見栄っ張り人間
見栄を張ると、すぐわかる。
言葉の端々に、その欲望が渦巻いている。
話す表情に、その欲望が張り付いている。
話の構成から、その欲望が浮き出てくる。
欲望とは隠しきれないものである。
特にその要望の対象に「お金」が絡んでくると、あからさまなものだ。
まあ、「見栄」と「お金」はだいたいセットであるがな。
***
そんな「見栄」と「お金」の話を聞きにきたわけではなかったのだが、期待はずれもいいところで、そんなはずれくじを引くこともあるものだ。そんな話はだいたい大した話ではないことがほとんどである。だから途中から、全く別のことなぞ考えながら、耳だけ貸している。
いつからこんな見栄を張っているのだろうか。
この見栄っ張りでどれくらいお金があったら気が済むのだろうか。
どうしてこうも毎年この人に見栄を張らせているのだろうか。
見栄っ張りが居座る組織が、停滞しないはずがない。何せ、お肌でいうところのターンオーバーがないわけである。角質は早いところ体外に出し、新たな世代の細胞と仕事をバトンタッチすることにより、また次の世代が生まれるものだ。「見栄っ張り」という角質こそ、僕ら人間はすぐにでも捨てるべきである。
つまるところ、見栄なぞ張っているとすぐにでも垢まみれになる。そんな人の話を聞いていると、こっちまで垢まみれになりそうなものだ。だから今日はいつもより入念に身体を洗ってやった。
***
しかしながら、人間という生き物は「見栄」という自分セントリックな考えとは、大昔からの付き合いである。ブッダの言葉の中にも、「見栄」のような欲望について書いているだろう。またページをめくったときに確認するのだが、人間とはそんなものである。
もういっそのこと、「見栄の世界史」なんてものを授業にしてもいいのかもしれない。
世界で最初に見栄を張ったのはいつのことか。
誰が何のために見栄を張ったのか。
その結果、世界はどうなったのか。
きっとロクでもない結果が付きまとう。そうして「見栄」を張ることの無意味さをしれば、少しばかりでもこの世の中から無駄に見栄を張る者が減るのかも。
2024.01.29
書きかけの手帖
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