「人生の豊かさ」について

人生を豊かに生きたいというのは万人の願いだ。では人生を豊かに生きるにはどうすればいいのか。

たとえば、圧倒的な強者になれば豊かだろうか。確かに一見すると圧倒的な強者は、豊かな生活をしている、という見方ができる。しかし、それは本当に豊かな人生なのだろうか。本当は圧倒的な強者という圧力に耐えかねているのではないだろうか。それを示す例はいくつかある。
例えば宝くじの当選者。90%が7年以内に当選金を使い果たす。自殺率もアメリカの平均の3倍である。
例えば大企業のCEO。社長室で拳銃自殺をした大企業のCEOの姿が歴史上観測されている。

これらの例を観察して、私は圧倒的な強者が豊かであるという論理は間違っていると考える。私の考えは、圧倒的な強者になることによって人生が豊かになることではなく、人生が豊かになることで圧倒的な強者になれるのだ。さらに言えば、人生が豊かになることで、圧倒的な強者となる必要はない。人生が豊かになることで、圧倒的な強者になっていることがあるだけだ。ただ、人生が豊かになることで、圧倒的な強者となるとしたほうがわかりやすいため、多くの人がこれを採用しているにすぎないと考えている。

では人生を豊かに生きるためにはどうすればいいのか。最初の質問に戻る。私はウォーレン・バフェットの能力の輪を提唱したい。

自分の『能力の輪』を知り、その中にとどまること。輪の大きさはさほど大事じゃない。大事なのは、輪の境界がどこにあるかをしっかり見きわめることだ

ウォーレン・バフェット

氏の発言は、投資のスタンスについて語ったものである。しかし、私はこれを人生にもあてはめられると考えている。

例えば、あなたは根暗なのに根明なグループに参加しようとしていないだろうか。人と接するより1人で考えることが好きなのに、マクドナルドや居酒屋でバイトなどしていないだろうか。

それが悪いこととは言わない。もし能力の輪の存在を認知していて、それを拡大しようとしてのことであれば、歓迎するべきことである。さらに、潜在能力が開花して、確変が起こるかもしれない。しかし、一般的に人は自分自身のことなんてなにもわかっていないし向こう見ずなんじゃないかと思っている。そして、当たり前にも、豊かであると感じることができないでいるのである。

人生なんとかなるという言葉があるじゃないかというかもしれない。でもそれは人生のステージが下った人が、徐々に上っていく人の言葉だ。決して平社員が社長になって「ほらね、人生なんとかなるでしょ」というたぐいの言葉ではないのだ。大体は分不相応で、戻るべき鞘に戻るのだ。丁度「社長はちょっと荷が重かったけど、また平社員で頑張るし、人生なんとかなるでしょ」といった具合にだ。

だから私は能力の輪を提唱したい。まず自分の居心地のいい場所に収まる。それが自分の中の能力の輪だと知る。そしてそれをどんどんと広げていけばいい。根暗であればまず中庸をめざそう。誰にでも挨拶だけできるようになろう。人と接するより1人で考えることが好きなら、居酒屋のバイトより家庭教師の方が向ているかもしれない。

ところで、私は今難しい本を読もうとして、エネルギーを注ぎこみ、そして本を読む気力すら奪われてしまっている。小説も行き詰って全てを書き直したい気持ちになっている。
私も私の能力の輪を再考しなければならない。ちゃんちゃん。

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