タイトル未定2

朝起きて、若し、高熱に浮かれされていたら

今日の不調は、肉体的なものではないことは明白で
慢性的な生きていくという疾患。

今日の不調や、杞憂を引きずったまま明日を想うと
どうしても、出勤を拒む自分がいる。

しかし、では若し、
明日高熱が出てしまったらと考える。
まるで現実的ではない。
明日高熱を出していい理由がない。
高熱を出していいタイミングではない。
どう考えても。
皮肉なもので、私の替えはいくらでもいるからこそ、替えがいることを悟られたら困るので私は明日もヘンテコなテンションを振り回して働くのだ。

私がこれほどまでに生きることを憂鬱に思っていることは誰も知らない。

私も同じくして、誰かの憂鬱など知る由もない。

こんなに憂鬱で、こんなに生きづらい世の中で、よく、息をしているなと関心がやまない。

生きているだけで、えらいんだよ、と
使い古された綺麗ごとがあるが、
私は、それを綺麗ごとと揶揄しつつ、すがっている一人である。

綺麗ごとだと揶揄しなければ、自分の滑稽さに立っていらない。

明日出会う誰かのいいところを見つけよう。
できるだけ多くの肯定を一人でも多くにお渡ししよう。

それくらいしかできないけれど。


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