# 境界は引けば引くほど自分が不幸になる

どんな境界線だって,自分の主観でしかないのだから,影響を受けるのは自分しかいないって.

どうも,しげまです. 境界線は少ない方が気持ちよく過ごせる瞬間に立ち会って,こんなことを思ったのでした.

具体的なシーンは,フラットシェア(キッチン等の共用スペースがありながらも,自分の個室は用意されている住居スタイル) での生活でした. 僕には2人のフラットメイトがいるのですが,1人はパートナーのお家に入り浸っている様子で,実質僕ともう1人での共同生活.どちらも料理好きで,キッチンはかなりの稼働率を誇っています.

問題のシーンはこの先から.食器を使い終わった後の僕と彼の振る舞いが異なるんです. 僕は基本的に使い終わった食器は必ず洗って元に戻すようにしています.一方彼は,溜めてまとめて洗う派.

ただ僕の中で例外もあって,例えば朝フライパンを使うと洗剤と水をつけ置いて置いたまま出て行きます.十分に冷めたあとで洗えばいいし,洗剤をつけおくことで汚れも落ちやすい.こんな考えから,僕も100%自分の食器を片付けられていた,ということはない.

先日,僕は彼に注意を受けました.内容はこんな感じ.

僕1人で食器を洗うのは好きじゃない.君も溜まった食器を片付ける努力をしてくれ.

いや,ちょっと待て.僕は自分の食器は片付けているし,溜まっている食器は君のものじゃないか.俺は自分のことはしっかりやっているぞ,と.

反論しようとしたけど,僕は思いとどまった.

そもそも僕だって自分の食器を完璧に片付けられている訳ではない.先ほどの例外のように100%こなせているわけではないし,ひょっとするとつけおいていたフライパンを彼が洗ってくれたパターンだってきっとあるはずだ.

そう思って,反論するのはやめにした.そして次から,食器が溜まっているシーンに出くわしたときは,自分のものと関係がなかろうが溜まっていれば洗う,片付ける,という風に行動してみることにした.

つまり,”自分の食器”と”他人の食器”という境界線を取り除き,共用スペース(≒自分が生きるためのスペース)は常に綺麗に保たれるべき,という考えを持つことを意識した.

自分で納得することができているので,このことに関して自分が譲歩した,とも思わないし,特にストレスなく問題を解決することに成功した.

差を感じることによる不幸感って他の曲面にも色々あると思う.だけどその差をいかに自分の中で取っ払うことができるか,それによって幸福度も変わってくると思うんだよなぁ.

勿論,全ての問題がこんな食器の問題のように簡単に解決されるわけはないけど,でも”差を受け入れ納得する”ってとても大切な作業だと感じた,そんな瞬間の話.

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