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地域の物語を知る

都農町に派遣されることとなって、最初に取り組んだのは「都農町を知ること」だった。県職員としての私にとって、都農町は26市町村のうちのひとつでしかなく、具体的にどういう自治体なのかはさっぱり知らなかった(ということを後から知った)。

個人的には、極めて親近感のある自治体だった。

たとえば都農ワイン。小畑社長や赤尾工場長とは、「みやざきアピール課」時代からずっと親しくさせて頂いている。東国原さんの時代、知事を支える県職員という扱いで、TBS「ブロードキャスター」に追っかけ取材された際にも、自分が都農ワインを積極的にプロモーションする映像が使われた。

都農ワインのラインナップは本当にどれも美味しく、他の日本ワインと飲み比べて負けたと思うことがない。余談だが、特にお気に入りなのは「HYAKUZIエクストラセック」だ。都農町で最初に葡萄の木を植えた「永友百二」さんにちなんでネーミングされたこのワインは、シャルドネのスパークリング。滋味深い味く華やか。自分へのご褒美ワインとしてとても重宝している。

都農神社もまた思い入れのあるスポットだ。家人の実家が隣接する川南町にあるため、結婚後は、初詣での都農神社参りが定番化している。また、隣接する「道の駅」で野菜を買い込むのもここ数年来の楽しみだ。

まあ、もちろん、全部が全部良い思い出ばかりでもなくて「都農尾鈴マラソン大会」に出場した際には、練習不足で、やっとのことゴールした後、境内内でしばらくひっくり返っていたこともあった(ちなみにこの時がハーフのワースト記録である)。

そんな風に、何かと思い入れがある都農町ではあるものの、それはただの「思い」であって、町の施策とは直接関係しない。行政マンとしては「思い」だけではなく地域に対する「知識」が必要なのである。

そこで都農町という自治体としっかり向き合うために、まずは総合長期計画といった各施策集や、観光パンフレットといった情報を集めてきては、じっくり読み込むことを始めた。また、書いてあることでわからないことがあれば、各課に出かけていき、資料を貰ったり担当者から教えを請うたりした。

そんな情報収集活動の中で、もっとも有意義で、もっとも都農町のことを理解できたと感じられたのは、毎日のように行われた町長とのディスカッションだった。何しろ熱い人であるから、いったん町長室に入ると1時間2時間と話し込むのは当たり前。ときには4時間を越えるときもあった。

3期9年目となる町長は、役場職員からの叩き上げということもあって、あらゆる分野に詳しい。そんなディスカッションを経て、ひとつ一つの施策に(当然のことながら)歴史があることもわかってきた。

たとえば「道の駅つの」について。

外部から見ている分には、数年前にできたばかりの、県内有数の人気・道の駅、という程度の認識だった。ところが、話を聞いてみると地域の人たちの思い・思惑が交錯し、開設までには相当な紆余曲折があったことを知った。

道の駅建設については町長選挙の争点ともなり、町を二分する大騒ぎであったこと。道の駅を地域活性化の起爆剤にしたいという推進派と、道の駅をつくっても人はこない・税金の無駄だという反対派の対立だったこと。また、口蹄疫で大きな被害のあった都農町にとっては復興のシンボル的な位置付けであることも改めて知った。

言われてみれば「ああ、そんなことがあった!」と少しずつ思い出した。その時々ではメディアの報道を見聞きして、それぞれ「点」としては知ってはいたのだ。でも、当事者感が薄いため、点と点が繋がらず、「道の駅」の全体像がまったく描けていなかったのだ。

そういった歴史やストーリーを知らないものは無力だ。適切な配慮ができない。ひとつの施策にどのような思いが込められているのかを知らないでいると、ついつい今の時点だけで物事を判断してしまう。その地に暮らし、その地を支えてきた人たちの思いがあってこその町の施策でなければならない。

町長とのディスカッションを繰り返す中で、いかに自分が都農町のことを知らなかったかを思い知ったし、もっと言えば、都農町に限らず他の25市町村のこともさっぱり知らないのだ、という自覚も生まれた。

地域の物語に関心が高まってくると、今後は逆に町長だけとのディスカッションでもダメだな、と思うようにもなった。町長が語るのは町長というフィルターを通した都農のストーリーである。もっと色々な年代・立場・思考の人と、色々な話をしていかないと、都農町の本当の姿を捉えることができない。

地域行政は、なんとも奥が深いのだ。

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