第4話

聲の形

今日、『聲の形』がテレビで放送されていました。(何か今日は敬語の気分です)

始めから涙脆い僕は涙が止まりませんでした。

ここから僕の思ったこととかを書いていきます。(語彙力はないので映画をみた方が早いと思います)

聴力に障害のある女の子が転校してきました。

その女の子にガキ大将の男の子がいじめてしまいます。理由はみんなと違うからとかいじるのにちょうどいいからなどあるのかなと僕は思います。

小学校高学年のあるあるですよね。

補聴器をその女の子はつけてるんですけどその補聴器を何度も何度も壊したり無くしたり女の子の耳を引っかいてしまい耳から血が出るなどのことがあり女の子の親がいじめてるんじゃないかって学校に言うんです。

それを学校から聞いた男の子の母親が男の子と2人で相手の女の子のところに行くシーンがあるんです。

母親は銀行のお金を下ろしてから行くんです。
壊れた補聴器のお金を返すため。医療費とかも含まれてるのかなと思います。

男の子の母親はお金を渡した後、女の子の母親をつれてどこかに行きます。

帰ってきたときには母は耳から血が出ていました。

理由は女の子の耳を傷つけたからだと思います。

僕だったら一番大切な母親が自分のせいで傷ついた。って思うと思います。

小学生からしたら大きな出来事ですよね。
涙止まりません。

これだけでも涙が止まりませんでした。
後は映画を見た方が良いと思います。
今話したのは本当に始めの出来事ですのでここからどんどん人間関係や登場人物の思いなどなど感動ポイントがたくさんあるので是非!

障害について

僕の思う障害は生きていく上で困ること(人生の壁的なもの)だと思います。

壁は乗り越える、壊すなど対策は何個もあります。

僕にも障害はあると思います。

世間一般の障害ではなく、例えば泣き虫とかでしゃばりとかも僕にとっては一つの障害なのではないかと思います。

『障害者』で分けなくても誰の心の中にも大きくても小さくても多くても少なくてもあると僕は考えます。

今回出てきた小学生はまだ世界も小さく仕方のないことだと思います。誰でもある経験だと思います(対象は誰かではなくいじめたり陰口を言うことが)。

いじめやすいとか小さな考えにこだわらずこの人はこういうことがあることを分かって思いやりをもてばいいんじゃないか。

思いやりがあれば話は終わるんじゃないか。

って学校の先生みたいですけど、思います。

考え方が人それぞれなのも当たり前のことです。

今回の『聲の形』を見て僕が思うのは

自分は誰かに愛されて生きている。
だから死んでしまえば愛した人は必ず悲しむ。
何があっても必死に生きてれば何か必ず変わってくる。

そんな風に今回考えました。将来もう一度見ればまた違う考え方ができるのかなと思いました。