀状なんて虚礼だ、本当に付き合う必要のある人とは年賀状を出そうと出すまいと関わっているのだから、なんて思っていたわけですが、実際に、今回で年賀状を最後にしようと思ってみると、やっぱり何十年も続けてきた習慣を変えることにともなう抵抗が自分の中に浮かんでくることに気づきました。

例えば。

年賀状でしか付き合いのない人がたくさんいます。
もう何年も会っていないし、おそらく、これから先もよほどのことがなければ会うことはないし、もしかしたら次に会うのは、僕が死んだ時のお葬式の参列・列席者としてかもしれないという人もたくさんいます。

でも、逆に言えば、年賀状は、生存証明みたいなもので、「僕はまだ生きているよー」と、年に一度伝えるものなのかもしれません。年に一度打ち上げるビーコンみたいな。
遠い場所に住んでいて、おそらくはこの先一生会わないかもしれない相手からの、年に一度の生存確認のための「狼煙」のようなもの、年賀状ってそういうものなのじゃないかな、と、ふと思いました。

「年賀状じまい」は生存ビーコンを上げることの拒否、自分はこの先いつまで生きるか分からないけど、ともかく自分が生きていようと死んでいようとあんたには関係ないからね、というメッセージなのかもしれないな、とも思いました。

それを「虚礼」だと思えたのは、それからどんどん人とのつながりが増えていくことが想定された若者ゆえの傲岸で、

「年賀状」世代が「年賀状じまい」をする作業は、どんどん細くなっていく社会的なつながりを、自ら拒否する作業なのではないか、と思いました。
そして、その意味が那辺にあるのか?、とも。
それは、「年賀状」世代の僕らがやるべきことなのか?、とも。

そんな考えが、思い浮かびました…。

でも、とりあえず、今どきの流行りにのって、「年賀状じまい」と試してみます。

数年後、突然また、ウチからの年賀状が届いても、笑って受け止めていただけることを願いつつ。

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