海城中高地歴研

東京都新宿区にある、私立海城学園の地理歴史研究同好会です。 毎週日曜の夕方に部員の書い…

海城中高地歴研

東京都新宿区にある、私立海城学園の地理歴史研究同好会です。 毎週日曜の夕方に部員の書いた記事を投稿しています。 https://kaijo-tirekiken.wixsite.com/homepage

マガジン

  • 地歴日記

    部員たちが書いた「地歴日記」をここにまとめました。 更新頻度は週に1回程度、新しく投稿した記事をこちらに追加していきます。 是非ご覧ください。

最近の記事

受験生のみなさんへ!

X(Twitter)の方でも紹介させて頂きましたが、明日2月1日は中学入試当日ということで、受験生の皆さんへの応援メッセージを有志の部員が書いてくれました。 短い上、拙い文章ではありますが、もし皆さんのモチベーションのアップに繋がりましたら幸いです。 受験生の皆さんが全力を尽くせるよう願っております! ガンバレ! __________________________ ◯受験生のみなさん、もう少しで受験ですね。 これまでの成果を発揮できるか緊張されている頃だと思います

    • 【地歴日記 #26】 蒙古襲来とは? 部員が一から説明します!

      こんにちは。海城地歴研の中二部員です。 突然ですがみなさん鎌倉殿の13人は見ていますか? 鎌倉殿の13人の舞台である鎌倉時代は、他の幕府に比べると期間が短くあまり目立たないと思っている人も多いかもしれません。 しかし、鎌倉時代は権力争いや他国との大戦争など大きな出来事が多く起きた期間でもあります。 ということで今回は、鎌倉時代の大きな事件の一つである蒙古襲来について説明していこうと思います。 そもそも蒙古襲来とは、元(今のモンゴル)による2度の日本の侵略(文永の役、弘安

      • 【地歴日記 #25】 「悪」ではない海賊 村上海賊

        こんにちは、地歴研の中二部員です。 皆さんは村上海賊を知っていますか? “海賊”というと、船を襲撃して金品を奪い取るようなものをイメージする方も多いでしょう。 しかし、村上海賊はそのような海賊ではありません。 村上海賊は、戦国時代に主に瀬戸内海で活動していた海賊であります。 戦国時代、『日本史』を記した宣教師ルイス・フロイスは“日本最大の海賊”と言いました。 では、村上海賊はどのような活動をしていたのでしょう。 主な活動は、瀬戸内海を通る船の航海の安全を保障し、

        • 【地歴日記 #24】 姫路城に行ってきました!

          初めまして、海城地歴研の1年生です。いよいよ九月も半ばですね。 本日は夏休みに行った姫路城について書かせていただきます。 新幹線で姫路駅に着いたところから、もう姫路城が見えました。 姫路城の景観を保つため、景観のために、電気を地中から通していて電柱を作っていないそうです。また、条例で姫路城より高い建物を建てることは禁止されているそうです。 そして姫路駅から歩くこと約15分、姫路城に到着。 門を入った先には、天守が見えます。 この姫路城は、東の豊臣秀頼、西の毛利輝元

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          26本

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          【地歴日記 #23】 「最果ての監獄」 網走監獄

          こんにちは。中2部員です。 夏休みも終わってしまいました。 今回は私が夏休みの間に行った網走監獄博物館について書きます。 まず基本情報です。 蝦夷地こと北海道の開拓を進めていた明治政府は明治集治監を設置し、労働力として囚人を使役し、北海道の防衛と開拓を進ませました。 人口希薄な北海道に彼らが刑を終えたのち住み着いてくれたら一挙両得であるという苦役本分論のもと、明治14年月形町に樺戸集治監、明治18年標茶町に釧路集治監、そして明治23年網走囚徒外役所が北の地の果て小さ

          【地歴日記 #23】 「最果ての監獄」 網走監獄

          【地歴日記 #22】 高橋是清の生涯 〜大蔵大臣としての活躍〜

          はじめまして、海城中学地歴研の中一部員です。 もう8月も終盤ですね。夏休みも終盤になり、宿題に追われるような日々になってしまいました。今更、もっと「計画的にやっておいたらな」と思うこともあります。 さて、突然ですが今回は、高橋是清の生涯、特に大蔵大臣としての恐慌との戦いについて書かせていただきます。 (Wikipediaより引用) 高橋是清は、1854年に幕府の御用絵師の庶子として生まれました。 その後、仙台藩士の養子となります。 そして、1867年に藩命により、ア

          【地歴日記 #22】 高橋是清の生涯 〜大蔵大臣としての活躍〜

          【地歴日記 #21】 「弓取テ無双ノ勇士有リ」  〜赤松氏の出自〜

          こんにちは、地歴研の中二部員です。 さて皆さん赤松氏を知っていますか? 赤松氏といえば嘉吉の乱で将軍を暗殺した悪いイメージが強いと思います。 しかし、室町氏の主要な守護大名である三管四職の四職(赤松氏、京極氏、一色氏、山名氏)の中に入っており、播磨、摂津、美作、備前、山城、加賀などの多くの国の守護を務める大大名でした。 有名な将軍足利義満の養父と言われる赤松則祐を輩出するなど赤松氏は実は非常に将軍の信頼の厚い一族でした。 しかしながらその赤松氏の出自は不明な事が多い

          【地歴日記 #21】 「弓取テ無双ノ勇士有リ」  〜赤松氏の出自〜

          【地歴日記 #20】 圧倒的守りの堅さ 彦根城

          こんにちは。中2部員です。8月ももう折り返しですね。 いきなりですが、今回私は彦根城について書いていきます。拙い文章ですが、是非とも最後まで読んでいただけると嬉しいです。 まず基本情報です。彦根城は1622年に建てられ、平山城で、標高50メートルほどの彦根山に建てられたお城で井伊家が城主の城です。 この城は守りが堅く、外堀と内堀の二つでまもられており、限られた門から入らないといけません。 そして表門口から入ると、まず階段を登ります。 すると鐘の丸と天秤櫓の間にある大

          【地歴日記 #20】 圧倒的守りの堅さ 彦根城

          【地歴日記 #19】 鎌倉を取り戻せ 〜北条時行の動向〜

          はじめまして、海城学園地歴研の中一部員です。 あと少しで8月も中頃ですね。 さて、旧暦の8月中頃では、1335年に東海地方から相模にかけて中先代の乱という合戦が繰り広げられていました。 それにちなんで、今回は中先代の乱の首謀者である北条時行について書かせていただきます。今回の記事は少し長くなりますが、最後までお付き合いください。 北条時行は、正中2年(1325年)に、鎌倉幕府14代執権である北条高時の次男として生まれました。 しかし、当時の天皇であった後醍醐天皇は、

          【地歴日記 #19】 鎌倉を取り戻せ 〜北条時行の動向〜

          【地歴日記 #18】 吉田松陰と“山口県の”松陰神社の話

          こんにちは、1学期の期末試験で過去最低の成績をとってしまった中2部員です。 次のテストからは部活と両立しながら勉強をしっかりしていこうと思います (ちなみに、地歴研部員なのに歴史の成績はテスト教科の中で2番目くらいに低かったです)。 さて、私事で申し訳ないのですが、今度山口県にある松陰神社に行くことになりました。 そこで今回は山口県の松陰神社について予習をかねて書いていきます。 そして、次僕が書くときに松陰神社へと実際に行った記事を書きます。 ① そもそも吉田松陰

          【地歴日記 #18】 吉田松陰と“山口県の”松陰神社の話

          【地歴日記 #17】 大久保利通暗殺の主犯の動機

          海城中高地理歴史研究同好会の中2部員です。 今回は大久保利通暗殺の主犯について書いていきます。 明治11年(1878)5月14日8時30分頃、赤坂の仮皇居に向かうために馬車で紀尾井町を通っていた大久保利通は暗殺者に襲撃され従者と共に死亡しました。 ちなみにこの事件は「紀尾井坂の変」と呼ばれていますが、実際の殺害現場は紀尾井坂付近の紀尾井町であり、紀尾井坂ではありません。 暗殺犯は島田一郎、長連豪、杉本音菊、脇田巧一、杉村文一、浅井寿篤の6名です。 主犯である島田一郎

          【地歴日記 #17】 大久保利通暗殺の主犯の動機

          【地歴日記 #16】 難攻不落の山城 月山富田城

          こんにちは。前回は石垣山城について書いた中2部員です。 前回書いた記事をご覧になりたい方は下記のURLからご覧ください。 今年も無事1学期中間テストが終わったので、いよいよ中1部員が入ってきます。 今年もたくさんの中1部員が入ってきそうです😁 さて、本題に入りますが、今回も城について書いていきます。 今回は、月山富田城という城を取り上げていきます。 前回の石垣山城よりも知名度が低いかもしれませんが、この機会に月山富田城について少しでも知っていただければ幸いです。

          【地歴日記 #16】 難攻不落の山城 月山富田城

          【地歴日記 #15】 田沼意次 〜田沼の先見の明〜

          どうも、先日浜松城について書いた部員です。 前回書いた記事をご覧になりたい方は下記のURLからご覧ください。 皆さんは田沼意次に対してどのようなイメージを持っていますか。 僕が中学受験で使っていた参考書(予習シリーズ6年上)によると、田沼は、大商人の力を利用して、幕府の財政を立て直そうとしました。同業者の組合である株仲間を公認する一方で税を取ったり、長崎での貿易を拡大したりしました。 しかし、幕府と大商人だけに利益をもたらす政策であるとして、批判されました。 という様

          【地歴日記 #15】 田沼意次 〜田沼の先見の明〜

          【地歴日記 #14】 歴史を疑え! 〜鎌倉時代の武士達はどのような集団であったか〜

          こんにちは。中二部員です。 今週はうちの学校ですとちょうど仮入部期間です。部員が沢山入ってくれると嬉しいです。 ゴールデンウィークが終わった後なので、ひとまず気を引き締めるために、少し内容を濃くしました。ぜひお楽しみに!! では、早速本題に入ります。今現在大河ドラマでは鎌倉殿の13人をやっていますね。とても面白いですよね(実はまだ最初の方しか観られていないのだが)。 まだ観ていない人も是非観る事をお勧めします。 さて、そのようなものを見ていると鎌倉武士はどんな戦をし

          【地歴日記 #14】 歴史を疑え! 〜鎌倉時代の武士達はどのような集団であったか〜

          【地歴日記 #13】 ソビエト連邦の国章デザインはどのように出来上がったか

          担当:部長 1922年12月29日、ロシア社会主義連邦ソビエト共和国(RSFSR)、ウクライナ社会主義ソビエト共和国(ウクライナSSR)、白ロシア社会主義ソビエト共和国(白ロシアSSR)、ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国(ZSFSR)は、連邦結成条約に署名し、30日にソビエト連邦が成立しました。しかしその時、国章はまだ出来ていませんでした。 1923年1月10日、ソビエト連邦中央執行委員会は、国章の作成のための委員会を設立しました。そして連邦のシンボルに取り入れるべ

          【地歴日記 #13】 ソビエト連邦の国章デザインはどのように出来上がったか

          【地歴日記 #12】 副部長、熊谷氏について語る。

          こんにちは。海城地歴研の副部長です。 早速ですが、皆さんは「熊谷直実」という人物を知っていますか? 歌舞伎好きの方なら「敦盛」などで知っているかと思いますが、平安時代末期(つまり源平合戦の時)に源氏に味方して戦った人です。 初めは平知盛につかえ、源頼朝が最初に挙兵した時には大庭景親とともに頼朝をボコボコにしました。 ですが、その後頼朝に従い木曾義仲討伐や平氏追討で活躍しました。その中でも一ノ谷の戦いにおいて、自分の子供のような年齢の平敦盛を討ち取った話は有名です。 鎌倉時

          【地歴日記 #12】 副部長、熊谷氏について語る。