介護が必要になっても、毎朝納豆を食べるには

最近よく思うこと。

尊敬している介護関係者は、課題が自分ごとであるため、爆発力を持っている。

爆発力を羨む私は、介護について、とことん自分ごとで考えてみることにした。

「自分は、どんな介護を受けたいか?」

と問う。

「特別贅沢なんて望まないから、毎朝納豆食べれれば良いかなぁー」

ふと、思った。

毎朝納豆食べられなくなったら、確実に機嫌が悪くなる。

しかし、

時は一瞬止まった。

あれ?

「もしや、食事に全介助が必要だとしたら、毎朝納豆食べるってめっちゃ贅沢だったりしない?!」

贅沢だと考えた理由は難しいからだ。
なぜ、難しいのか

ケアとマネジメントと制度の3つの視点で分析する。

1 .ケアの視点

訪問介護サービスを利用した場合、家族が納豆を用意してくれたら、毎朝納豆を食べられるかもしれない。

施設入所したとしても、持ち込みありなら有り得る。

しかし、ここで1つ問題が生じる。

納豆くさい問題。

くさいと思われてんだろうなぁって、
申し訳ないなぁって思いながら食べる納豆ほど不味いものはない

それは体験済み。

毎回、介助者に悪いなぁと思われながら、食べるのは気をつかうなぁ。

あと、施設入所してる場合もまわりの人に嫌だと思われそうで、納豆を食べるという人生を早々に自ら終わりにしてしまう未来を想像した。

QOLの大暴落必須。

そこで、どうしたら美味しく食べられるかなぁと考えた結果がこちら。

納豆好きな介護職員が一緒に食べながら、介助してくれたらアリ!大アリです!気になっちゃう罪悪感が一気に減ります。

これだ!

2.マネジメントの視点

とはいえ、
毎朝1人のために介護職員が一緒に納豆食べながら食事介助っていうのは

時間もかかるし、
納豆苦手な人は介助に入れないし、
めっちゃ大変ですよね 汗

これは、介護保険内での対応は厳しい。追加料金もらいたいところ。

一体いくらくらいかかりますかね。

例えば、自費サービス1時間 6000円とする。

1ヶ月で大体、、、

6000円×31日=18万6000円!

ぬぅおー!!!!

無理です。ごめんなさい。
1時間単価3000円でも払えません。

こうして、納豆を食べるという 当たり前の大切な習慣は、月に1回の 楽しみ とかになってしまうのだろう。

こんな未来耐え難い。

こうやって、利用者の当たり前の習慣も、贅沢なことになっていき、諦めざるを得なくなってしまっていくのだろう。

こんな些細なことも諦めなくてはならないのなら、
無数の諦めが発生する。

その諦めの連鎖を食い止めるのが、我々介護職の仕事だ

私が、全介助が必要になっても毎朝納豆を食べるためには、

食事介助ロボットの開発
もしくは
私が個人の努力で金持ちになる
もしくは
奇跡的に、超サービスの質が高くても安価な介護サービスを受けられる

といった ことで実現できる可能性は数%は残されている。

食事介助ロボットの開発が1番可能性高いかな。

3.制度の視点

最後に、制度の視点で考える。

介護職員が、利用者への食事中に一緒に食事をとるということは、介護保険内サービスとなるのか?

訪問介護では、今のところ現実的ではないですね。

一方、小規模多機能型居宅介護の訪問やグループホーム等では実際にそういったケアが行われているところもある。

食事の場面を考えると、他人から、じっと見守られているのはなかなか不自然であったりする。一緒に食べてほしいなと思ったりする。

認知症状を持つ利用者にとって、そういった違和感が、食事に影響を与え、食が進まなくなったりする。

何より、みんなで一緒に食べると一層美味しいのだ。

職員も一緒に食べるというのは、ケアにおいては良い効果を多くもたらす。

これは、スタンダードにしていくと良いと思う。

しかし、そんな余裕あるはずない という議論が出てくるだろう。

余裕感をいかに生み出すかは、また改めてnoteを書きたい。

このように、自分がどのような介護サービスを受けたいかといった問いについて考えると色々なことに気づく。

みなさんは、どんな介護サービスを受けたいですか?
自分の事業所のサービスを受けたいですか?


本当に受けたいですか?

受けたくないなら、変えていきましょう。
変えないと、そのまま、もしくはもっと悪くなるかも。

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