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肋骨骨折

自転車で転倒して肋骨を骨折した。

状況としては、車道走行中、前方赤信号。片道二車線道路で後ろからはバスが来ていた。バスは当然第一車線を走行中であるため、車道で信号待ちをするのは危険、及びバスの通行の邪魔になると思い、停車直前に歩道の段差を解消するための斜めになった部分から歩道に乗り上げようとしたところ、5cm程度に小さくなっているはずの段差部分を乗り越えられず前輪が進行方向にスライドし、自転車に覆いかぶさるように左側に転倒。その際、ハンドルが右に180度回転し、回転したハンドル右グリップと左胸部との間に右手を挟み込む形で左胸を強打。他に外傷としては、左ひざに擦過傷。

すぐに起き上がる事が出来、左胸は痛いながらも我慢すればなんとかなるかとそのまま目的先へ移動しようとしたものの、どうにも胸部の痛みが酷い。しかも肋骨がグラグラしている気がする。段差を乗り越えると激しい痛みとと共に、胸部にコロコロとした違和感を感じる。その後右手親指も腫れていることに気づき、これはマズいと帰宅。幸い自宅から2km程度の近場だったので、段差には最大限の注意を払いながらゆっくりではあるがなんとか帰宅することが出来た。

帰宅すると、病院行きなよ、と妻。が、帰宅にかかった時間は症状を理解するには十分で、肋骨が折れていること、車の運転はとても無理であることを悟っていた。血を吐いていないのでとりあえず肺の損傷は無いだろう。と自覚症状で判断できるのはここまでで、肺以外の内蔵損傷の危険もある。一刻も早く病院に行く必要があると思った私は、救急車を要請。早朝6時に救急車を呼ぶのには正直抵抗があったが、さすがに状況が状況であるため止む無し。

歩行には問題がなかったため外で救急車の到着を待つ。電話から5分もかからずに到着。サイレン音が近づくのは恥ずかしさよりも安心感の方が高かった。到着後、隊員に連れられ後部ドアから寝台へ移動し、横になるときに初めて怪我の大きさを認識する。生まれてから感じたことが無い痛みで横になることが出来ない。ちなみに私は骨折も入院も経験が無い。隊員に支えられて横になるも、今度は激痛で仰向けになることが出来ない。泣きそうな痛みを堪えつつ仰向けになると、名前や生年月日、今日の日付を尋ねられる。意識確認なんだろうけど、今日の日付なんかパッと答えられないなと思いながらもなんとか正解して事なきを得る。その後は身分証での身元確認後、搬送先を探している様子を伺いながら激痛に耐え続ける。

外科当直の病院は、車で20分ほど離れていて馴染みのない病院。外科専門であるため肺に損傷があった場合に対応できないためと体よく断られる。後から思えばここに決まらなくて良かった。遠いし初診だし。次によくかかっている病院を尋ねられたので2~3挙げてみた。ら、一番違い病院から聞いてみるとのことで、結果その病院で受け入れてくれることとなり、なんとか事なきを得た。救急車、発車。しかし救急車のサスペンションってもう少し上等なモノは使用されないのかなと異常に揺れる車内で思った。

道中、幹線道路を横断。「左から来る車が止まりません」と運転手。自分が乗ってるからアレだけど、サイレン鳴らしている救急車が近づいているんだから止まれよ。運転免許取得の難易度はG-MARCHレベルに上げても良いと思う。偏差値30でも取れるのは原付までにして欲しい。等と勝手なことを思いながら10分程度で病院着。幸いにも診察券を持っている融通が利く病院で助かった。ここの外科医師とは面識がある。ストレッチャーから病院の寝台に移るとき、多人数で「せーの!」ってイメージがあったが、早朝の病院にそんなに人がいるわけもなく、痛みを堪え、支えてもらいながら体を起こし、もぞもぞと病院の寝台に移動した。

自覚症状がある胸部、左足、右手部分のレントゲン撮影。幸い左足、右手はなんともなかった。が、胸部は予想通り、見事に折れていた。

どこが折れているでしょーか?答えは4つ!

といっても保存治療しかないようで、あとは本院を予約しておきましたのでその時刻に行ってください、と言われる。1時間程度あるのだが、一度家に帰るにも微妙な時間だなと思っていたら、本院へのシャトルバスがあることに気づく。救急搬送されたのは、救急棟や入院施設がある分院で、本院は車で10分程度の駅近にある。シャトルバスのチケットをもらい、少し早めだけど移動して待つことに。

本院に到着、受付を済ませ、予定時刻まで待って、結果としては鎮痛薬だけもらって帰ることに。レントゲン画像も分院からネットワーク転送出来ていたので再度撮る必要もなかった。自分もX線医療システムの開発を行っている関係、いやあまり関係ないけど、単に興味本位だけでレントゲン写真の撮影許可を頂き、スマホで撮影した。

若いと全治3週間、自分はそこそこ年齢が行っているとのことで全治1か月と言われた。ちなみに全治1か月以上は重症であるので年の差でコレが変わるというのはなんだか変な気持ち。名称が変わったからといってどうということはないのだが。容体が変わって呼吸が苦しくなるようなことがあれば即救急車を呼んでください、とのこと。

ともかく、痛みが治まる1~2週間は絶対安静とのことで、会社には在宅勤務の許可を頂き、翌週予定されていた1泊2日の出張もキャンセル。ゆっくり歩くのには問題ないけど、寝たり起きたりが異常に辛い。骨折したのは左肋骨4番~7番。てことで4本折れている。寝たり起きたりの動作の際は、折れた部分が刺さってるのか?ってほど激痛が走る。仰向けに寝た直後が一番辛く、しばらくは小さくて速い呼吸を繰り返してとにかく痛みが治まるまで耐える。そして寝返りが打てないため、3時間ほど寝ると背中の痛みに耐えられずに起きる。横向きになれればそれで済むところがそれが出来ないため起きて背中の痛みの回復を待つ。胸にはバストバンドという肋骨固定のバンドを巻いているため、トイレに行きつつそれを緩め、かゆいところをかき、治まったら再び巻いて衣服を整え、とやっていると30分程度経過するので、あた痛みを堪えつつ仰向けになる。7時間寝ると、これを一晩で2回やることになるというかそういう生活を続けている。

事故直後、歩道の段差の斜めの部分をよく見たら、表面ツルッツルのコンクリートで、自分のものではないゴムが擦った跡が何か所か見られた。他にも何人もが犠牲になっていると想像するに容易い。いつもなら前輪を持ち上げてやり過ごすんだけど、この日だけはそれを面倒に感じてしまったんだよなあ。こういうのが『老い』なのかもしれない。まだアラフィフなんだけど。

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