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ある喫茶店について

  高校までは自転車で5キロほど起伏の激しい道を漕いで行かなければならなかった。その道中には仁和寺や竜安寺、金閣寺などがあって、行楽シーズンになると大勢の観光客で賑わっていた。道路沿いの市バス停留所を自転車に乗って通らなければならないときなどは難儀だった。知らない国の香水、ご婦人団体の厚化粧の匂い、成長期の男子特有の体臭がする修学旅行生。断片的な情報は視覚と嗅覚で完全になる。様々な匂いが入り混じって、なんとも形容し難い臭いが鼻腔を突く。地元民にはいい迷惑だと、友人と一緒に下校したときは決まってそんな悪口を言った。

 実家から高校までの道のりが長くて億劫になってしまったためか、観光客が嫌になったのか、それとも高校数学を学んでユークリッドやパスカル、デカルトを心底恨むことになってしまったからか。曖昧模糊として言語化することが難しい理由もある。
 二年生の夏休みが終わってから、高校にはあまり行かなくなった。登校せずになにをしていたのかというと、映画を観たり、散歩をしたり、本を読んだり。基本的に今の行動パターンと差異ない。しかし、20歳の二時間より、17歳の二時間の方が長いことを皆知っている。そのときに観たフェリーニやキューブリック、ゴダールたちの映画で煙草の吸い方を覚えた。ショーペンハウアーやニーチェ、サルトルたちは人生の不条理と寂寥を教えてくれた。

 その当時、もっとも多くの時間を消費したのが喫茶店だった。観光地から離れ、道幅が広く、朝夕の交通量が多い交差点から少し歩いたところにその店はあった。店の入り口は小路に面していて、裏手には住宅街が広がっている。
 重いガラス扉を開けるとベルが鳴る。入店時、BGMでビリーホリデイの美しい歌声が流れていた。薄暗い店内は一部が半地下になっていて思いのほか広い。そこかしこから煙を呼吸する音、陶器がぶつかり合う音が聞こえる。言語としては認識できない人間の話声。客は疎らで、お互いに干渉しない。しかし、そこに他人の存在があることで安心しているようだった。
 細身の中年女性に案内されるがまま席についた。窓から人や車の去来がよく見える席だった。手書きのメニュー帳のページをめくりながら、私はソファに深く腰を下ろした。
 世間的にはそんなに印象が良い場所ではないのかもしれないと思う。外回りのサラリーマン風の男が仕事をさぼっていたり、タクシードライバーがカレーライスをかき込んでたり、背の低い老人が競馬新聞を読んでいたり。しかし、私はこの空間に魅了されていた。

 何冊もの小説をその店で読み、何時間も放課後に友人とクダラナイ会話をして、その倍ほどの時間をひとりで景色を眺めたりして過ごした。数人の同級生も気に入って来るようになり、そのうちの一人はそこでアルバイトを始めた。最低賃金より三百円も低い時給だったらしいが、曰く「趣味みたいなものだから。」と、不満は無かったようだ。
 三年生になって受験期にはいると、なかなか喫茶店にも行けなくなった。たまにチャートを解きながらコーヒーを飲んでいたけれど、寒くなってくると元来は出不精なので、家に引き籠ってうだつの上がらない受験勉強をしていた。

 センター試験二日目が終わって、久々に喫茶店に行った。店には、すでに指定校推薦で進学先が決まっている同級生がたまたまシフトに入っていた。試験が芳しくない旨を伝えると「まぁ、肩おとすなや。二次もあるやろ。」と、言っていつもの席に案内してくれた。客は私のほかに、数人の見知った常連がいて、店主と話し込んでいる声が聞こえた。以下はそのときの店主の言葉だ。
「俺はもうあかんねや、癌になってもうたからなぁ。“これ”のせぇや、もうあかんわ。この店も長いけどな、売るか誰かに譲ることにしたんや。とかく、俺はもうあかんわ。みんなありがとうな。」

 普段は0時まで空いていた店が、その日を境に21時閉店になった。営業時間が三時間短縮されたことに嘆く間もなく、それから直ぐに予告もなく閉まっていることが続いた。そんな日は、あのガラス扉に手書きのメニュー帳と同じ筆跡で「店主の体調が悪いため、誠に勝手乍ら本日は休業致し〼」と、張り紙がされた。その張り紙が何日も剥がされることなく、雨風に晒され、滲んだ文字も見慣れた頃。私は大学生になった。

 大学進学で忙しくなって、あの店のことも暫く忘れていた。春が来て、もう夏も終わる頃。初めての大学の夏休みに浮かれていたのだが、急に思い出して店に行ってみた。店の前に着くと、どうやら数人の客が入っているらしいのが見えた。店主の体調がよくなったのだろうかと思った。
外観はいつもと同じだったのだが、店内は小綺麗になっていた。手書きのメニューはなくなっていた。代りにあったのは、明朝体が印刷されラミネートされた一枚のメニュー。以前より格段に品数が減っている。いつも店主がいたところには、知らない太った中年女性がいた。どうやら店は譲渡されたらしかった。
 「まぁ、仕方ないわぁ。駐車場にならへんかっただけましやと思っとくしかないわなぁ。」と、初めて常連のおじさんに話しかけられた。私は短く同意を示してから煙草に火を点けた。

 半年ほど後になって、店の前を通ることがあった。窓から中を覗くと近所の私立大学の学生らしい客でいっぱいだった。パフェやメロンソーダの写真を撮っている。よく知らない洋楽が漏れ聞こえる。テーブルから灰皿が消えていた。外回りのサラリーマン風の男、カレーライスを汚くかき込むタクシードライバー、競馬新聞を読む背の低い老人、最後に話した常連客。彼らの姿も消えていた。チャートを解きながらアイスコーヒーを飲む私の姿を窓越しに見える世界に投影しようかと試みたが、それはもう不可能だった。

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