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【日記】SNS

(全1,111文字)

世にSNSなるものが登場して久しいですね。

ちょうどSNSが流行り出した当時の私は『仕事×仕事×∞…』な毎日でした。

簡単に言うと、完全に社会の波に乗り遅れてしまってました。(笑)

職場での小さなコミュニティーでさえフェイスブックが流行り、仕事のやりとりさえもSNSでやってしまってる人たちも少なくない。

自分が触りもせずに否定するのもどうかと思って、一応個人のアカウントを作ってもみました。

年に1回、年賀状のやりとりでしか接点のなかった同期の日常などが流れてくるのを見ていると、あれはあれで良いものだったのかも知れませんでした。

気まぐれで写真を投稿したりすると、定年退職していった先輩方から、ふと思い出したように「お~、元気そうだな!」とDMを送ってくれたり。

でも、私は人間関係が希薄になっていく寂しい感覚がぬぐえず、フェイスブックは長続きしませんでした。

X/Twitterもみんな騒いでるし、周囲の人たちも「Twitterでこんな記事が!」とか言ってるし、なら自分も情報収集の目的でアカウントくらい作ってみようかと試しにやってみました。

……あのカオスな世界に、
どうしても馴染めませんでした(汗)


特に苦手に思えたのが、自分が望んでいない、欲しくない情報を一方的に送り付けてくるのが肌になじまなかった。

ツイート・リツイートの仕組みは分かります。

ただ、送り方が『優しい人』と『そうでない人』が間違いなくいます。

画面の向こう側の人間のことを想って送ってくれる人はありがたいですが、残念ながらそうじゃない人の方が多かったような。

テレビ、ラジオ、新聞、雑誌や本などの情報は、人の眼に入るまでの間に何らかの処理がされています。

関与した人のバイアスがかかっていないとは言い切れませんが、人の眼に触れるモノになって出てきているので、ある程度整理はされたものにはなっている。(はず)

でも、SNSで個人が発信しているものって、私が書いている記事も含めて、あくまでも個人の感想や考察、思想に過ぎません。

今の若い方々は、生まれた時からこのような仕組みが身の回りにあるのが当たり前ですから、我々五十代の人間よりもネットリテラシーに優れているのは言うまでも無いです。

私のような情報の波に乗り遅れた人間こそ、自分自身の頭で考えて判断し、行動できるようにならなければならないのかなと思ったりもします。

フェイスブックもXも長続きしませんでしたが、noteは何故か1年以上も続いています。

性に合ってたんでしょうか。

やってて楽しい。これに尽きるかもですが。

これからも楽しみながら続けて行こうと思います。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。

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