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見たこともない民族衣装って上手に着られるものか?

若い頃、学習したはずなのだが、この用語と概念にはあまり縁がなかった。
「着衣失行」
麻痺もないのに、服を着ることができない。

***

右の脳の血管が詰まって、早期に治療はできたものの末端の血流までは戻らなかった。
その部分が障害されて、不思議な現象が起きている。
手足の麻痺はリハビリで奇跡的に改善した。
にもかかわらず、服を着ることができない。

ズボンを2枚重ねて履こうとしたり、右袖だけ通したままだったり。
前と後ろが反対だったり、ボタンをかけちがっていたり。
逆にボタンが外せなくて服を脱ぐときにジタバタしていたり。

それは最初見たとき、とても奇妙な光景だった。
ふざけているみたいだった。
父は真面目な顔をして、毎回服を着替えようとしている。
わらっちゃいけない。
でも、思わず母と顔を合わせて吹き出しそうになる。

* * *

かつて、認知症サポーターの研修を受けたときに、目からウロコというかショックを受けたことがあった。
それまでも、奇妙な行動をする患者さんには数多く出会っている。
そのたびに何回も何回も説明しながら、寄り添ってきたつもりだった。
が、実のところ患者さんの立場になって考えていなかったことに気付かされた。

入院中「帰る」と言ってそそくさと荷物をまとめてその場を去ろうとする患者さんは、どんな体験をしているのか。

目が覚めたら、みたことのないところにいた。
周りに見覚えのあるものは何一つない。
ふいに誰かが近づいてきた。
恐る恐る「帰りたいんです。」と言ってみたが、「ダメです」という。
何度説明してもわかってもらえない。
こんなところにいたくない。怖い、帰りたい。
お家に帰って家族に会いたい。
なんとかして、ここから脱出しなくては。
この閉じ込められたところから逃げなくては。

こんな思いをしているとは想像できなかった。
そりゃ、帰りたくなるよ、誰だって。
死にものぐるいで、脱出作戦を練る。
そうやって繰り広げられる患者さんと医療従事者の戦いは、お互いの置かれている状況がわかっていないだけだった。

今は、認知症やせん妄状態の患者さんへのケアはだいぶ向上した。
ユマニチュードというフランス発祥の認知症のケア技法も浸透してきた。
ユマニチュードとは「人間らしさを取り戻す」ことを意味するフランス語らしい。

それぐらい、認知症や精神疾患を患う患者さんへの医療やケアは倫理的な問題を抱えていた。いや、今でも皆無ではない。
そういえば、父も最初の病院にいたときに「人間らしく扱ってください。」と何度もノートに書いていた。
その文字を見て、胸が潰れそうだったことを思い出す。

さて、話を戻そう。

着衣失行とはどういう体験なのだろう、と想像してみた。
見たことも着たこともない民族衣装を渡されて、「ほれ、着てみろ」と言われているような感じなのだろうか?
どこに手を通せばいいのか、このボタンはどこにかければいいのか、いろいろ試してみても、どうもしっくりこない・・・。
そんな感じなのだろうか。

調べてみると、「着衣失行」は工夫次第で改善する可能性があるらしい。
「どうして、そんなこともできなくなっちゃったの?」とか
「そのみっともない格好、ちゃんとして!」とか言わずに、
ひとつひとつ説明しながら、いっしょにやっていくしかない。
時間はかかっても。

白状すると、さっきのセリフは何度か口走ってしまったのだ💦💦
ごめん、父ちゃん。



タイトル画像は”新卒海外研修生 | 東京コンサルティングファーム(TCF)”さんにお借りしました。
でも、いちばん着るのが難しい民族衣装は着物って話も・・・。😅


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