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共同体について考える夢を見た

血のつながりがかる家族、ない家族。そういうものをテーマに描く作品が最近多くなったように思う。そんなことが頭の隅に浮かんだ夕食、それが夢に現れた。
そこはリビングと狭いキッチンダイニングがL字型に配置された部屋だった。物がたくさん溢れていて今にも雪崩が起きそうな感じ。
家の中を守っているのは、なぜか山口智子。家の中でのボス的立場。みんなのご飯をせっせと作るのは私の会社の後輩(男)S。あとは言葉を話し始めた3歳の女の子。すると、外から貧弱そうな小柄な男の人が入ってきた。どうやらここの家長らしい。私は行く場所がなくここにいなければならない状況だったので家長に頼んだ。家長はOKそうだったが、Sに聞くとこの前もそんな女の人いたけど山口智子が拒否してその女性は出て行ったらしい。なるほど、それでは山口智子にも取り入らねばならぬまい。家長に取り合ったあと、山口智子にも取り入る。多分成功したのかいていい感じになってご飯など食べているとさらなる住人が帰ってきた。その人に私が見つかるとヤバいとのことで、なぜか私は掃除機と化した。ちょっと椅子人間やカフカを感じるこの展開だが、私は掃除機としてその人が帰ってきた家の様子を眺めていたのである。
バレませんようにってヒヤヒヤしながらその後はよく覚えていない。

雑多な環境で各々の役割を持ち生活する。その様を見ながら、これがまさに共同体というやつだと思った。おそらくみんな血のつながりはない。なぜか世間にも公にできない共同体だったけど、こうやってみんなで支え合って生きているんだ。

もしかしたら寝る前に読んだ若林正恭のエッセイ「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」が多いに影響しているかもしれない。
彼は父親を失ったあと、結婚というか生活を共にする共同体が欲しいと思うようになったと書いていた。多分これだ。
#エッセイ #共同体  #夢

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