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昔の西武百貨店 高槻店の話。

今はもう高槻阪急だけど。

高槻に住んでいた私にとって、西武高槻は本当に楽しい場所だった。
祖母の家が近くにあったこともあり、小さい頃日曜日はだいたい西武に行った後祖母の家に行くのがお決まりだった。
もう祖母の家は、誰もいなくなってなくなり、元々の敷地に2軒新しい家が建っている。

高槻西武?西武高槻ショッピングセンター?西武百貨店 高槻店?
多分西武高槻ショッピングセンターが正式名称なんだろうか。
小さい頃から「西武」と呼んでいたのでどれが本当の名前かあまりわからない。
そして、関西で西武、そして松坂屋があるということが結構異色なんだなと思ったのは就職して東京に行ってから気づいた。
残念ながら阪急になってしまったが、内装?お店?はほぼそのままで今でも帰ると必ず立ち寄ってほっこりしている。
でも大規模改装が予定されているようですね。
今東京に住んで、池袋の西武には多分ここ15年間くらいの中で2,3回くらいしか行ったことはない。
緑と青の丸いマークの包装紙や紙袋、とっておけばよかった。
包装紙は大事にとってあるんだけどね。
今でもたまーに、あれをみるとほっこりする。

高槻西武の一番昔の記憶というと、4つくらいあって。

小さい頃の私がもっぱら贔屓にしていたのは5階だった。
一番古い記憶は多分、5階にあったパスタ屋さんによく母親と一緒に行っていた。記憶だとパスタ屋さんは2回くらいお店が変わって。
色々調べてたら最初は多分壁の穴?で次がリュリュ?かな。
小さいながらに、パスタ屋さんだけどお店が変わるんだよって母親に言われた記憶があって、メニュー変わっちゃって行かなくなった気がする。
壁の穴、多分だけど、そのパスタ屋さんの和風きのこスパゲティが大好きで、というか親にはそれしか食べさせてもらえなかったというか。
ミートソースとか、カルボナーラとかはほぼ食べた記憶がない。
でも、きのこがいっぱいで、のりもいっぱいで、とってもおいしかった。
2年くらい前に、東京で壁の穴を探してわざわざ行ってみたけど当時のその和風きのこパスタはメニューになかったけど、ほんのり、内装は、もしかしたら壁の穴だったのかな、という感じはした。

でも、その東京で壁の穴に行く前、地元密着型の洋食屋さんで頼んだきのこパスタを食べた瞬間、当時の記憶がよみがえった。これだ!!と思った。
でも、そのお店もなくなっちゃった。

あと5階には、サンドイッチのグルメがあった。ここは結構最後まで残っていたと思う。
ここはたばこが吸えたので子供の頃は入ったことはほぼなかったけど、当時は分煙なんてなくて、むしろたばこ吸ってる人のほうが多いんじゃないかって感じで。優雅にタバコをくゆらせるおばさまおじさまを見て、良いなと思っていた。
自分がたばこを吸い始めたのは24歳くらいからだけど、においとかは嫌いだった。ただ、祖父がかなりのヘビースモーカーで、HOPEをしこたま吸っていて灰皿が満タンになっていて、おばあちゃんに「子供の前ではやめなさい」とよくたしなめられていたのを覚えているけど祖父母の家でたばこの臭いなどに嫌な思い出が不思議とない。
目の前でいつも吸っていて灰皿満タンで、常にあの、扇子みたいなマークのHOPEの小さい箱が常にあって、小さい頃のたばこのイメージはまさにあれだった。
小さいながらにちょっとあこがれのようなものがあった。

私が幼稚園くらいかなぁ、、多分結構な昔にそうそうになくなった記憶がああるけど、1階のメインの入り口入って右手には大きな喫茶店があった。ユーハイムだったかなぁ。ここもタバコがたしかすえて、もっくもくだったから入らせてもらえなかったけど、ここのチョコレートケーキはおいしかった記憶がある。チョコの削ったのがいっぱい乗っていて。
ここも、煙草をくゆらせながら優雅にお茶をしている大人がたくさんいて、あこがれのような場所だった。かなり広かった記憶があって、喫茶店というよりはサロンみたいな感じ。

あとは1階というと、ダンキンドーナツ。当時ミスドもあったのかな?でもグリーンプラザの裏手のほうやセンター街は小さい頃全く行かなかったから存在を中学生まで知らなくて、ドーナツといえばダンキンドーナツだった。
テレホンカード大事にとってあるよ。随分早くに日本から撤退しちゃった?よね。ミスドでいうDポップみたいな丸い小さいドーナツを食べていた。
チョコレートにシロップがかかったドーナツとか、いちご?ジャムが入ったドーナツがおいしかったなぁ。

ダンキンドーナツの横に入っていた、当時なんだろう、第一勧業銀行にも親と一緒につれてかれて待たされていた。すごく広かった記憶がある。
芥川商店街の入り口にあった山一證券にもよく行ってて、ペンギンの貯金箱もらってたなぁ。ペンちゃんっていうんだってね。
今同じ会社にいるひとが昔山一證券で働いていて、そういう話をして懐かしんだ。こたつとかで必死にあっためないと固すぎて帽子の部分だか台座だか忘れたけど、全然開かなくてね。

あとは6階のスエヒロ。ここはお正月、2日とか3日 あたりに祖父母と親戚が大集合して、大きな部屋を借り切ってひたすらすきやきを食べ続ける会があって、年1回のそれはとても楽しみだった。すきやきは家ではめったにでないし、おいしいお肉が頼めばエンドレスででてきた。コーラものめた。お年玉ももらえた。20人とか?もっと少なかったかもだけどその位の規模に感じた。スエヒロじたいもかなり大きなお店だったと思うけど、その奥に座敷が4部屋くらいあって、藤の間とか松の間とか名前がついてた記憶。

高槻西武の食に関する思い出はこのあたりかな。

あとは5階って結構レストランの入れ替わりは激しい時期があった記憶なんだけど、ラーメンの糸車が大好きだった。
ラーメン屋というところに行ったことがなくて、家で出される中華三昧しょうゆ味が私にとってのラーメンだったけど、和風のラーメンセットがとてもおいしくて、こういうラーメンもあるのか!と当時とっても好きだった。
すごく安くて、ミニチョコレートパフェが確か350円とかだったような。
鎌倉せっと、というかやくごはんとらーめんのセットがお決まりだった。
いつ位まであったのかな。私が小学校高学年くらいだったかなあ。

5階というと今はアカチャンホンポとか、もうため息出る感じになっちゃってますけど、当時は本当に楽しい場所だった。昭和50年代後半~平成初期くらい?
レストランがいくつか?あって、子供服はそのころあったっけなぁ。全部文房具売り場とおもちゃ売り場とサンリオだった記憶がある。
当時はガラスケースがいっぱいあって、本格的な電車の模型や、ファミコンなどのゲームソフトもとにかくガラスケースに入っていた記憶がある。
そして、販売員の人達もそれなりの威厳があって、おじさんとかおばさんとかが多くて、しっかりした大人が販売員って感じだった。小さかったからそう思ったのかな。

今の紀伊国屋?のあたりがほぼおもちゃ売り場で、ガラスケースがいっぱい並んでたり、おもちゃの箱がいっぱい並んでいて、大きなスペースにプラレールが走ったりしていた。
当時大人気だった、ひみつのアッコちゃんのテクマクマヤコンコンパクトの初期のモデルは予約しないと手に入らなくて親が西武で予約してくれたんだっけな。

あと、多分平成初期くらいで終わったと思うんだけど、毎年夏になると、5階のエスカレーターまわりがお祭り、縁日みたいな感じになる時期があって、それが毎年とっても楽しみだった。多分私が小学校3年生とか、そのあたりまではやってたはず。あんな百貨店の中に、金魚すくいや水ふうせん?とか出店がでて、それはそれは楽しかった。
小学校3年かに金魚すくいでお店の人もびっくりするくらい、1つのすくう紙のやつで30匹くらい金魚をとって、そのうちの4匹はかなり長生きして、最終的に1匹だけのこったのは、多分20年間くらい生きた。
私が社会人になって東京いってる時にいつのまにか死んじゃってたから、多分そのくらい!

西武は本当にわくわくして楽しい場所だった。子供が楽しめる場所もいっぱいあった。5階にペットショップもあったよね、今もある?昔は結構大きくて、大きな展示スペースに犬やたまに猫がいて、いつも見ていた。
大人になって、まさかうちで猫と暮らすことになってあのお店で色々なグッズを買うことになるとは当時は想像すらしていなかった。

あと、4階あたりには屋上じゃないけど、屋上庭園があった。
松阪屋のにくらべると相当小規模だったけど、ちょっと乗り物があったりしたっけなぁ、あまり人はいなくて穴場な感じだったような。
4階だっけ、5階だっけ、忘れちゃった。今はもう閉ってていけないはず。。

あと、私が15,6歳くらいの時、5階の紀伊国屋から外に出れるドアがあって、螺旋階段で上とかにもいけて、そこがゲームセンターみたいな感じになっていた時期があったような記憶があるんだけど、すごく記憶がおぼろげ、、プリクラとかあった記憶。

あとは関西スーパー、良く行ったな。本当に良く行った。まだ家の近くにスーパーが全くなくて、西武に買い物にいくしかなかった。コンビニなんてものはほぼ存在していなかったし。関西スーパーは当時はオレンジ色の床で模様があった、それがなんか好きだった。
今もほぼ、配置とかは変わっていなくて大好き。
この間帰省したときに母親と買い物に行ったけど、小さなころに戻ったようでとても懐かしく、楽しかった。

関西スーパーの入り口には「にらめっこ」という駄菓子屋さんがあって、子供が遠足にいくときはだいたいそこでお菓子を買っていた。私の家からかなり遠いところにある、今でいうコンビニみたいな位置づけのお店か、にらめっこくらいしか、安くてたくさんお菓子買えるところはなかった。
私は西武のほうが良く行くから、にらめっこ派。
今でこそ、懐かしい、という感じだけど、当時は普通だった。
駄菓子というものが、なつかしいもの、じゃなくて、遠足とかにもっていくような安いやつ!って感じの位置づけだった。
ポッキーとか買っちゃったらそれだけで100円とかになっちゃって他何も買えないから、駄菓子って感じ。
にらめっこの袋はとうめいに、ピンクとブルーの模様があったっけなぁ。今ほんのり思い出したけど、違うかも。にらめっこもいつのまにかなくなっちゃった。

そして、お花屋さんがある反対側には小僧寿しだったか、お寿司やさんがあってどらえもんとかのキャラクターの箱にちらし寿司とか入っているセットをたまに買ってもらった。

あとはルノートル、パンやさんにもすごくよく行っていた。今もパン屋さんあるけど違うよね。ルノートルが確か日本から撤退するとかでなくなっちゃったんだよなぁ確か。
ここのブリオッシュや、かいじゅうパンって読んでたんだけど、普通のバターロール?みたいな感じだけど、コッペパンみたいな形でつのが3つくらいあるパンがすごく好きでよくかってもらっていた。

今の小さい子供たちはそう感じるのかはわからないけど、とにかく私が小さい頃は百貨店がすごく勢いがあってにぎわっていて楽しい場所で、大人たちはみんな豊かだった。子供ながらに、体に悪いからとか、さぼるからとか、ゲームばっかりやるようになるからとかで買ってもらえないとかはあったけど、どこの家もお金に困っている感じもなかったし、大人たちはみんな豊かだった。良い時代だった。
バブルがはじけた時期も、全然子供はそういうのは感じなかったなぁ。

中学生になって大人気のボデイショップが1階に入った時は本当にうれしかった。高槻なのに、かなり早い段階でよくきたな、と思った。
かなりタイムリーだった記憶がある。
当時西武にボディショップがくるまではどこで買っていたっけ。梅田とか心斎橋とかそのあたりまでいかないと無かった気がする。最初のほうは入場制限してたりして。人気の、たしかアプリコットのリップバームとか、目の下にぬるやつとか、かかとのお手入れする軽石クリームみたいなのは運が良ければあるって感じで。
今のはやりはいまいちわかんないけど、今でいうイソップとか、オーガニックブランドがみんな好きで買って使っているように、当時はボディショップが大ブームだった。

あとは、同時期おしゃれに目覚め始めた時には、今たしかコムサとかあるあたりのエスカレーターの横らへんにスズタンとかあったり、カバンやさんとかあって、あのあたりは結構ごちゃっとしていた。けど、背伸びできるようなものを買える場所だった。あのあたりいつもかなり混んでた記憶がある。
今って割とすいてるもんな。。

大学生くらいになると、今もあるけどインポートのセレクトショップ、名前どわすれしたけど、そこでよく服を買っていた。というかほぼそこで買った服だった。

ひたすら高槻西武の記憶をしこたま書いたけどこんなものかなぁ。

今も阪急になっても当時の面影はところどころに残っている。
メインのエントランスの、れんがみたいな床はそのままだし、ここも多分オレンジ色とかだったけど、今ほとんどはげちゃってるけど。
3階とか4階あたりは紳士服とか婦人服、宝飾でかなりかしこまった印象だったから、親についてたまーーにいくくらい。一回迷子になって泣きそうだった。

今も帰省すると必ず行く、大好きな場所である。
駅から2階につながるデッキには屋根ができ、デッキ途中に店もでき、デッキは最近向こうのほうのタワマンとかともつながって発展にびっくりしている。

芥川商店街も当時はかなり栄えていていつも混んでて、西武にないものは芥川商店街にいったりしたっけなぁ。アクトアモーレ?のそばじゃないほうの芥川商店街、今度帰省したときにいってみたい。阪急も大規模改装して面影消えちゃう前にちゃんと行っておかないと。
私が幼稚園とか小学校だったころの、館内の写真とかどこかに残ってないのかな。もう阪急だしそういうのやんないんだろうけど・・・

今みたいにスマホでどこでも写真取れない時代というか、そもそもカメラ日常的に持ち歩いてないし、観光いったときに、24枚とかのフィルムだから厳選して撮って、しかも現像するまでちゃんととれてるかわからんって時代だったからな。当時のあの、当たり前だった風景を撮ってる人なんてきっといないんだろう。

すっごい長くなったけど、当時の高槻西武の記憶。
同時に、小さい頃の家族との思い出や青春の思い出と繋がる大事な記憶。

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