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きらめきに生きて、ときめきに死ね。

前腕筋!上腕筋!背筋!腹筋!大胸筋!
ドーパミン!アドレナリン!人生って楽しいーー!!!

高坂海美(cv上田麗奈)『スポーツ!スポーツ!スポーツ!』

えっ?今年ってもうすぐ終わるの?マジで?今年も何も成し遂げてないのに終わるのか?嘘でしょ?と思ったんですが数字は残酷なまでに正確なので……これが……真実……現実……。
現実と向き合って……書くか、振り返り……。
note公式からの通知で31日までに何か投稿したら6ヶ月連続更新って言われたし……。

2022年も色々あったし色々してたんですが、昨年末ぐらいからプロレス観るのが楽しいと気付いて、推しができて、現地にも行くようになって、むきむきでバキバキの背中を追いかけ続けたというのが今までにない人生の確変でした。
ここ2年で私の流れを変えた女が蓮魔零子なら流れを変えた男は遠藤哲哉になりました。その気があれば人間は変われるし変えることができるし今まで逃げていたことに向き合って始めることができると教えてくれたのがこの2人だったと何の衒いもなく言えます。対魔忍とプロレスラーに人生を大変動させられた人間として生きていきます。

その時々で推してる方が眩しくて、かくありたい、みっともなくないオタクになりたいとダイエット励んだりすることは今まで何度もあったし、何にハマろうとも公式への感謝の課金は欠かさなかったし、感想文やら怪文書やら謎の同人誌やら作るオタク仕草をして生きてきたので、現場に通い、グッズを買い、感想を書こうとしたら怪文書と同人誌になってしまう怪奇現象が起きるといった出来事は通常営業の域だったのですが、何かを示したくてTシャツとパーカー作る日が来るとは思いませんでした。ペンライトに入れる透明シート作るより先に変なTシャツと変なパーカー作りました。なんでだよ。
他の大きな変化としては、私は写真に写ることが嫌いで、カメラからは極力逃げて、プリもろくに撮らずに何十年も生きてた人間なのですが、不思議なことは起こるもので今年になってぎこちない笑いを浮かべながらカメラの前で変なポーズ取るようになったのですけど、それを去年の自分に言ったら1000%の確率で「はぁ!?なにいってんのおまえ!!」って返ってくると思います。毎朝鏡で自分の顔を見るのが苦痛で仕方ないけど社会性を得るという大義のための犠牲と思って自分の顔を鏡で見てる人間がお金払って写真撮って丁寧にファイリングするなんて魂の辻褄合わないからね。仕方ないね。今も自分の顔は好きじゃないけど写真見返すと「楽しそうな顔してんな、キモいけど」と思えるぐらいなったのは大変動だったし最初に行った現地でチェキ撮った時点で何かが既に変わってたんだな、と思います。あの時緊張しすぎてチェキブースで小銭ぶちまけたのを遠藤さんに拾ってもらって「この小銭使えない……」って思った数時間後にサイゼで使ったんだよな。懐かしいな。あの時の小銭たちは今も元気に経済の中を回ってるのでしょうか、私は元気です。
おかげさまでツーショット撮った枚数は推し>>>>>>越えられない壁>>>>>夫になりました。新婚間もない頃に秘宝館でプリ撮ったのが最後なのでそらそうだ。
もっと夫のチェキも撮れ。やだよ……。

冬から訳もわからず走り始めて、春はずっとそわそわしてて、夏は始まりから終わりまで心が浮いては沈んで落ち着かなくて、秋には緊張しっ放しで、そして新しい道筋の気配を感じながら季節が一巡りして、飽きたり熱が冷めるどころか好きの再認識と新発見を繰り返して気持ちが膨れ上がっていく幸せのサイクルが続いていました。
今年の自分を漢字1文字で表すなら間違いなく「発狂」だと思います。
ほぼ毎週のように現場があって、高確率でサイン会やチェキ会といった接近もあることで常に刺激という名の新規の燃料が投入されていたのも走り続けられた理由にはあったかもしれませんが、どんなに頻繁に大量に燃料が焚べられても疲れると立ち止まりヘタをすると脱落してしまうことはこと趣味の領域にはよくあることなので、空気と温かさが気を狂わせるのにちょうどよかったんだと思います。気が狂ってないと福島大会の前泊地に宮城を選んで「ここが推しの出身地か〜!」って鼻息荒くしながら雪が降る夜道を歩いたりしないんだよな。害意のないだけの不審者でした、すいません。白石城の復旧工事終わったので雪が溶ける頃にまた行きます。

傍目からしたら死に物狂いで文字通りケツを追いかけ回してる姿は滑稽に映ったかもしれないけど、遠藤哲哉という人は2021年末以降の私にとっては救いであり……なんだろう、救われたからこそ追いかけるし、直接好きとか楽しかったとかの言葉を伝えたいと思わせた人でした。私が宇宙で最も尊敬するクリエイターの1人である(英語的表現)海沢海綿以来のきらめいた存在です。
そんな、未来への可能性を感じさせて現に広がる夢を見せてくれた人の腰にベルトがある状態で年を越したら素敵だなぁと思っているのでした。
悪いインターネット人間をしてるのでついつい「一生○○してる」って言いがちなのですが、「絶対」とか「永遠」って言葉が嘘くさくてあまり好きではないし、自分が情熱を維持し続けることができないタチなのは知っているので、ずっと推すとは言えない無責任オタクなのですが、もし想いが冷めて離れる日が来ても、きっとこの1年間は間違いなく楽しかったと振り返れてるだろうという確信だけは持ってます。
渇いてた心を満たしてくれて、初めてのことも、過去に手から溢れ落としてたことを拾い上げる機会もたくさんくれて、ありがとうございます。
私は推しの前に立つとIQが虚数になり「ウェヘヘへへへお疲れ様ですウィッスウィッスウェッへへへへ」しか言えなくなるので私の怪文書は推しに届かないし届かなくていいと思ってるんですが誰かに感情を知って欲しいというエゴはあるのでこうしてnoteに書いてます。
ご清聴ありがとうございました。
12.29がいい日でありますように。

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