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大阪21日目は、県人会の歴史を想像した

近畿県人会の皆さんは、第二次世界大戦中〜戦後生まれ(団塊の世代あたりまで)の方が多い印象(統計データがないので)。西暦で言えば1940〜1950年頃生まれ、年齢にして70代半ばから80代半ばあたりではなかろうか。

聞いた話半分、想像半分で書くと、この世代の皆さんの多くは、まだまだ日本が豊かになる前の時代に集団就職(1954〜1977年)などで近畿エリアへやってきて、生活の拠点を築いてこられたようだ。

近畿県人会は設立して70年近いというから、たぶん初期の集団就職組が就職して間もない時期に母体が立ち上がったのだろう。

固定電話もまだ普及していなかった時期(1970年時点で普及率は30%以下)に、見知らぬ土地に住んで慣れない仕事をしている日々のなかにあって、方言が通じ、同じような体験をして育った人同士、どれだけ安堵できたかは想像に難くない。

そして、そんな仲間たちが集まれば、自然とふるさとの話に花が咲くであろうし、高校野球や高校ラグビー、高校駅伝など人気競技の大会があれば、ふるさと代表チームへの応援に力が入っていくのだろう。


今風に言えば、宮崎ファンによる「推し活」。

県民からすればこれほど有難い存在はない。だからこそ副知事をはじめとした県の幹部、県議会議員、市町村の首長、市町村議会議員といった地元の代表者たちが交流会に顔を揃え、この思いに応えていくのだな。


一方で、近畿県人会に限った話ではないが、次世代の加入が少なく、会員の平均年齢は上昇の一途を辿っている。今回のふるさと訪問の行程でも、坂道や階段などでは歩行が厳しい方が1〜2割はいらっしゃり、目的地についても下車せずバスで待機する方もあった。

県人会をどう維持していくのか、育った環境も価値観も異なる若い世代にはどのような繋がり方が良いのか、いろいろな課題に気付かされた宮崎旅だった。

それでも皆さんそれなりに楽しんで(お声かけした方全員「あー楽しかった!」と)、そして何より全員無事に全行程を終えたところで今回のミッションはコンプリート。


(メモ)
・高千穂あまてらす鉄道〜高千穂神社〜高千穂峡〜トンネルの駅〜内藤記念館
・宮崎港発・宮崎カーフェリーにて一路神戸へ。

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