見出し画像

「仕事」に出会った2年

ある人の誘いで障害者福祉に熱い法人へ転職しました。すでに当時は結婚してましたし、県外へ引っ越すことにもなり、今思えば大胆なことをしたな、と思うのですが、それより「期待が高まり胸いっぱい」という感じでした。

新規立ち上げの事業所だったので、いきなり現場責任者みたいなのを任されました。障害者施設の経験はありましたが、どちらかというと高齢者畑の人間だったので支援方法が分からず、後輩の仕事ぶりや考え方に目を開かされることばかりでした。

そんなある日、自分の高くなっていた鼻をポッキリと折られる出来事を経験しました。

ケース検討会をした時でした。私が担当する利用者の基本情報を一通り話した後の法人理事長の質問、「この人はタンザイ療法なのか、タザイ療法なのか」という質問に答えられませんでした。「タンザイ」か「タザイ」かどちらなのか分からなかっただけでなく、「タンザイ」「タザイ」の言葉の意味自体が分からなかったのです。

「タンザイ」とは単剤、「タザイ」とは多剤。つまり、ひとつの薬で治療しているか、複数の薬なのか、を問う質問だったのです。あとで調べて(知識を試されたんだ…)と思って、ショックで恥ずかしくて悔しくて。

私には世間を斜めに見る、というか、性格がひねくれてるところがあって、星一徹みたいな人(例え、古)を見ると冷笑してしまうような人間でした。(なに、熱くなってるの?)みたいな。
それが災いして上司からかなり叩かれました。プライドぺしゃんこ。両手で肩を掴まれて、揺すぶられて「目を覚ませ!!!」と言われているような毎日でした。

しかし、そのおかげで自分の足りないところが明確になりました。そして仕事の考え方、進め方、ふるまい方を学びました。「今まで仕事をしてこなかった」といっても過言ではない感覚になりました。

…とまあ、当時のことを冷静に振り返るとそうなんですが、渦中にいた頃はそんな余裕もなく、たった2年でケツを割ってしまいました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?