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ガン放浪記 part1

 いまから10年以上も前からから気になる現象があった。若いときはあっという間に終ったトイレが、直ぐにでず、でだしても、直ぐに出し切らずに長くかかってしまう現象に気づくようになった。最初は年のせいかなとあまり気にとめていなかったが、年々時間がかかるようになり、それとともに子供時代のある光景が目に浮かぶようになった。父がトイレに行ってもなかなか帰ってこなかったという記憶である。なにか遺伝的なものがわが家の家系にあるのではないかという疑念が生まれてきていた。

 ところが、ある日何げなく雑誌を見ていたら、わたしが気にしていた症状についての記事が載っているのに気づいた。その名称は前立腺肥大症という病気だった。この記事で説明されている症状はわたしの症状とほぼ同じで、この病気に罹っているとおもえた。前立腺は膀胱の下にある臓器で、尿道を取り囲むようにあるので肥大すると尿道を圧迫して、尿の勢いが弱くなってしまう症状が前立腺肥大症である。

 おそらく、おやじもこの病気にかかっていたのだろう。前立腺肥大症は、日本人が西洋風の食生活に染まるに従って増えてきた病気だそうで、最近はどんどん増加しているらしい。おやじも御多分に洩れず、肉が大好きで、何かといえば肉を好んで食べていた。わたしも子供が大学に入学して家を出るまでは、肉食を中心に食生活をしていたが、上の子と下の子の間は12歳も年が離れているので20年以上肉中心の食事をしてきたことになるし、わたしの幼少期も同世代の子供よりもたくさん肉を食べてきた結果なのではないかと、思い至るようになった。

 そんなことが分かっても、わたしはなかなか病院に行かなかった。でも、いつか行かなくてはとは思っていた。年度末に、時間が空いたので、泌尿器科を受診することにした。行ったところは、総合病院の近くにあるところで、駐車場にポルシェが駐車してあり、なんかあまりいい印象を持たなかった。診察は問診だけで、院内での検査は尿量測定と尿の透明度及び尿の残量検査などであり、それに血液検査があった。後でわかったことだが、前立腺肥大症は、問診と触診に、血液検査でわかるものだった。もちろん、エコー検査をして大きさを見れば分かるものだけれども、それすらしなかった記憶がある。のちに、何軒かの泌尿器科に行ったが、尿量測定や尿の透明度や残量の検査はされたことがなかったので、最初に行ったところは、検査料をとるためにやっていたかもと嫌な気分になった。

 次の機会に血液検査の結果を聞きに行ったら、前立腺ガンの腫瘍マーカーであるPSA(prostate specific antigen の略。前立腺特異抗原)が高いということで、ハルシオンという特効薬(日本での名称は各製薬会社で名称は異なる)があるということで処方してもらうことになった。前立腺肥大症でもPSAの値が高くなる傾向があり、それに相当すると診断された。しかしながら、最近のデータでは基準値の4ng/ml前後でも、前立腺がんになる割合が高いといわれているのに、その医師はわたしが10ng/mlになるまで、総合病院での精密検査を勧めなかった。最初は6ng/mlくらいあったのだから、すぐに検査を勧めるべきではなかったのか。

 精密検査を受けた病院の医師はPSAの値が4~10ng/mlはグレーゾーンであって、最近のデータを知らない医師もいるからと慰められたが、泌尿器科を看板にあげている専門医が知らないはずがないではないかとおもう。この医院には2年間近くも通ったのはムダだったといわざるをえない。あとで、専門医に聞いたところでは、ガンはかなり前に発症していたのが、ゆっくり増殖して現在に至ったのですよと説明してくれたからだ。いま思うに、もうけ主義の医院にかかったために、中期になるまでガンに罹っていることに気づかなかったことが事態を悪くした元凶だと感じている。診断した医師に対して損害賠償訴訟を起こしたいくらいだ。

 必ずしも指定日どおりに、その医院に通っていたわけではないが、2年ばかり通って経過観察していて、PSAが10ng/mlになった検査データが出たとき、医師ははじめて大きな病院で精密検査をしてみますかと問うた。次の検査結果をみてからでもいいですけれども、とつけくわえた。しばらく間があったが、わたしは医師に紹介状を書いてくれるように頼んだ。なんかこの状態が続くを嫌って、はっきり白黒つけたいと思ったからだ。

 紹介状宛の専門病院に予約を入れたところ、新年度にならないと予約はとれないといわれたが、時期をずらすのはモヤモヤが続くと思ったので、予約を入れた。気持ちとしては、早く疑いが晴れて、すっきりしたいと思ったからだ。わたしとしては、重い病気になっているという不安は、そのときまったくなかった。

 予約日に専門医の診断を受けたところ、PSAの値と、肛門からの触診で前立腺がんの疑いが濃いですね。これから機器を使った検査を受けてもらい、そのあと生検をすればはっきりします。といって、それぞれの検査の日と生検の日を決めようとした。わたしはガンだと告げられただけで動揺して、冷静な判断ができていないのに、矢継ぎ早に日時を提示されたのでオタオタしてしまった。とくに生検(生体組織診断)は2泊3日の日程で入院してくださいといわれた。夏までは時間が取れないといったら、こうゆうものは早くやったたほうがいいですよといわれたので、にわかに不安になり、押し切られて夏以前に生検日を決めさせられてしまった。

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 最初の検査はMRIであった。核磁気共鳴画像法と訳されるものであるが、この画像は患部を断面で撮影できるものなので、断面を並べると立体的にその臓器を再現できるので、どこまで病巣が広がっているかがわかるものである。次がCT検査になった。CTはX線を使って、患部の断層を撮影するものである。MRIやCTはそれぞれ適する臓器や部位があるので、両方を使えばほとんど網羅できるらしい。最後に骨シンチと呼ばれるもので、骨にガンが転移していないかを判断する検査法らしい。正確な名称は、シンチグラフィというらしい。体内に投与された放射性同位体から放出される放射線を検出し、その分布を映像化したものをいう。しかし、この3検査を受けたが、受けただけで、検査技師はこの検査結果について何も語らず、終わったらご苦労様といっただけだった。画像を判断できるのは医師だけであるということだろう。検査技師にどんな結果なのかを聞いてみても、総合的に判断するのはわれわれではないといって答えてくれなかった。ただ検査料が保険を使ってもバカ高く、かなり財布にひびいた。

 生検は5月になった。入院は朝9時から10時の間に済ませてくださいといわれたので、その時間に入院手続きをして、病棟に向かった。ナースステーションで入院の書類を提出すると、係の看護師さんが病室に案内してくれ、設備を一通り教えてくれた。割り当てられた病室は大部屋で、6台のベットがあった。幸運なことに、窓際で、外から光が入ってくる一角にベットがあった。
 
 入院したのはいいけれども、一日目は何の検査も診察もなく、せいぜい検温しかなかった。暇を持て余して、散歩や院内観察をしていたが、屋上に展望風呂があることに気がついて、看護師さんに聞いたら入れるということなので、許可証をもらってから入浴することにした。どうして許可がいるかを聞いたら、入浴中に事故が起こったり、ベッドにいなかった時に、ナースステーションに記録があれば確認できるし、病院の責任も全うできるかららしい。

 風呂は円の四分の一の形状をしており、大きさは半径が2メートルくらいで円周部分は3メートルだったとおもう。円周部分の上部に大きな透明ガラスが前面を覆う大きさではめ込まれており、外の景色が見える構造になっていた。外の庭には低い樹木と芝生が移植されており、その庭から市内が見渡せる眺望になっていた。10階建ての病院から眺める景色は格別で、温泉に来ているような錯覚をおぼえた。なにが因果で生検なのかとおもっていたが、こんなプレゼントが用意されているとは夢にもおもわなかった。近頃の病院はこんなサービスをするようになったのかと嬉しくなってしまった。わたしは風呂好きで、毎日でも、何時間でも入っているのが好きだったので、喜びはひとしおで、しかも入浴する人もいないので大風呂を独り占めして、長風呂に浸っていた。じつは文庫本も持ち込んでいて、中で読んでいたから時間が長くなっても、一向に気がつかなかったくらい入っていた。

 つぎの朝、点滴をして、手術を待った。前立腺肥大者は点滴だが、肥大がない場合は錠剤を飲むだけでいいようだ。それを聞いて差別じゃないか理不尽だと毒づいた。看護師さんの話では、大きな手術の合間に生検を入れるので何時になるかわからないといわれた。午前中待機していたところ、手術室が空いたのがお昼近くだったので、昼食もとらずに、車いすに乗って、病棟看護師さんに連れていかれた。帰りは歩いて帰れないので、車いすに乗せられたわけだ。

 手術室前で、オペ担当の看護師に引き渡されて、手術室に入った。中は暖かく、10畳くらいの部屋で、真ん中に手術台があり、そのまわりにはたくさんの機器があった。わかった範囲では、エコーとPCが見えたたが、その他のものはわからなかった。手術台にのるように促されて、脚立を使って手術台のぼり、体を横たえた。体は横向きに寝て、お尻を突き出すように指示された。おもむろに、お尻に局所麻酔を打たれ、生検が始まった。

 エコーのセンサーを直腸に入れて、画像をみながら、前立腺に刺した針状のノズルから検体を採取していると思われた。患者は何も見えないので、憶測にすぎない。ただ、検体を取るごとに、「カチャ」という音とともに、検体がとられた感じがした。そのときなんか不快な気持ちになった。検体は全部で13本取ったと、終わった後みせられた。オペ自体は、30分くらいだった。本人は意識がはっきりしていて、身体的に痛みがあるわけでもなく、音だけが室内に響いていた。もっとも、検体を採取されていたほうなので、その音が体を伝わって響くために、大きな音に聞こえたのかもしれないが、真相はわからない。

 一連の手術が終わると、再び車いすに乗るように促され、乗ると手術室前に来ていた病棟看護師に引き渡されて、病室に戻り、安静に寝ているように注意された。お昼は一時間後くらいに、あたためられて持ってきてくれた。昼食なしかとおもっていたので、嬉しかったことを覚えている。つぎの朝には、退院し、生検の結果は2週間後に診断結果が分かることになった。

 生検と何種類かの検査の結果を聞きにいったところ、中期の前立腺がんであると告げられた。いまどき、医者から「あなたはガンです」といわれても動揺することはないのかもしれない。最近の医療の発達は目覚ましいものがあり、怖い病気ではないと喧伝されている。でも言われた本人は心中穏やかではないことはいうまでもない
 
 この病院でできる治療法は四種類ほどあると説明された。
 1.開腹手術で前立腺を全摘する手術する治療。この方法は手っ取り早く患部を取り去ることができるが、入院は3週間くらいかかかる。しかも、微妙な器官なので、術後に尿漏れが起こりうるし、勃起神経を切ってしまうから、立たなくなるともいわれた。神経を繋ぐことも可能だが、100%回復は望めないと思ってくださいといわれた。
 2.手術せずに、弱い放射線源を患部に挿入してがん細胞を照射する治療方法。ヨウ素125という比較的半減期の短い放射線を使うので、手術のような副作用がない。ただわたしの場合は中期なので、くわえて放射線の外部照射が必要になるとも説明された。この療法は短期の入院ですむがメリット。
 3.強い放射線(IMRT)をピンポイントで照射してがん細胞を破壊する方法だ。ピンポイントとはいえ、膀胱や直腸に与える影響は無視できない。治療中や治療後に、排尿や排便にかかわる合併症がおこることもある。週5回の治療で2ヶ月かかるらしい。この療法はがんが再発すると、合併症の危険性から手術はできなくなるらしい。
 4.ホルモン療法である。この療法は半永久的なものではなく、一時的にがんの進行を止めることができるが、半年から1年の間に、効果がなくなり、最終的にはホルモン療法以外の中から治療法を選択しなければならない。体調が万全でない後期高齢者や仕事があっていまは時間が取れない人には適している。

 以上のような懇切丁寧な説明を受けたわけではないが、手渡された資料や買ったほうがいいといわれた本からの知識と、泌尿器科医から説明されたものをまとめるとこんな感じだ。

 一連の説明を聞いた後、先生はどうしますかと尋ねてきたので、一応セカンド・オピニオンを受けたいのでというと、わかりました。じゃ、どこにしますか。うちの病院以外で、ほかの治療法が受けられるのは、近くではD大学病院がありますといわれたので、そこでお願いしますと、紹介状をお願いした。丁寧なことに、この病院で集めたデータを一緒につけてくれたので、次の病院では診察がスムーズに進んだ。

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 紹介された病院はいま流行りのロボット手術をおこなうところで、入院も10日くらいで済むといわれたが、ダヴィンチと呼ばれるロボット手術のビデオを見せられて、なんとなく不信感がでてきてしまった。ビデオは拡大されたものあったが、むやみに患部を切除しているような気がしたし、開腹ではないので、完全に摘出できるかどうか、見た目ではわからなかった。先の病院の医師も、完全に患部を切除できないのではないかと、ネガティブな評価を下していたので、それも頭にあり、少し考えさせてくださいといって帰ってきた。それ以降、どの病院にも行かなかった。

 なぜ行かなかったというと、7月時点では手術は早くても秋にならないと予約が取れないといわれたことがある。その時期では職場を長期で休めない状況であり、休暇をとったら、戻ってきたとき、席がなかっただろう。それに、前立腺がんの本を読みまくり、このガンが急速に進行するものではなく、長年にわたってゆっくり進行することを知ったので、気持ちとしては不気味だが、次年度までなんとか進行を止めるにはどうすればよいのか調べた。外科手術以外では、食事療法がカラダに負担をかけないで、進行を遅らせることができるらしい。食事療法が載っている本にはガンが消えたという数例が載っていた。

 これまでは肉食中心の食生活を長年続けてきたが、食事療法に切り替えて、野菜を中心に粗食に徹することにした。いまの人は食生活が欧米風で豊かになったせいか前立腺肥大症が増えているが、昔はほとんどいなかったということだ。野菜を中心に食事療法を実践すれば、ガンの進行を遅らせることができるのではないか。それに免疫力を高めることができる植物性の食材を食べれば、なんとかなるのではないかと楽観視しようとした。

 そんなときアメリカにいる上の娘が、別の提案してくれた。この娘の右腕がマヒした病気にかかったとき、医者に治りませんよといわれたあと、民間療法に頼ってお世話になった先生にメールで相談したら、ガンも治った例もある。前立腺ガンの人はいないけれども、お世話できますよといわれたよ。そんな療法もあるから考えてみたらと電話をくれた。そこには、下の娘も上の娘の紹介でいっており、我が家では一定の評価をえていた。
 
 メールによれば、手術後でもいいけれども、できれば手術前のほうがベターであると書いてあったので、渡りに舟というわけで、とりあえず民間療法をやってみることにした。ただし、施術所は都会にあり、いま住んでいるところからかなり時間がかかることが難点だった。

 その療法はバイオントロジーと呼ばれるもので、細胞から発するホトンが規則正しいものであれば正常であり、イレギュラーな場合は不健康であるから、それを修正することによって健康を取り戻す施術法だと思われる。詳しく説明されたわけではなく、後出しジャンケンみたいなもので、後で調べた結果、そんなことじゃないかと推測している。施術はカラダ全体の状況が正常かどうかを測定した後、各臓器の状況を一つ一つチェックして、健康状態を確認したあと、イレギュラーな部分があれば正常に戻すことになる。この療法は、今の医学が細分化されていて、心臓なら心臓だけを治療して、全体を健康にするという発想から遠ざかる傾向にあるのに反して、体全体の細胞を健全にすることにより、体の治癒力で不健康な部分を治していくやり方らしい。

 施療院は神田明神と湯島天満宮の中間地点にあり、二階建ての普通の家の二階にある。それとわかるものは何もなく、見た目には事務所に入るような入り口があるだけだ。一人で来て場所も見つけられないからと下の娘と一緒にいった。そんなわけで、口コミかネットで知った人が訪れるだけらしい。こんな感じで、やっていけるのかなと思うほど、つつましい所だ。施術士の女先生は40~50代で、そこを一人で切り盛りしている。身長はちょっと高めであり、髪は短めである。

 入り口のドアを開けると、正面に受付があるが、すべて予約で時間が決まっているので必要ないような感じだが、帰りに料金を払うとき必要なのかもしれない。たいていの場合、そこでは払わず、施術用のいすに座りながら払っていた。私の場合は例外だったのかもしれない。入って、右のほうに待合所みたいに長いすや外套かけがあり、トイレの入り口も見える。左のほうには衝立があり、その中に施術用のいすがありそこで、施術を受ける。

 いすに座り、簡単な健康チェックを受ける。睡眠が十分に取ったかどうかや水を飲んだかどうかを聞かれる。ここでは毎日大量の水を飲むことを指導される。私の場合は2リットルを義務づけられていた。最初はなかなか2リットルを飲むのは大変だったが、だんだん慣れてくると飲めてくるもので不思議な気がした。ただ仕事が立て込んでいたりすると、忘れてしまいうこともあった。一番困ったのは、夜に何度も起きて、トイレに行かなければならないことだった。以前は一度寝たら、朝までトイレに行くことはなかったのでストレスになったし、起きてしまうと、そのあとどうしても眠れなくなり、睡眠時間が減ってしまうことが多かった。水をたくさん飲むのはカラダの細胞に十分水分を供給して、活性化をはかり、自己免疫力を高めるためだったろう。もちろん、水をたくさん飲んで、体を浄化する役目も担っていたのだろう。

 一連の質問に答えた後、施術が始まる。金属棒に電極をつないだものを左手に持たされ、右手の5本の指それぞれにもう一つの電極をあてると、音が出て、その音によって、それぞれの指とつながっている臓器の健康状態を判断するのである。不健康の音が出たときは、施術のレベルを上げる施術を行うらしくて、健康な音の施術に比べて、2,000円ほど高くなる。具体的にはどのような違いがあるかはっきりしないが、健康度を比べて、長い時間かけて細胞を正常に戻す処置をしたものと思われる。

 カラダの健全状態をチェックしたあと、こんどはガラス棒に電極を付けたものを両手に持たされて、本格的な施術に入るわけだが、その時間は機械本体のボリューム調整するだけなので、その間はトーキングの時間になる。毎回、いろいろな話題について話すことになった。主なものはカウンセリングになるが、私自身の仕事、家族、職場の状況なども話題にのぼる。ここの先生は話の中に自分の歩んできた道を隠すことなく話して、会話をつないでいく。1年近く通ったので、彼女の生い立ちや家族関係、どうしてこの仕事することになったかなどの大筋を今なら説明できるし書くこともできる。病気についても、病院的処置はできないけど、話を聞いて経験的な対処法を話してくれる。病院では医者は患者の話をほとんど聞かず、問診票みたいなものと、2,3の言葉を交わすだけで処置を決めて、処置を自分でするか、看護師に任せるので疑問点があっても聞けずじまいに終わることが多い。ある医師はたくさんの患者が来ているので、じっくり話を聞く時間がないから、パンフレットや本を読んでくれといわれた。同じ病気で来ている患者に接して、医者は類型的にこんな症状だから、こんなやり方で治療すればよいだろうという画一化がすすんでいる。点数がつく医療的治療が優先されて、本来必要な精神的ケアを疎かにしているのが普通だ。確かに、病院は経費がかかるから、一人一人に時間をかけて、だれもが口にする言葉を聞くのは時間の無駄だと思うのは当たり前だとおもう。短時間で、どれだけ患者をさばくかが、効率化と収益性に直結しているからだろう。

 わたしが行っていた施療院は、心理カウンセラーのように心の不安要素を解きほぐし、もみほぐしながら、カラダに物理的施療を施すことで重層的に施療するところだった。心の不健康に起因する、カラダの不調を自己免疫力でよくすることにより、自分で治す力を生み出すことがこの療法の最も大事なところだとおもう。

 不調が改善されないのは自分の努力が足りないからだと、心に言い聞かせることができるからだ。したがって、そのような努力の限界をこえた病気には対応できないため、自己回復力が望めない病気は断っているらしい。例外
的に、治らない病気でも、精神的な安寧を得られるだけでいいからという理由で通院している人の話も聞いた。

 わたしの前立腺がんに対して、精神的なストレスやガンの誘因のもとになる素因を取り除くカウンセリングをしたり、カラダのの不健康性を通常に戻すような物理的処置を行うことにより、自己免疫力で病巣をなくすことができるかもしれないと判断して、先生は引き受けてくれたかもしれない。ただ私は精神的にはがんこで、心の柔軟性がなかったので、ガンの進行は遅らせたけれども、病巣が縮小したり,消失するまでいたらなかった。

 この民間療法は月1~2回施術を受けるために一年以上通った。ただ困ったのは、施術の成果を判断するのにPSAの検査が必要になるが、そこでは検査できないので、検査ごとに病院をかえて行かなければならなくなったことだ。同じところでできなかったのは、検査結果をみて、精密検査をしたほうがいいので、どの病院を紹介しますかと聞かれるので、困惑してしまうからだ。何か所も、PSAを検査するために回ったが、医者によって検査の評価が違うことに気づいた。すぐ精密検査をしたほうがいいという医者もいれば、経過観察しましょうという医者もいる。グレーゾーンが4~10ng/mlなので、10±1ng/mlの場合は判断に迷うのかもしれない。医者がもう少し通ってほしいとおもえば、まだ大丈夫といいたくなるのかもしれない。だが、PSAが4ng/mlでも前立腺ガンの可能性があるはずだから、良心的な医者なら、グレーゾーン内ならすぐに精密検査ができる病院を紹介すべきだとおもう。少なくとも、泌尿器科の看板を掲げている以上、最新の情報を患者に知らせるべきだろう。

 民間療法の施術は素人にはどれだけ効能があるかは正直わからない。PSAの値は1年間通ったけれども、数値は多少凸凹であっても大きな変化はなかった。正直に言えば、泌尿器科に通っていたときは少しずつ数値が上がっていったが、民間療法は病気の進行を抑えていたといえる。それに病院では診療科に分かれていて、その部位を専門的に治療するので、心理的ケアはなきに等しい。民間療法は全身を対象にして経脈の流れを正常にして、自分の免疫力を高めて患部を治すというものなので、施術後は何か変わったような感じがしていた。それに施術中に家族の問題、病院への不満、ストレス、自分が抱えている問題などを相談すことができるし、施術士の生い立ちやどんな人生を送ってきたかなどを語って、患者との共感を共有できるのである。一年通ったおかげで、施術士の自伝が書けるほどになっていた。病院の医者はまず自分のことを話さない。何年通っても、医者の事は何も知らないままである。

 一年以上通い、施術を受けた結果、PSAの値は増えもしなければ減りもしないという状況が続いていたとき、この状況がこれからも継続するとおもわれた。PSA検査に行く病院も少なくなるにしたがって、やはり根本的にPSA値を下げる手段を取らねばならないのではないかという考えに傾いていった。施療中はガンとの共存を目指して、ガンと仲良くするために勧められる療法をみんなやったけど、値は下がらなかった。費用対効果も時間が過ぎればすぎるほど費用だけが増加していくとおもわれた。民間療法では健康保険が使えず、100%実費で支払わなければならない負担はボディブローのように効いてきていた。

 だんだんストレスが溜まっていき、やはり物理的な手段でしか、この事態を解決できないのではないかと思い始めた。それにガンを体内に抱えており、今までの精密検査では転移はないという診断が出たが、この一年余の間に転移していないという保証もない。その恐怖とも相まって、外科的手段でガンと戦うほかないと決意せざるをえなかった。

  *ガンとの外科的療法については、放浪記パート2で報告します


 


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