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介護職が提供するのは、「存在価値」の“気づき”

ふと、

「自分のことは、肉眼で客観的には、一生見られない」

という事実に気づいたりする。

そこには、最強のミステリアスが潜んでいると思っている。

こんなに生まれてから死ぬまで、ずっと一緒にいる人を一生見ることができないなんて。

見られないとわかったら余計に見たくなる。

自分を完璧には、外在化できないから、人は鏡の中に映し出される、偽物を自己の姿と捉えるしかない。

だから、人が自己認識を誤るのは仕方のないことだ。

最近、パーソナルカラー診断を初めて受けた。

そこで衝撃的だったのが、
自分に似合うと思っていた色がことごとく似合わない色と診断されたこと。

それなのに、「私は自分の似合う色をよく心得ている」とさえ思っていた。完全に自惚れていたのだ。

なんと恥ずかしいことだろう 笑

プロに似合う色と言われた服は、自信を持って着られるようになり、安心感を得られるようになった。

また、整骨院では、「水分足りてないと思うよ。」と言ってもらって、初めて、自分に水分が足りてなかったことに気付かされたりもした。

水を意識して飲むようになり、ひどい肩こりが少し緩和された。

「筋肉の質が良くなったよ。」
何気なく言われる一言も、自分では全然実感できてなかったことだ。

それを言ってもらえるだけで、
「良くなってるんだ。」と思えて、前向きになれた。

不思議と身体の状態をより良くするのだ。

様々な専門家と話をすれば、もっと、自分についての知らないことを知れるのだろう。

視点を介護の話に変えてみよう。

利用者は、本人のことはもちろんよく知っている。

一方で、第三者である私たちだからこそ、知れることも多くある。

知っているだけでは専門職としては不十分で、本人に“気づき”を提供できることが求められる。

その“気づき”を本人が活かし、生活をし、
ほんのちょっとでも納得感が得られれば、大成功である。

そんな有意義な“気づき”を多く提供できるのが、
質の高いサービスなのだろう。

私たち、介護職は、1番利用者と接する機会が多いので、“気づき”を多く提供しやすいはずだ。

介護職は、なんの“気づき”を提供する専門職なのだろうか。

わたしは、

「存在価値」

だと考える。

他者が必要としてくれることで、自分の存在価値に気づける。

他者が話を真剣に聞いてくれることで、自分の存在価値に気づける。

他者が、自分が守りたいものを守ってくれることで、自分の存在価値に気づける。

「居場所があるな。」

「生きてていいんだな。」

そう感じられる。

「生きる」 という 全ての行動の根源を支えるのが、私たちの仕事だと思っている。




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