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風を操り進む帆船 古代アラビア商人の船ダウでの航海で気が付いたこと② ~出航まで~

そもそもなぜダウに乗るのか、どうやって見つけたのかはこちらから。


奴隷が売り出されて行った街 バガモヨ滞在

さて、
ガイドの人がとってくれた15,000Tsh(900円)の宿に泊まった。
そこがちょうど前日にいった奴隷の宿舎の近くだった。

7月までは1人旅だったが、8月の頭にあかちょに久しぶりの再会をアルーシャで果たして以来、みんながVillage Stayに来ていたから14人で過ごしていた。
約1か月弱久しぶりに一人だ。
まずはご飯を探す。

ワリとムチュジにアボカドスムージーがいい価格であった。
3,500Tsh(200円)とスムージー 2,000tsh(120円)なら悪くない。
久々の1人 タンザニアビールのセレンゲティもつけておいた。
2,000Tsh(120円)で飲める。


ワリ(ご飯)とムチュジ(シチュー)
アボカドスムージーとチーターのCMで有名なセレンゲティビール

船長Sureから電話がかかってくるのをひたすら待ちその宿で2日過ごした。
バガモヨで過ごすうちに、「観光地」というイメージがあったのが徐々に暮らしやすい場になってきていた。

バガモヨは外国人に慣れているのか全然話しかけてくれないシャイな人が多かった印象。これはタンザニア基準で。ドドマの村で慣れていると必ず全員と立ち止まって長い挨拶をするのと比較するとどんな街もシャイだと思えてしまう。だが、お店の人は特に優しくてよかった。

田舎感も残りながら観光地にもなっているような感じ。
空気が好きになってきた。


一本の電話。船に向かう

船長Sureからついに1本の電話。
実は夜の航海が怖かったのと綺麗な写真が撮れないと思い昼の出航も提案していたのだが、荷物を積み込めたから今日の21時に船に来いとのこと。

これは次の日の昼に出ると言われていたからおそらく荷物の積み込みを急いでくれたのだろう。ありがたかった。

その電話を受けたのが17時過ぎ。
ご飯食べてなにかしていたら21時はすぐ来る。


ア福リカの3人、左からKAKA、あかちょ、すかっち


最後の覚悟の電話 伝えるべき人

期待と恐怖を抱えた僕は3本電話をかけた。
2年半前に出会いついに出逢えたと思った同志あかちょ
ともにアフリカの村から世界を変えようとア福リカをともにつくった一人。

「これからダウに乗ってくる。本気で死ぬかもしれない。帆船は古代から使っていてむしろフェリーよりも信頼性は高いが、嵐が来たり万が一のことはある。何より海は舐めちゃいけない。」

「それにあたって、もし俺が死んだら後のことは頼みたい。おそらくこのあと船に乗って連絡が途絶えたら君が一番の証人だから。」とお願いをし、パスポートの写真や自分の身長、体重、臓器移植の提供の意思の有無、親や兄弟の名前、連絡先、保険の情報などもし本気で死んだら必要そうな情報をすべて送った。

後で聞いたのだがこの時、僕らには次ガーナでのVillage Stayをする予定があった。「もし彼が死んでも私がその意志を継ぐ。もし彼がいなくともガーナでVillage Stayをやる。」
ここまで決意を固めて「いってらっしゃい」と見送ってくれたのだった。

もう一件。くるみにかけた。2月に千葉でやっていたありがとうの存在しない村というシェアを当たり前にしてみてありがとうのありがたみに気づく企画に来てくれて、今回もVillage Stayに2回目のタンザニアに一緒に来ていた。ザンジバルで待ってくれていたのだが、もう一人のややと行っていたのだがややが先に帰るとのことだった。

同じく「俺がもしたどり着かなかったら最後の証人になる。」と伝えた。
もしかしたら来れないかもしれない、入島できないかもしれない。ものすごいプレッシャーだっただろう。

荷物をまとめてビーチまでボダ(バイクタクシー)をとった。
すると意外と距離あるとおもっていたのがあれ?と思うぐらいすぐ到着。ボダで4分ぐらいの距離だった。

だが、ビーチについても広い。電話してどこにいるか伝えてもらってもなかなかどこにいるかわからず前日歩いたくらい歩いていた。
歩きながら思い出した。愛に電話しないとだめだと。

ガーナの村を今回紹介してくれてVillage Stayができる。いつもチョコレートをつくっている村に招待してくれてできている。ア福リカのワークショップの世界観もみたいということでタンザニアから来てくれていた。

愛はもし何も言わずに行って自分が死んだら自分をきっと攻めるだろう。そう思って伝えないといけないと思い電話をかけた。
ちょうどマサイ族の村にいて踊っているところだったが、こちらの覚悟の決まった声とトーンを聞いてハッと理解していた。
これがもしかしたら最後の電話かもしれないと。相当覚悟決めてくれたんだろう。「いってらっしゃい」と送り出された。

もう一人すかっちが思い浮かんだ。
生年月日が一緒ですべての運命をともにしている彼とはあかちょとともにア福リカをやっている3人のもう一人だった。彼とも2年前からの付き合いだ。

だが、彼には伝えてはいけないような気がした。
というのも、僕らは生年月日が同じ。あらゆる占いが同じになる。
そのせいか、すかっちが何かトラブルに巻き込まれるとそのあとで同じ系統のトラブルが大きくなってこちらに巻き起こる。
例えば、匂いの臭さトラブルがあったとしたらその数日後にもっとすごい匂いがこちらに攻めてくる。

なんとなく彼に伝えると彼にもなにか起こるんじゃないかという気がしてやめた。生年月日が同じだ運命はいつもつながっている。以心伝心でそう信じた。


真ん中の白い船に乗る

船と対面 暗闇の中船に乗り込む

ビーチを船長Sureを探しながらひたすら歩く。どうにも見つからないのでご飯を食べている現地民に電話を替わってもらって話してもらう。どうやら初めに到着したところにいたらしい。なんというすれ違い。
おそらく、愛に電話をかけるためにすれ違う運命だったのだろう。

船長Sureに会えた。
この時まだどの船に乗るか知らなかった。ダウなのかマシュアなのかも。
Sureに聞くとこの目の前の白いやつだという。少し大きめのマシュア船に大量の木材と大量の肥料が山のように乗せられていた。

どうやら、この荷物を運ぶ船についでに乗せてもらえるようだ。


この舵に足を乗せて乗り込む。木材の上に大量の肥料が積んである。

船に乗った

時間は22:00ごろ。
干潮から少しだけ潮が満ち始めていた。

荷物を頭にのせ海に入っていき舵に足を乗せ船に乗り込む。
思いのほか船は高い。ぐっと足に力をいれ上から引っ張ってもらってのれた。膝のところまでまくったズボンの先がが水浸しになっていた。

木材と肥料の上を歩き船首のほうでここで休めと言われる。
積まれた木材の上、絶妙に木材が交差している箇所に腰があたり痛い。
そんなに歓迎してきて挨拶する感じもない。
船乗りは男たちの世界。そんなもんなのかなと思ったりした。

まだこの船での過ごし方をなんのこっちゃわかっていなかった。

隣と思われる船の人が「誰も信用するな。寝るな。」と言ってくる。
誰かが貴重品を盗んでくることを気を付けてということだ。
この言葉でちょっとだけ心がピリっとした。タンザニアで盗まれたことはないし全面的にKaribu文化を信頼してるから貴重品は持ち運んだり最低限のことは忘れないが割と盗まれるかもとは気にしていなかった。

だが、そういうことを言ってくる人が一番要注意というのがある。

少しは言われた通りに寝ないようにと頑張っていたが限界が来て寝た。

寝るといっても寝心地が悪いから1時間ずつくらいで起きてしまう。
深夜12時頃、動きがあった。
みんな起きてきて錨を手繰って上げ始めた。海の仕事きたか!と早速手伝う。

錨を上げる。ロープを手繰り寄せる。

暗闇の中乗り込んだからここでようやく乗組員の顔を認識した。
乗組員はたぶん9人ほど。
船長はSureだと思っていたが、船長だと紹介された人は違った。
え?と思っていると双子の兄弟でどちらも船長だという。
2人船長なんて聞いたことがなかったが、なるほど。。。

船長Abdi。この人にこの命を預けるんだと思った。


次の日に撮った写真。我らがANSWARI号の船長 Abdiだ。

それと副船長が挨拶してくれていた。
そのほかの若い衆(20歳くらい)が何人もいる。

マストに巻き付けながら人力で錨のロープを手繰り寄せる。
持ちにくいのもあってかなり重い。
一斉になって声をあげてちょっとずつロープを手繰る。
9人がかりでもなかなかロープはあがらない。
それぐらい錨は重いのだ。

日本の熊本県 海苔をつくる船に乗ったことがあったがそこも錨は電動の巻き上げ機であげていた。
人力で錨をあげるのは初めて。だが、海賊の話や民話で聞いていた。これもまた夢の一つだった。

なかなか船が進まない。船が重すぎるとのこと。
載せた肥料を隣の船に移して船の重さを軽くするという。
ひとつ60Kgの肥料の袋を2人がかりで担いで隣の船に投げた。
15個くらい投げただろうか。630kgは軽くなっているはず。

今度は、船体が傾くからと左右均等になるように肥料の置き位置で調整する。


肥料を運びながら雲の切れ間からの月が目に入る

何度も試したが潮が満ち足りずこの時は出航できなかった。
そうか、そういうことがあるのか。

あかちょは後にこの時、「もともと予定なんてなかったんだ」と感じたと語っていた。人間のつくった予定に自然は合わせてくれない。自然の思うがままにタイミングが合った時に神様の思し召しが合った時にのみそれがかみ合う。


神様の思し召し。無為の自然。地球に体を寄せて生きる
そんなことが頭によぎった。


月の引力とともに私たちは生きる



船長の決断

深夜2:00ごろ
結局諦めて寝ようと船長Abdiが決断した。


リーダーに求められるのは決断力という。
船に乗ってみてよくわかった。下手な判断は絶対できない。
絶対に勝てない荒れ狂う波の襲ってくる海に身ひとつで風を操り行き先を目指す。ほんの些細な判断が命の行方を左右する。

船長Abdiの決断はかっこよかった。

どっと疲れてまた木材に頭をうずめて寝た。
だが夜の海は寒い、マサイシュカをかぶって寒さをしのいでも限界があった。肥料が微妙にあったかく若干臭いが体の暖を取る方が大事だ。
肥料の袋に体を寄せて寝た。


続く。。。。


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