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第一段階、この絵どうしたらもっとよくなるか と 架空お茶会

木立の横の水仙を描いてみた。

地面から生えてる植物を描く場合、、写真でもそうだけど、木立だとか、壺だとかを一緒に画面に入れるとなんとなくまとまりやすい、と勝手に思っている。
ちょうど木立の横にひと塊り水仙が咲いていたので、取り敢えず難しいこと抜きで、樹の横に水仙という感じで配置してみる。

写真がこれなのだが、ひと塊りの樹だと思っていたら、手前が南天で奥の二本は木蓮だった。
スマホ画面で写真など見ながら描いてもこんなもんだね。
何となく、いい加減に描いた樹にリアリティがないよ。
これはやはり、現場で描いた方がいいね。
今日はまた雨だから別のことをするけど。
それと、水仙の描き方、この株の断面は丸いということを忘れないで。
この絵では、長細い板のような断面の上に生えてるようではないか。


ジトジト春っぽい雨が降っているので想い出話など。

自分って絵を描くのがちょっと上手いんだと思った最初は、一年生に入学して直ぐくらいかな、地域の学童用のお絵かきコンクールみたいなのに出してもらったことかな。
それまで、何の取り柄もなく、幼稚園のお遊戯会では端役でオドオド、走ったりするのも苦手、ビリ。学校の勉強は、なんというか学校というシステムがよくわからず、何か怯えていたね。

そのクラスの中の男の子で、すごい優秀な子がいてね。何をしても卒のない子だった。
その子がね、図工の時間、必ず私の描いてる絵を見にきてね、「〇〇さんはうまいなぁ」と言って去って行くのであった。
あまり人に褒められたことなかったから、今思うとそれが結構大きな力になっていったのかもね、と最近思う。
その子はね、優等生で誰からも褒められる存在だったから、人のいいところを見つけて褒めるのなんかも、ごく自然に出来たのだと思う。

高学年の頃、少女漫画の真似をして描くのが楽しみごとだった時期があって、描いた似顔絵を漫画雑誌にこっそり投稿したら載っちゃってね。
誰にも言わなかったのだけど、なんとその優等生の男の子がその雑誌に私の名前で絵が載ってるってことを見つけて、みんなの前で披露しちゃって、なんだかすごく恥ずかしかった。
なんでそんなの見つけちゃったのか知らないけど、お姉さんか妹かがいたのかな。

今までそんな優等生の男の子のことなんか忘れてたんだけど、何年か前の同窓会でもうなくなってしまったのだということを聞いた。
優秀な人だったから医者になっていたそうだけど、自分の命は別ものだったのだね。

なんだかお礼が言いたくて、最近朝のお茶時間に時々招待している。
いやなに、あの世なんて紙一重で繋がってる。相手はあの世の人だから移動は自在。呼べば来てくれていると思う。
他にも、もう早くも旅立ってしまった同級生だとか、ご近所の方とかも招待する。生きている間、そう親しくしていたわけでもない人でも、亡くなったと聞くと、時々は思い出して、朝の架空お茶会に招待するようにしている。


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