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自己紹介

皆さん初めまして✨
高原そば壱心の田尾と申します。
どうぞよろしくお願いします🙇

まず始めに簡単に自己紹介したいと思います。
私は島根県の奥出雲町という町出身で、現在27歳です。
そんな自分が現在も住んでいる奥出雲町という町は、古来から日本刀の原料となる玉鋼を製造する【たたら製鉄】が盛んに行われて来た町で、現在でも日本で唯一【たたら製鉄】が操業されています。

特に奥出雲町は食べ物が非常に美味しい町で、全国コンテストで何度も金賞に輝いている【仁多米】を始め、【奥出雲和牛】、【奥出雲そば】、【奥出雲舞茸】、【地酒】などここに書ききれないほど美味しい食べ物が沢山ある町です。

そんな私は昨年、実家がある【三井野原】で蕎麦屋を開業しました。
三井野原という土地は自分の祖父達が香川からやってきて開拓した【開拓地】です。
何より三井野原にはスキー場があり、昔は木次線を利用してスキーをしに来られた方が沢山おられました。
しかし、時代の流れでスキー人口もだんだん減ってしまい、数年前には町が経営するリフトも廃止され、今となっては父親がしているスキー場だけになってしまいました。

地元の紹介はここくらいにしておいて。。。笑

三井野原に生まれた私は幼稚園から中学校までは奥出雲町で過ごし、高校は出雲の高校に進学しました。
高校卒業後は一度就職したもののすぐ退職してしまいました。その後は出雲でバイト生活をしていました。
19歳の時、その当時自分がEXILEのファンで知り合いの人から奥出雲町にEXILEのジャージが飾ってある蕎麦屋があると聞き、蕎麦を食べに行った時に手打ち蕎麦を始めた時にこんなに蕎麦って美味しいんだと衝撃を受けました。
その後も出雲でバイト生活をしていたのですが、この先の事を考えた時に、実家がある奥出雲町に戻ろうと思いました。
その時に蕎麦屋に行った時の事を思い出し、蕎麦職人になると楽しそうだなと思い蕎麦屋で働き始めました。
蕎麦打ちを実際にみていると自分にも出来そうだなと思ったんですが、実際蕎麦打ちをやってみると全く出来ず、ボロボロの蕎麦になってしまいました。。。笑

その後何回も蕎麦打ちを練習すると少しずつ蕎麦打ちが出来るようになり、一年経ってようやくお客さんに出せる蕎麦が打てるようになりました。修行生活も長くなるにつれて、自分が生まれ育った【三井野原】で蕎麦屋をOpenしたいという気持ちが強くなって来ました。

7年間蕎麦打ちを修行させて貰い、遂に昨年の4月に【高原そば壱心】をOpenする事が出来ました。
Open当初はなかなか自分が思うような蕎麦が打てなくてかなり苦労し、何度も涙を流しました。

その後、何度も蕎麦打ちを繰り返すうちに少しずつと自分が思い描く蕎麦が打てるようになり、今では自分が納得できる蕎麦が打てるようになりました。

お店には自分の同級生や知り合いの方、地元の方が沢山来てくれます。
自分が打った蕎麦を美味しいと言って下さるのが本当に嬉しいです。
まだまだ未熟な自分ですが、これからも一生懸命美味しい蕎麦を作っていきます。

大変長い長文申し訳ありません。
時間がある時に読んで頂けたら嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします🙇


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