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<旅日記⑮ Sep.1995>マレー鉄道(バンコク→マレーシア→シンガポール)

 

2泊3日、40時間の列車の旅

 わたしは鉄道マニアではないが、鉄道の旅にはあこがれるほうだ。そんなわけで、タイのバンコックからマレーシアをへてシンガポールまで、マレー半島をくし刺し状に縦断するマレー鉄道は、はずせなかった。

 始発から終着まで2泊3日、40時間の旅。乗ったのは、バンコック中央駅を1995年9月28日木曜日の午後3時15分に出発し、30日土曜日の午前7時10分にシンガポール駅に到着するエクスプレスだ。

★追記 当時の手帳にはマレー鉄道のブッキングとして「US$30」とメモがある。28日15時15分、バンコック発で、翌29日昼の12時40分にバタワース(マレーシア北部、ペナン島の最寄駅)着。同地を14時35分に出て、クアラルンプールに同29日21時10分着。同22時35分に同地を出発し、翌朝30日7時10分にシンガポール着。

 このことは、わたしが手帳に書いたメモから確認できた。寝台車だったと思うが、ディーテールはほとんど覚えていない。克明にメモをしておくべきだった。

 その1か月前まで現役の新聞記者だったわたしであるが、9月1日から1か月近くをアジアを旅をしているあいだに、ジャーナリスト精神を失ってしまったのか。

 ただ、いまも記憶にある車中での出来事を3つほど書いておきたい。

 一つは、夜の食堂車で相席となったタイ人建築家といっしょにビールを飲みながら和気あいあいと語り合ったこと。もうひとつは、マレー半島を南下する途中に迎えた荘厳な夜明け。最後は、タイからマレーシア国境を越えた駅で徹底した麻薬検査を受けたこと。付け加えるとすれば、ああやれやれと、土曜日早朝のシンガポール駅に着いたら、あいにくの雨だったことぐらい。

豪快爽快。疾走列車の窓全開の食堂車。

タイ人建築家とビール飲み、語り合った。

まず、夜の食堂車だが、これは実に爽快だった。熱帯アジアをひたすら南に向かって疾走する特急列車の窓は全開。レールのゴトゴトする音とともに吹きっさらしの風が入ってくる。日本の新幹線には存在しない天然のサービスのようなものだ。

 相席となったタイ人の建築家は、当時のわたし(36歳)と同年代で、バンコックからタイ南部の街に仕事に行く途中だった。何を話したのか記憶はさっぱり消え去っているが、かれのさわやかな笑顔はよく覚えている。よその国の人といっしょだとは思えないくらい距離を感じない相手だった。

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 わたしは人の顔を覚えるのが得意なほうではない。しかし、不思議なもので、写真撮影のため、カメラのファインダー越しにのぞいた相手の表情は、撮影した状況を含めてなぜか忘れない。カラーのフィルムではなく、モノクロで撮りたいと思い、そうした。疾走する窓全開の大衆食堂のようなテーブルに瓶を置いて飲んだシンハー・ビアはうまかった。それに、マレー鉄道に乗った40時間の中で、この人と話した1時間あまりの時が一番楽しかったような気がする。

 次に印象に残っているのが夜明けであるが、これはまあ、どこで見た朝日が一番すばらしかったかどうかはその人それぞれの記憶とシチュエーションに左右されるもの。わたしの場合はアジアの国々を1か月渡り歩き、あとは都市国家シンガポールをへてヨーロッパに訪ねる道中にある身として、これが熱帯アジアの大湿原で迎えた真っ赤な太陽だったので印象に残ったにすぎないかもしれない。列車での夜明けのシーンと言えば、こののちにチェコのプラハからポーランドに向かった夜行列車から見た寒いポーランドの凍れる 森越しに真っ赤な太陽が上がった朝のはとても印象的だった。

 正直な麻薬犬は、わたしの前を素通り

とりとめもない文章となってしまった最後は、怖かった麻薬犬と 取締官の麻薬検査だ。マレーシアは麻薬の取締ではとても厳しいとされる国で逮捕されれば終身刑という刑罰が待っている。もちろんわたしには身に覚えのないことであるが、もし、だれかがわたしのポケットやカバンの中に麻薬を入れて密輸を企てたとしたら・・・・。そんなことを考えると怖くなる。

 国境を越えた駅でしばらく停車したかと思うと、麻薬犬とおぼしきジャーマン・シェパードと検査官が車両内を歩いてくる。乗客は一人ひとり、自分の手荷物を持たされている。

 わたしのところに犬が来た。

 正直な犬は、ふんと、通り過ぎた。

 しかし、それに納得しないのは疑い深い検査官。

 「こらっ、こいつ、あやしいだろ。こいつの荷物をもっと嗅げ」とばかりにせっついている。

 それでも、当然なにもなし。やたらとわたしのところだけ長かった。そのあいだは、身に覚えのない薬物が出てきたらどうしょうと肝を冷やした。

 これも、ヨーロッパでの話だが、夜行でスイスからイタリアの国境を抜けたとき、同じような検査があった。そのとき、一晩わたしのヨコに座っていたヨーロッパの若者から何か出たらしく、かれは別室に行ったまま、わたしの隣には戻ることはなかった。かれから、友情のあかしとしてプレゼントを受けなくて、ああ良かった。

 2泊3日、40時間の旅を終えて、シンガポールに降り立った。

(1995年9月28日~30日)

            「てらこや新聞」98号 2013年 05月 31日

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