かい@森

大学で学びながら考えたこと、森を歩きながら感じたことを書いていきます。

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マガジン

  • 詩集『本棚のうえの小石たち』

    湖の畔を散歩していると、つい小石を拾ってしまう。帰ってきて、ポケットの中の小石たちを本棚に広げてみる。すると、いろんなところから来たそれらの小石たちは、ずっと前から一緒にいたかのように、仲良く座っている。 僕が、日常から拾ってきた小石たちを、集めて詩集にしています。

最近の記事

『玉子サンドと花火』

ゆでたまごはきらいだけど きみとたべた玉子サンドは 笑ってしまうほどおいしかった 花火はドンドン、鮮やかだけど きみは怒り、ぼくは悔やみ 光と音の弾丸が、からっぽのこころに穴をあけた

    • 恋するから成長するーあるピアノとの出会い

      週末は閑散とした音楽棟。せっかくなので、四台のグランドピアノを弾き比べてみる。弾き比べをしていることを忘れて、弾き入ってしまう一台に出会う。ああ、きれいな音。高音は、澄み、輝く。低音は、優しく、落ち着きを持って響く。久しぶりに、自分の指から出る音に、耳を澄ませた。こんなに力を抜いて弾けるんだ。ここは、左手の音を小さめにしよう。新しい気づきがいくつもあった。このピアノに恋をした。 今まで練習には、寮の地下にある小さなピアノを使っていた。出したい音が出ないのをピアノのせいにする

      • 『いのちの唄』op. 3-3

        ぼくのいのちはどこへ向かっていくだろう ぼくのいのちはどのようにしてここにいるのだろう ただあるいのち ずっとこのままかは分からない 動いていく雲は途中まで追えても いつのまにか姿をくらます いってらっしゃい、ぼくのいのち 今日はいろいろみせてくれてありがとう 少し休んでいていいよ ずっとこちらの世界にいては 干からびてしまうよね ときどき帰って来いって? そうしないと ぼくの言葉とかいう生物も干からびるって? ああ、じゃあそうするよ またいつか

        • 『いのちの唄』op. 3-2

          ぼくはいのちを恐れる いのちは食い食われる いのちあるぼくが原っぱへ行けば 雀蜂が飛んできて 森へ足を踏み入れれば 熊と鉢合わせるかもしれない ぼくが野原のいのちを踏むとき いのちの餌食となる覚悟はあるか

        『玉子サンドと花火』

        マガジン

        • 詩集『本棚のうえの小石たち』
          10本

        記事

          『いのちの唄』op. 3-1

          動きつづける ぼくがいなくても 夢のなかでも法螺貝に気づくぼくの鼓膜 大きな影に驚くぼくのいのち 銀杏の木に留まったのは鷹か ぼくたちは同じいのち いのちのせめぎあい ぼくの首と蟻の通り道 衿無しでいのちがぶつかる いのちは一緒にいられる ぼくの指に蜻蛉が泊まるように あれこれつまらないことを考え出すと 飛び去ってしまう ぼくのいのちが他のいのちと一緒にいられるのは一瞬

          『いのちの唄』op. 3-1

          A summer night

          A summer night

          前奏曲『奥会津』op. 2-3

          過去としてしか現れない自分 未来になら生まれようという自分は 果たして生きているのか 裸足で歩けば掃除屋が刺す いつ終わるか分からない僕の身体 今ここにいる証しを僕は作れない 聴いてもらって初めて僕は碑となる 焚き火の前、ピアノの後ろ、草の裏、土の上で 僕は碑になる 得体の知れないこの有機化合物の塊に しばし足を留めるもう一つの塊 塊はくっつき、離れ 碑もまた生まれ、朽ちてゆく

          前奏曲『奥会津』op. 2-3

          前奏曲『奥会津』op. 2-2

          いくばくかの時が経ち こんなことを言う人が現れるかもしれない ここにかつて炭で遊ぶものがいた その手には音楽が宿っていた この碑はいつだか 手が手のもとへ、足の指が土へと還った その証しだと

          前奏曲『奥会津』op. 2-2

          前奏曲『奥会津』op. 2-1

          いのちの証しを掘り出して碑にするのは誰か? 碑を建てないと消えてしまうものは何か? 生まれては消えてゆくものが また生まれてきますように 碑は多くを語らない ただ感覚器の風通しを良くしてくれるだけ なつかしいけど思い出せないあの香り どこかでいつか 聞いてみても答えは見つからず 山鳥茸の裏発 nowhere 行き 実は気づかないだけ? 碑はたくさん転がっている? 足は何かに追われるように急いで回る ここにいるよ でも過ぎ去っていく足音 雨が垂れ 僕はもう外へは行け

          前奏曲『奥会津』op. 2-1

          拡張生態系:西洋的自然観での位置づけ

          まとめ 私たちはどのように自然と関わっていけばいいだろうか?僕は、拡張生態系(人の手で多様性を増やすことで、機能が拡張された生態系)という概念を知って以来、この問いに答えられそうな気がしていた。ただ、うまく言葉では表せなかった。最近、大学の授業で西洋的自然観の変遷を追い、ようやく言葉に落とし込むことができた。一言でまとめると、「自然に敬意を払いつつも、人間として自らの住む環境への責任は持つ」、「自然をあるがままにするだけでも、人間の計画通りに自然を押し込めるわけでもない」、と

          拡張生態系:西洋的自然観での位置づけ

          『ツリーハウスの唄』op. 1

          地上5メートル板のうえ お日さまわた雲いっしょになって スポットライトあて回る きらきら光る松の葉は、お日さまの光まっすぐ浴びて ひらひら踊る楢の葉は、わたのリズムでステップ踏んで しんと座るうりはだかえでは、ひとり静かにベース奏でる 地上5メートル板のうえ ことばの森から葉っぱがひょっこり あたらしい森つくるため ページをめくるとあらわれて 耳をすますとやってきて でもできる森は一瞬かぎり 板の上での命だから ことばの森にそっとかえして 残ったかげから明日をつくる

          『ツリーハウスの唄』op. 1

          『ある夏の夜』

          ある夏の夜。まとわりつくような湿気と、ざらざらしたコンクリートが、僕を部屋へと追い立てた。ぐるぐる回っては、頭と心を修理点検する、理性とかいう小さなおもちゃは、僕の存在の重力に負けて、深く深く、落ちていった。ぽちゃんと落ちて、その波紋も振動もはるかかなたへ旅に出たあと、残るのは沈黙と闇。 それでも、目や耳が落ち着きを取り戻して、吐く息が壁にあたって戻ってくるのが分かるくらいになると、やっぱり、まだ震えるものを感じて、風通しのために少し開けていたドアさえも閉めた。ああ、なぜ僕

          『ある夏の夜』

          『緑柱石』

          緑柱石の松の葉は透き通り 虚無の彼方へ僕の視線を放り出してしまうほどの冷酷さは備えず 自らの反射に酔いしれることもなく ただその内に透明さを貫く緑柱石

          『緑柱石』

          森のなかの僕の森

          僕の中では、自分の言葉も、学問の言葉も、言葉になっていないものたちも、組み合わさったり溶けあったりして、一緒に暮らしている。 そんな僕だって、もっと大きな森に、埋もれるようにして暮らしているわけである。だから、「自分の言葉」というのは月が地球のものであり、地球が太陽のものであるというときのように、近似的に今の瞬間を捉えて言っているだけである。 「森のなかの僕の森」 noteを書くということは、この森の一部を切り取ることに他ならない。切り取るからには、どこから来てどこに行

          森のなかの僕の森