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【地歴日記 #21】 「弓取テ無双ノ勇士有リ」  〜赤松氏の出自〜

こんにちは、地歴研の中二部員です。

さて皆さん赤松氏を知っていますか?

赤松氏といえば嘉吉の乱で将軍を暗殺した悪いイメージが強いと思います。

しかし、室町氏の主要な守護大名である三管四職の四職(赤松氏、京極氏、一色氏、山名氏)の中に入っており、播磨、摂津、美作、備前、山城、加賀などの多くの国の守護を務める大大名でした。

有名な将軍足利義満の養父と言われる赤松則祐を輩出するなど赤松氏は実は非常に将軍の信頼の厚い一族でした。

しかしながらその赤松氏の出自は不明な事が多いのです。

赤松氏の家系について、「太平記」では「播磨国ノ住人、村上天皇第七御子具平親王六代ノ苗裔、従三位季房が末孫二、赤松次郎入道円心トテ弓取テ無双ノ勇士有リ」となっており村上源氏の末裔であるとしています。

ミネルヴァ日本評伝選「赤松氏五代―弓矢取って無双の勇士ありー」によると、村上天皇の皇子具平親王の子師房が源姓を与えることによって始まった一族であり、子孫には公家が多く、例えば、師房とその子俊房・顕房は、藤原道長との姻戚関係を結ぶことにより、左・右大臣を歴任しています。

そういったことから、数ある源氏の中で、最も家格が高いといわれています。

また、太平記に登場する従三位季房は「今鏡」に右大臣顕房の子として確認することができ、季房は丹波守・加賀守を歴任しましたが、天永二年(千百十一年)に播磨国に配流になったとされています。

その後の季房の動向は明らかではなく、子孫がどうなったかも判然としません。

したがって、本当に赤松氏が村上源氏の子孫かは十分な資料根拠を得られていないのが現状なのだそうです。

赤松氏の家系図は様々なものがあり、定説がないのが現状です。

ミネルヴァ日本評伝選「赤松氏五代―弓矢取って無双の勇士ありー」には、様々な説がまとめられているので、気になる人はぜひそちらを見てください。

本心としては赤松氏の活躍について述べていきたいのですがこれ以上書くと文化祭で発表する内容に被る予定なのであまり触れられません。

赤松氏の研究は他の一族ほどは進んでおらず、それは、いくつか理由があり、戦前は後醍醐天皇を裏切った者として、研究を憚られていた時代があり、研究者が少ないなどの理由があります。

そういうわけで、これからの研究に期待です!赤松氏は結構すごいので、この記事を読んで興味を持った人は是非赤松氏に関する本を読むのをお勧めします!