著作者人格権不行使特約について

本稿ではイラストや楽曲などの制作・利用に際する契約書によく登場する「著作者人格権不行使特約」と呼ばれる条項について整理していきたいと思います。

著作者人格権不行使特約

作家の方や発注者の立場で契約をしたことのある方は、作品制作・利用のための契約を交わす際の契約書に次のような文を見たことがあると思います。

[パターン1]
乙は本件制作物について著作者人格権を放棄するものとする

[パターン2]
乙は本件制作物について著作人格権を行使しないものとする

乙:作品制作者

具体的な表現は色々あるでしょうが、このように著作者に対して、契約の目的物であるところの著作物に関する著作者人格権の放棄または不行使を約させる条項のことを表題のように「著作者人格権不行使特約」と呼びます。長いので以下では不行使特約と略すこととします。

以前作成した著作権概観noteで整理したように、著作権は「著作権(財産権)」と「著作者人格権」とがあります。財産権の方は財産のように扱え、取引において譲渡、売買ができます。一方で人格権は精神的利益のためのものであり、他者に譲渡ができません。人格権の行使は著作者自身によってのみ可能です(この性質持った権利をを一身専属権といいます)。

著作者によってのみ行使が行えるような権利を契約によって破棄させたり、行使を禁じたりできるのでしょうか。

著作者人格権は人格上の利益(精神的苦痛を受けないこと)に関する一身専属権であり、その行使を放棄させたり禁止する契約は無効ではないかという意見があります。僕もその意見よりの人間なのですが、不行使特約を認めた地方裁判所の判例も存在していたり、法学上も結論が出ていなかったりします。

また、不行使特約を全く認めないとすると、著作者人格権、特に「同一性保持権」は非常に侵害判定がされやすいため、発注側としては納品された著作物を利用していて不意に著作者人格権を行使されるという事になりえます。

これは非常に不便ですし困ります。また、法学上結論が出ていないように不行使特約には一定の妥当性も存在します。なので実務上、不行使特約は基本的に契約書に盛り込まれています。

本稿では不行使特約という人格権を制限するような一見不味そうな項目が契約書に残り続けることの妥当性について著作者人格権の各項目について整理していきます。

著作者人格権について

まず著作人格権について整理しましょう。

著作者人格権の具体的内容は以下の3つです。また、先述のnoteには書きませんでしたが、著作者の名誉声望を害するような著作物の利用も著作者人格権の侵害行為(著作物法第一一三条第十一項)とされます。具体的な権利ではなく、侵害行為としての定義なので先のnoteでは書いてませんでした。この内容を名誉声望保持権として扱うこともあります。

  • 著作者人格権

    • いつ初めて公にするか決める権利(公表権)

    • クレジットをするかしないか、するなら本名にするかペンネーム等にするか決める権利(氏名表示権)

    • 勝手に作品(表現)に手を加えられない権利(同一性保持権)

  • 著作者人格権の侵害行為

    • 著作者の名誉声望を害するような著作物の利用

公表権について

公表権は著作権法第一八条に規定されています。ここには例外的に公表権が主張できなくなるケースが列挙されています。その殆どは未公開の著作物の行政機関など公的機関へ提供した場合の扱いについてです。その中でも同条第二項各号は私人間(要は今回考える市民、法人間の契約)における内容です。

  • 著作権法第一八条第二項要旨

    • 未公開の著作物の著作権(財産権)を譲渡した場合、著作権を受け取った者の権利行使に伴って著作物を公開すること

    • 未公開の美術の著作物(絵画、彫刻など)や写真の著作物の原作品を譲渡した場合の、原作品の展示による公開

    • 制作に関わった映画の著作物(ゲームも含まれると考えてください)の著作権(財産権)は制作会社(製作者)にあり、制作会社の権利行使によって公開されること。

3点目の映画の著作物についてはかなり説明を省いていますが本題ではないので非常に簡易に書いています。ご留意ください。ゲーム会社や映画制作会社の業務員だったり業務委託として参画したときには、その成果物であるゲーム・映画の著作財産権は会社に属しますよ、という程度に考えてください。

著作権法第一八条の示すところは一言で言えば「適正に権利譲渡をおこなったなら、その権利行使による公開は認めなさい」ということになろうかと思います。

つまり、公表権について言えば、不行使特約は一定の妥当性があります。例えばSNS広告のためのビジュアルをつくるという仕事について考えると、発注側としては広告打つ前やその期間に別で公開されたくはないでしょうし、広告の誘引力強化のためという目的条、受注側もその効果を削ぐようなことはするべきではないでしょう(もちろん広告の撃ち方とかによっては作家側で公開してもらいたいこともあるでしょう)。

氏名表示権について

作品にクレジットをつけるかつけないか、つけるならどういう名前にするかということは著作者自身の意志に委ねられます。

つまり、契約の段階でどのように使うか、実際にクレジットを乗せる空間的猶予があるのか、作品に乗せる事ができるのかを確認し合い、適正な表示の仕方を双方で確認することで契約後に氏名表示権を行使せざる得ない状況は回避できるでしょう。

氏名表示について十分に話し合うことを前提とすれば、不行使特約は妥当であるとみることができるでしょう。

また、氏名表示権には次のような規定もあります。

著作物の利用目的や利用の仕方が著作者が自身が創作者であることを主張する利益を害しないと判断できるときは、その利用目的や利用の仕方における公正な慣行に反しない限り氏名表示の省略が認められます。

「創作者であることを主張する利益を害しない」とはなにか、「判断できる」といってもその基準はなにか、「公正な慣行」とはなにかなど不明瞭な部分が多いのでこの規定に頼るべきではないでしょう。

同一性保持権について

著作者は意に反して作品を改変させられない権利を持ちます。氏名表示権と同じく著作者自身の意思に委ねられます。ただし、教科書掲載のための一部取り出しや建築物の増築、プログラミングのリファクタリングなどの例外はあります。また、

著作物の性質、利用目的、利用の仕方に照らしてやむを得ないと認められる範囲の改変

も例外とされます。例えば、Twitter広告のためのビジュアルを作成したときにTwitter仕様によるトリミングに対して同一性保持権を主張しても認められないでしょう。

このような極端な例ならわかりやすいですが、どこまでが「やむを得ない」のか個別に判断するのも煩わしく、受注側、発注側の双方にとって良くありません。

同一性保持権の場合も氏名表示権のように契約締結前にどのような利用をし、その際にどのような程度の改変が予想されるのかをしっかり話し合って同意する事が重要になります。

いわゆる名誉声望保持権について

著作者の名誉声望を害するような著作物の利用は著作者人格権の侵害とみなされる、と冒頭で説明しました。これは厳密には著作者人格権ではなく、その侵害行為であるのでそもそも不行使特約の対象ではありません

人格権、つまりは精神的苦痛を受けないという利益に関する権利ですから、著作者の名誉声望を害するようなことをすれば当然著作者は訴えを起こせますし、発注側は訴えを起こされるリスクを大いに抱えます。

まとめ

これまでの部分で著作者人格権の各内容と不行使特約との関連を整理してきました。

  • 公表権

    • 法律上も著作権(財産権)の譲渡などによって制限がかけれており、著作物を目的とする契約において不行使が求めれるのは妥当

  • 氏名表示権・同一性保持権

    • 完全に著作者の意思次第なので、発注側は契約締結前にしっかりとどのような利用になるのか、どのような著作物の表示になるのかを著作者に説明し、納得させる事が重要。

  • 名誉声望保持権

    • 権利侵害の定義から転じて権利として扱われてるだけで、著作者人格権そのものではなく、よって、不行使特約の対象ではない

    • つまり、不行使特約の有無に関わらず、著作者の名誉声望を害すれば問題になる。

以上のように整理してきました。これをさらにまとめると次のようになります。

  • 契約の目的を満たす必要の限度で著作人格権の行使が認められない場合があると考えられる

    • 特に、契約締結前に著作物がどのように利用されるかを十分に説明していればこの範囲は大きくなる

  • 著作者の名誉声望を害すれば不行使特約と関係なく問題になる

著作物を扱う契約をするときには発注側は著作者に対して、著作物がどのように扱われるのかを可能な限り具体的に説明し、契約書にも例示として盛り込無事が重要だとわかります。

具体的にどのように扱われるのかを書くことで、例えば、SNSの仕様により意図しないトリミングが発生しうる、とか、氏名表示(サイン)部分が見えなくなりうるとか、氏名表示は可能な限り作品のそばに行うが場合によっては巻末に列挙ということになるとか、を事前に相手に知らせて、納得した上で契約を締結すれば、例示したケースはもちろん、類似のケースが生じたときにも著作者人格権に基づいて一方的に攻撃されることはないでしょう。

また、著作者としても事前に具体的な利用とそれに付随する改変の範囲がわかることでどの程度まで許容すれば良いのかが事前にわかり、精神的に非常に楽になるでしょうし、事前の説明とことなる手の加えられ方をされれば明確に権利侵害を主張できます(契約書自体が証拠になる)。

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