見出し画像

さしも知らじな下町コミュニケーション

この日がいつまでも続けばいいのに、と思えるような日々をあなたは何度経験してきましたか?
今日はそんな日の1つでした。

大阪に来て約4年。おかげさまで気をかけてくれる人が少しずつ増え、これまでにプライベートで知り合えた幾人からは花見のお誘いを頂けるような関係を築かせてもらえるようになった。
寄る辺の少ない個人的未踏地を多分に包含する土地に居を据える身としてはこれほど有難いことはない。
日々リモートワークで、本来安寧の地として名高い自宅と刻苦に苛まれる悪所として一般に認知される職場の境界線が曖昧な昨今では新しい身の寄せ先を見出すことに必死で、性格的に他人と深い関係を築くことが苦手な自分にとって自発的にそれを見つけることは、仕事に次いで難しい事柄である。求めれば求めるほど言動が支離滅裂になり空回りする経験を幾度となく味わってきた。
故にお声がけいただけるということは、自分に対して少なからず参加を容認されていて、更に言うなれば一員として何かしらの価値を集団に対して提供できているということであると多少なりとも自負できる権利を頂いているような心持ちになる。
なので安心して赴くことができるわけで、そういった場に於いて
「飯ちゃんと食ってるか?!」
「若いもんはようけ食え!」
「飲んどるか?!足らんのちゃうか?!」
とかしましく声をかけて貰えることで、とうとう自分の居場所が見つけられたか、と胸が熱くなるわけであります。(もう30目前で決して若いもんの枠組みで纏められるべき年齢ではないのだが、大阪的表現を拝借するなら周りは概ね若うないもんなので相対的に若者として扱っていただける現状に感謝するばかりである)

さて、桜も満開の本日、大阪の住吉公園にて花見と銘打ったバーベキューを敢行する旨を受け、しかと馳せ参じしこたま肉とビールと米をいただいた。
誘っていただいた手前何もせず食にありつくだけでは良くないと思いあれこれ出来る事を探していたのだが、見つかったのは何時ものことながら人一倍美味しそうに飯を食べること以外になかった。
しかしながら自分がご飯を美味しくもりもり食べると、特にある程度年齢を重ねた方々はまるで自分のことのように嬉しそうに笑ってくれるので、これも自分にしかできない恩返しなのかなと思う次第である。他にももっとしっかりとした形で恩を返したいのだが、その方法をまだ見つけるに至っていない。
グリルの付近で突っ立っていると』「これ食べや」と肉や海鮮をお皿に入れてくれて、仕事はどうかと身の上話を振ってくれて、密に、そして適度に気にかけてくれるこの距離感がとても心地よく自ずと心を開いて会話することができた。
他愛もない会話で生まれる笑顔にはその場に居合わせた者にしか推し測ることの出来ない価値が確実に存在している。
老若男女入り混じった輪の中で、すべての人が笑みを溢して空気を共有するコミュニケーションの本質であり全てに大阪の地で触れ、少しだけその真髄を学んだような気がする。
実を意識の枠外からほんの少しだけ外に置くような、現実と個人的な非現実が混ざり合うような、大阪下町住吉区的コミュニケーションの奥義を見出すのはまだまだこれから先に続く自分の人生の楽しみとなりそうな、そんな予感がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?