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森のなかの僕の森

僕の中では、自分の言葉も、学問の言葉も、言葉になっていないものたちも、組み合わさったり溶けあったりして、一緒に暮らしている。

そんな僕だって、もっと大きな森に、埋もれるようにして暮らしているわけである。だから、「自分の言葉」というのは月が地球のものであり、地球が太陽のものであるというときのように、近似的に今の瞬間を捉えて言っているだけである。

「森のなかの僕の森」

noteを書くということは、この森の一部を切り取ることに他ならない。切り取るからには、どこから来てどこに行きそうかを示したいし、できれば読んでくれる人の森にも息づいてほしい。

大きな森のどこから来てどこに行きそうかを示したいときは、学問の言葉で書くことにする(下図左側)。僕の中の小さな森から、あなたの森へそっと送りたいときは、自分の言葉で描くことにする(下図右側)。

森のなかの僕の森

左側の樹について。システムのルールが自然法則で決まっているものを自然システム、ルールを僕たちが作っているものを記号システムとして、仮に分けてみた。神経と言語のつながりを知ることで、この区別は妥当でないと判明するかもしれない。枝分かれは仮のものなので、noteは梢から書いていく。梢が葉を茂らせていくと、生やすべき枝の像が少しずつ見えてくるのではないか。

「こんな葉っぱも生えているのでは」や、「この梢はこの枝につながっていそう」、「この枝はこれらの梢に分けたほうがいい」など、ぜひコメントください。修正を加えながら、このマインドマップとそれぞれのnoteを対応させていきたい。

右側の樹について。その文章の中に一つの世界を感じるようなものを、詩と呼ぶことにする。生活する中できらっと光るものがあったとき、秘めていたものが形をなしてきたときに、詩を書く。あえて、枝を分けることまではしないが、ときどき見返して、テーマごとに詩集を作ってみたい。詩同士がどうしようもなくつながっていて、それを一つの作品で表現したくなったら、かけらをつないでいくようにして小説を書くかもしれない。これはまだ先のこと。

これからの記事でお会いできるのを楽しみにしています。

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