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自分の偏見との付き合い方

人間というのは、色々なものや人に対して、様々な偏見を持っている、とても不思議な生き物だと思う。偏見というのは、予備知識・もしくは低度の知識を基にした偏ったものごとの捉え方や見え方を表す言葉である。当然のことを言うけど、偏見を持ったり、偏見を基にした発言をしたりすると、場合によって、自分自身や他人を危険にさらしてしまうこともある。

偏見の恐ろしさを知る

ここで本音をぜひ、言わせてほしい。実際は、「LGBT」という言葉が嫌い。みんな同じ人間なのに、なぜその言葉を使わなきゃいけないのか。たまには吐き気になるぐらいしんどい時はここ数年、本当にあった。

性的マイノリティーの一員である自分からすると、毎日当事者を狙った発言を耳にしてしまう。最近の調査結果のデータによると、約48.2%の方が自殺を考えてしまったことがあるといわれている。それは約半分の人に相当する数字である。過去には自ら命を絶とうとする人を目撃することもあったため、何があっても、当事者の安全の確保を優先すべきだと感じている。

ストレート=異性愛者の方が不快に思ってしまう性事情を使ったジョーク、みだらな質問で本当に病んでしまう。いくら悪意のない質問やジョークでも、個人的にはどうしても無理。ストレートの方も、マイノリティーの方も、あくまで同じ人間で、ミスを犯してしまうともある。そのため、個人的にはそんなことを素直に受け入れてくれる方といた方が確実に自分らしく居られると感じている。

2023年7月に、AAA(トリプルA)の與さんがカミングアウトをした。9月27日放送のTBS系列News23という報道番組のインタビューに応じた。

特別扱いをしてほしいわけではない。ただ普通に生きたいだけだ

與真司郎氏、TBS系列「NEWS23」
https://youtu.be/eWFH7vmTc1I?si=83zG03fEpy5_DKKl

という與さんの言葉が本当に心を刺さった。興味のある方はぜひTBSのNewsDIGのYouTubeチャンネル、または同名のアプリまで(リンクも付けておく)ぜひ確認してほしい。そのインタビューでの與さんの答えを聞くと絶対におもしろい発見ができる。個人的には、共感できることが多かった。そのインタビューを振り返ってみると、與さんには大変感謝している。ただ、そんな温かい感覚を抱いても、自分と與さんの間には、決定的な違いが一つ存在していると肌感覚で感じることができる。

偏見のある環境で暮らすと、他人からの偏った意見を耳にしたり、バッシングを受けたりするという精神的なダメージで苦しむことになることが多い。それは、セクシャルマイノリティーの当事者における問題だけでなく、各生きている人間における問題である。そこで、偏見をなくす方法を考える必要性が当然出てくる。

失敗を恐れずに、自分を尊重する大切さ

ここ結果主義者が喜ぶような話になるが、率直な意見を言うと、偏見の撲滅には、日々の日常生活で結果を出すしかないと感じている。ただ、そんな結果を見せるための一番の近道としては自分らしく生きることが、絶対条件であるだと思う。

パリに来てからは、私の現在暮らしている場所がかなり首都圏からちょっと離れていて、交通機関でのトラブルが多発するので遅延になり、結果としてはどれだけの時間の余裕を持っても、必ず遅刻してしまうというは多々ある。友達に偏見を持たれてしまう日々が長く続いてしまっていた。それでも、どんな偏見を持たれても、それを素直に認め、それを徹底的にお笑いに変えることにしている。偏見を持たれて、それを思い込むと、その偏見が実現してしまうという最悪の事態を知ることになる。すごい言い訳のような話だが、心が弱いと、偏見に負けることになってしまう。

一周回ると、自分が悪くても、何があっても、自分らしく生きることを徹底すればいいだけだ。そんな考えを常生活に移し起こすと、偏見には勝てるようになるのではないか、と思う。「偏見は社会の目」という言葉があるが、偏見は自分との向き合あい方を強めるための一つの手段に過ぎないと感じている。偏見は自分自身には浸透してはならないことだと思う。

偏見はアナウンサーにとって、
最強の道具でもあり、強力的な武器でもある。

さて、アナウンスにおいてはだろうか。偏見を持たれることの良し悪しを天秤にかけて見ると、やはり、悪いことを痛感することはあまりないという印象だ。アナウンサーのレジェンド古舘伊知郎アナウンサーを見ると一目瞭然だ。言葉のトーンの向上や驚異の早口で大変有名の古館アナだが、偏見ということを自分の味方にできることができる。偏見を笑いにしたり、視聴者への配慮のためにも生かしたりするという一面を持たれている人物だと思う。偏見はアナウンスに携わっている人からすると、イメージやキャラ作りに大変役立つ、大切なツールの一つのではないかと実感することは、日々の日常生活でたくさんある。性格作りにも、偏見を生かしてみてはいかがだろうか。結局のところ、偏見というのは生きる証拠?

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