記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」「式日」ロケ地探訪

長めの前書き

今やアラフォーですが、時に、四半世紀前。
鬱屈していた中学2年の私は、同級生のTくんから「新世紀エヴァンゲリオンってアニメが東京で流行ってるんだって」と教えてもらいました。
思い出すに「ファミ通」などのスーファミ雑誌や、当時移行期だったプレステ雑誌「電撃PlayStation」にお小遣いを費やしていた自分は、アニメ雑誌など買っていなかったはず。
もちろんパソコン通信をするための端末もない。
情報収集はテレビかラジオか本屋か口コミしかなかった。
そして自転車で行ける距離に書店はなかった。
で、夕方の放映(再放送)を見て、ガツーンとやられたのです。
確か第5話くらいからVHSに録画するようになって、何度も何度も見返した。
オープニングをコマ送りしたり……たぶん多くの同年代が似た経験をしたのではないでしょうか。
その後レンタルビデオ屋で、未録画だった1~4話を借りて、VHS2台体制でダビングしたはいいけれど、コピーガードのせいで画質も音質もびよんびよんの状態。
それでも映像を流しつつ、フィルムブック(という文化があったのだ)を参照しながら、脳内補完していたものです。

さらに遡ると小学生当時は「ドラえもん」がバイブルで、「魔法陣グルグル」や「突撃!パッパラ隊」といった比較的「平和」なお話を好んでいたほうでした。
ガンプラブームの最中でしたが、月一くらいで祖父に勝ってもらうプラモは、組み立てやすいSDガンダムばかり
一度だけリアル頭身のガンプラを買ってもらい組み立ててみたら、腰の辺りがどうも上手くいかず、へっぴり腰かぎっくり腰のようになったその姿のかっこ悪さに落胆して以来、ロボットとか特撮とかを避けてきたところがありました。
高学年のころ放映されていた「機動武闘伝Gガンダム」の熱血ぶりに、なんかいやだな……と感じていたのも憶えています。
そこへエヴァショック……竜巻に巻き込まれたように出会ってしまったのでした。

その後、エヴァのアニメ、映画、漫画、フィルムブック、謎本、書店にも置かれていたファンブック、WOWOWの特集番組、などなど摂取することが、無秩序で無思考だった少年期から、やたら考え込む思春期に突入するきっかけになりました。
R・D・レインの「好き?好き?大好き?」を図書館で借りたはいいけどわけわからなかった、とか。
高1のころ、アスカっぽい(と無理矢理エヴァに引き付ければいえるけど、実際はモーニング娘。のゴマキっぽかった)同級生Mさんが、偶然同じセブンイレブンに居合わせたので、格好つけるために岸田秀「ものぐさ精神分析」を買う自分の知的な後ろ姿を見せつけた、とか。
その後フロイド(発音は岸田流)を読んだり、ジャック・ラカンに手を伸ばしたり、大学で臨床心理学科に進んで精神分析理論ってどうやら危ういなと薄々感じながらも、ナラティヴ・セラピーを称揚することで脳科学の流行に棹差したりしていたわけだが(つっても島田荘司の脳科学傾倒ミステリを愛読していたあたり、節操がない)。

中高生当時を思うとつい熱くなってしまうので脱線してしまいました。
以下、庵野作品へのスタンスを簡単に整理してみます。
「エヴァ」に熱中した、
「カレカノ」と、ビデオで借りた「トップ」に違和感を覚えた(どちらも視聴者に求められるリテラシーの高さに達していなかった)、
「ラブ&ポップ」とWOWOWのテレクラ潜入取材特番あたりで嫌悪を感じた、
「式日」は見送った
「キューティーハニー」は未だ未見、
「エヴァ:序」は半笑い(虚勢)で鑑賞し、
「破」で驚愕、初めて映画を二連続で見る経験をして、
その後の庵野作品は律儀に追ってきました。
が、庵野当人をコンテンツ的に消費することを避けてきました(「監督不行届」とか許せなかった)。
庵野の作品そのものに対峙するために……と頑なな姿勢を取っていたのですね。
「シン・エヴァ」で解禁。過去作も見直す。全部面白い。……丸くなったものです。

脱線ついでに。
高校当時の庵野への嫌悪感は、実は村上龍への嫌悪と並行しています。
我が初・龍は「ライン」という刊行当時のハードカバー(いま思えば、幻冬舎の立ち上げから間もない)を、なぜか母がいきなり読みたいと言い出して、いくつか書店を梯子して購入したにもかかわらず、あまり面白くない、というので譲り渡され、私も読んでみて今ひとつだなと感じたという、不幸な出会いだった。
あの本を買って読みたいという母に付き合って、夕食後に一緒に車で書店に向かった、あの夜の道のほうが、印象深い(母に何があったのでしょうか)。
しかしエヴァのフィルムブックで、トウジとかケンスケとかは村上龍の「愛と幻想のファシズム」から採ってきているんだという蘊蓄があったので、大事に作家読みして、当時新刊書店で出ていた「寂しい国の殺人」という得体のしれない本を傍目にしつつ、講談社文庫や集英社文庫の古本を次々集めて読んでいたものです。
今でも「限りなく透明に近いブルー」は読み返すし、「コインロッカー・ベイビーズ」を再読する日を楽しみにしている。
ちなみに龍が「69 sixty nine」でランボーの詩を、
「見つけたぞ 何を? 永遠を。それは太陽にとける海だ」
と訳した瞬間に、読者の中でも何かが変わったと思うのだが……。
造反有理というフレーズはポストモダンの十代にも確実に響いたはずなのに、「共生虫」という駄作で引き籠りや少年犯罪へ擦り寄ろうとした挙句時流から外れてしまった。
庵野も龍と似た擦り寄り方をしようとして、しょうもない実写を……というのが、偽りのない感想。
実際「ラブ&ポップ」はしょうもないと思った。
ハードルが高かったぶん容易に見限ってしまったともいえます。

で、20年くらい経て、初めて知った事実があります。
私、妻、4歳の娘が、私の母が還暦を迎えるにあたってどんなお祝いをしようかと話していたとき(2020年5月)、Twitterに、庵野秀明の還暦を祝う安野モヨコのツイートが流れてきたのです。
衝撃でした。
庵野さんって兄世代より少し上くらいと思っていたら、実はぴったり母親と同い年だったんだ……と判明した瞬間に、いろいろなわだかまりが解けていって、親世代の煩悶に立ち会ってしまった子世代の驚きが、思春期にはゴツゴツしていたのに今ならふんわりと抱き留められるぬいぐるみのように感じる、というか……。
思春期からこっち、作中に描かれた煩悶を自分事としていたけど、ある程度鈍感になった今では、頑なで敏感だったあの頃を認めることに抵抗ないですよ、という感じ。
「シン・エヴァ」を見て「許せない」と思った人もいるはず。
私は「シン・エヴァ」を見て、わかりやすく言えば「成仏した」がわ。
そんなアラフォーが、2022年8月15~16日、山口県に行きました。

長い自分語り失礼いたしました。
……でも、エヴァってそういうものじゃん!? 肥大化した自意識を持て余すオタクが、マゾヒスティックに遊んだり苦しんだりする場所のことじゃん!?
と自己正当化しつつ、次へ。

庵野秀明展

自分語りはまだ続きますが、私は広島県民です。
大学を出るまで最寄りのJRというものが存在しない山奥で育ちました。
就職して会社に通うとき、おっかなびっくり電車の乗り方を学んだくらい。
今では週に数回乗っていますが、読書時間かスマホ時間に宛てている、非・乗り鉄です。
しかし今回の旅行は新鮮でした。
広島駅から新幹線で新山口駅へ。約30分。
電車に乗り換えて山口駅へ。約24分。
初めて眼にする駅名が新鮮でした。
周防下郷、上郷、仁保津、大歳、矢原、湯田温泉を経て7駅目。

山口市には何度か出張で来たことがありますが、湯田温泉など車でアクセスしやすい町に泊まることが多かったので、このへんは初めてかなー。

町を挙げて庵野秀明展推し。静か……。

早めの昼食は、元祖ばりそば本舗春来軒で。
初めて食べましたが、リンガーハットの長崎皿うどんと違って、鶏ガラ出汁。さらにお酢の味で、新鮮。
で、着きました。

日時指定の予約チケットですが、行列とかは全然なく。
偶然近くにいた二人づれ女性のTシャツにでっかく「リリン」と書かれていて、

と思いました。
入場後の展示についてはくだくだしく書きませんが、圧巻……!

3~4時間くらいかけてじっくり回っても見尽くせない、凄いボリュームでした。
ありがとう庵野さん、ありがとう関係者の皆様……!
と、単純に感動・感謝したのは間違いないのですが、根が穿ったことを言いたくなる天邪鬼気質にできてる(西村賢太ふう表現)ので、以下失礼いたします。

展示の初っ端にこれを持ってくるなんて、「でき過ぎ」じゃないですか?
確か「シン・エヴァ」上映中、新聞に「父が事故で片足を失ったのが、欠損に美を見出すきっかけだったのかもしれません」と美談っぽいインタビューが載っていたと思います。
(庵野者なら遥か昔、旧劇場版作成中の「スキゾ・エヴァンゲリオン」「パラノ・エヴァンゲリオン」でも似た発言があったのをご記憶かもしれませんが)
さらに少年期の特撮映像体験を大スクリーンで何十? 何百? と映す展示もありました。
で、展示終盤で、特撮博物館の館長としての取り組みもまとめられていて、いやーいい展覧会でした庵野さんって凄いんですねと気持ちよく送り出してもらいました。
が、どこか美談で覆われた分厚い層の下に、隠された何かがあるような気がする……。
それも、庵野が半ば文化人となった現在ではなく、いち監督だったころから、戦略的に行ってきたことの延長線上にある展覧会なのではないか、と。
ズブの素人の考えを書いてしまいます。

・庵野は(戦略的に)特撮からの影響を「積極的に語る」ことで、特撮の歴史に自分の作品群を位置づけた。
・庵野は(戦略的に)ヌーヴェル・バーグや寺山修司からの影響を「消極的にしか語らない」ことで、「エヴァ」がアニメ界に齎したインパクトをオリジナリティの高いものだと錯覚させようした。
・深読みしないいち視聴者には「宮崎駿の弟子」と自分を思わせるような発言。深読みするオタクには富野由悠季からの思想的影響を提供する(人類皆殺し「逆襲のシャア」)。
・が、本当に資質の似ている(参考にした)押井守については、発言することがあまりない。
・もちろん作家性の強いアニメ監督(高畑勲、宮崎駿、富野由悠季、押井守、庵野秀明)って、影響関係云々以前に、ダマになって(一体になって)アニメシーンを作ってきたようなものなので、実生活の交流に濃淡はあれど超仲良しともいえるし、数百年後には同一人物と見做されるかもしれないくらい似通っているのかもしれないけれど。

三島由紀夫は、太宰治からの影響を茶化す形でしか表明できませんでした。
もしも三島が生存中に三島由紀夫展を開いたなら、一行で済ますか、形を変えて展示に組み込んだことでしょう。
(三島21歳「ぼくは太宰さんの文学は嫌いなんです」→三島の記憶の中では太宰37歳「そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」。しかし引き合わせた編集者野原一夫の証言では、太宰ムッとして「きらいなら、来なけりゃいいじゃねえか」)
記憶の改竄……。

脱線してしまいましたが、庵野や公式が敢えて言及しない影響が隠蔽されているのではないか、と思った次第です。
厄介オタクで申し訳ない。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」ロケ地探訪

庵野秀明展を堪能した後、向かったのは宇部新川。
たぶん何万人ものオタクがやったであろうことを自分もしてみたというだけの話です。
このロケ地探訪のために改めて「シン・エヴァ」を見返してみたのですが、宇部新川駅でのカット数って結構少なくて、エピローグというか、リアルにおまけ程度なんだなと気づきました。
最小限度のカットから、最大限のインパクトを受けたとも言えますが。

私、実はこの青年シンジの顔が、嫌で嫌で……。
おま調子のんなよとドツいてしまいたくなるのですが、私だけでしょうか。
エヴァ25年かけて数多のシンジの顔を見てきましたが、一番ムカつく表情。
眼の下の落ち窪んだ感じとか、鼻から続く眉への流れとか、眉毛のキリっと整えられたところとか、耳の大きさとか、左右のバランスとか、見れば見るほどゲシュタルト崩壊してしまって……。

「うん、行こう!」
……や、やめてくれー。
閑話休題。

向かいの屋根から覗く植物どころか、電線の数や配置すら律儀に再現。
ひょっとしたらロケハンに来た日の空模様すら再現していたのじゃないかしらん。

このアングルは実際行ってみるとやや特殊。
駅に入って左に歩くと構内トイレがありますが、さらにその奥の奥に歩いていく。
普通の乗客はそこまで行くまい、というところから、構内を見渡している感じですね。
ちょっとした段差が描き足されていますね。

「伝説となった椅子」。

マリの髪が作画崩壊?
シンジの足が透けている?
とか考えないでもないですが、いいシーンですよね。

例のこれ、しちゃいました。
同時刻に同じエヴァファンがひとりいて、本格的なカメラ機器で様々なアングルを探っているところ、お邪魔してすみませーんと恐縮しつつ。
恥ずかしさ半分ヤケクソ半分で、独り笑ってしまいましたね。
怪人物です。

このポスター、たぶん、

この関係者以外立ち入り禁止の通路? から望遠で撮影しているのでしょう。
いったん駅を出て一番近い島通踏切から撮ってみました。

ところで、駅を出て当たり前のことながら結構驚いたのは、現実そのまんまの実写ではないということ。
ガードレールが消されているのです。

シンジとマリが現実の駅から出たら、目の前はこんなふうにガードレールに遮られているので、あそこまで颯爽とした走り方はできないということ。
そこはさすがビジュアリスト庵野の指示なんだろうな、と。
描きたい絵面や動きのためには現実を改変するのに抵抗ゼロ(テレビ版第7話「人の造りしもの」で、初号機がJAを追うために飛行機から降ろされて着陸した瞬間、後方にズザザと動くのは物理法則的にはあり得ないけれど、直後に走り出す疾走感を出すために敢えてそうしている……フィルムブックの受け売り)。
黒澤明が「天国と地獄」撮影中、バッチリの構図内に見切れてしまう民家を撤去させた話は有名ですが、庵野の場合はもう少し自己本位なところがあって、

大通りの左側(駅から南下する道路の東側)に「式日」の舞台となった、今はなき太陽家具を描き足している……この点は後述します。

さて、駅を出てポスターっぽい構図を求めて島通踏切に向かったのは前述しましたが、例のシンジが(お化けみたいに)佇んでいる場所まで行ってみました。

小串通踏切から宇部新川駅を見たらこう。シンジ視点。
駅までの距離がなんだか寂しい。
線路がひたすら真っすぐなのも寂しい。

「式日」ロケ地探訪(おまけあり)

この記事の眼目は、実はここからです。

「シン・エヴァ」以降庵野作品を見直したと前述しましたが、「式日」が凄まじく琴線に触れました。
そこで今回、一泊二日の旅行のうち二日目は「式日」ロケ地探訪に宛てようと思ったのです。
事前にネットで調べたところ、

■01 1日目  居能駅構内の南側(居能町) 二人の出会いの踏切 1m

宇部新川のひとつ西が居能駅。
ワンマン電車のシステムに戸惑いましたが、さっき宇部新川駅で記念に持ち帰ってもいいですよと言ってくれたんですけど……と車掌さんに言うと、いいすよ、と。
無人駅はこんな感じ。

降りて出たら北口。
数十秒西に歩くと、この玉川踏切があります。

渡ってすぐ左を向くと、こんな風景。

奥の一本が本線と駅。
手前の二本が草生していて、なんというのでしょうか(こういうのを鉄諸氏はスラスラ表現できるのでしょう)、平常使うことのない線路をひとまずこのへんに置いておきますね、といった風情。
わかったのは「式日」、通る電車を止めてチャカチャカ忙しく撮影したということではなく、こういう線路置き場にドッカリと撮影隊を集めておいて、横長の画面にどういうアングルで線路(というか線)を走らせたら美しいかを探りながら、ワンカットワンカット作られたのではないか、ということ。
ちなみに男=カントク、わざわざここを目指して向かったのか、故郷の宇部新川を目指す電車に乗っていたのに寝過ごして一駅向こうに降りたのか??

で、ロケ地探訪として徒歩で向かったのは、■05。

■02 1日目  三炭町商店街(西本町) 初めての会話 1m30s

宇部新川駅から南に向かって宇部興産へ向かう幹線道路から少し入れば、こういう商店街があるのでしょう。
今回は省略。

■03 2日目他 ビジネスホテル新川(上町) 男の宿泊所 2m30s

上で後述すると予告したのが、ここです。
「シン・エヴァ」で映ったのはスーパーホテルやABホテルでしたが、それらより約1000円程度安価なビジネスホテル新川に泊まらねば真の「式日」ロケ地探訪とは言えまい、と考えて、宿泊しました。
外観は、

入口がわかりづらく、場末感は否定できません。
私は仕事柄よく出張してビジネスホテルに泊まることが多いのですが、定宿にするかどうかは正直際どい線だなとは思います。
が、室内は掃除が行き届いて小綺麗。

男=カントク、なんでツインの部屋にしたんだろう……。
その辺頓着せず適当に決める人なのか。
そもそも故郷なのにビジホ? 親はもういないってことなのかな?
細かい点ですが、

内線電話は現役でした。

■04 2日目他 JR貨物操車場跡(新町) 誕生日プレゼントを渡す路線他 3m10s

時間の都合で行けず。
地図で見ると幹線道路に沿った場所に、こんな貨物操車場跡があるんだな……ちょっと不思議。

■05 3日目  居能駅の東側(居能町) 彼女の寝る鉄橋の上 4m

劇中でも印象深いシーン。
以下のような、何の特徴もない道を歩いて、

栄川第2踏切を超えた後、

東を向いたら、これ。
左が本線で、右が電車が通るはずがない、ただの線路置き場。

ここを奥に進んで振り返ってみたら、

こんなアングル。
左右の水色のペンキは剥げ、線路が続く奥は草むして。
撮影当時は複線だったのか……?
ちなみに真下は、

川。
川の上の鉄橋の上という特殊な場所で、彼女は仄かなチャポチャポという音を聞いていたのかな。

■06 3日目  鵜ノ島公園(南浜町) 傘で遊ぶ彼女 4m30s

居能駅から公園へ向かう道は、結構昔からある住宅街を突っ切って幹線道路に出たと一瞬後には道路が案外に郊外型でぶっとくてびっくり、閑静な住宅地と思いきや郊外型の喧騒に押し出された、という印象。
数分単位で町の印象が変わりました。
8月中旬ということもあってか住宅街はほぼ無人。
車を洗っている40代夫婦がいました。
帰省して数日暇した後にいっちょ躰を動かそうという倦んだ印象……勝手な想像ですが。
ひたすら無音。ひたすら暑い。早くも背中は汗びっしょり。
で、着いたのは、

住宅街のど真ん中にある、相当広いうのしま公園の、西側は、

だだっぴろい空き地で、何でもできそう。
中高生男子が3,4人ほど集ってスマホだか携帯ゲームだかをのぞき込んでいました。
東側が多少遊具のある公園になっていて、例の滑り台は、

監督が座っていたのは、

少し驚いたのは、ブランコ。

4人分ではなくて2人分になっている……そりゃ20年強経てば変わるっしょ、むしろここまで残っているのが稀有、ということはわかるけれど、あ、なくなっちゃったんだーという感慨。
そして公園全体の木々が増えて、育ってるんだなぁという素朴な驚き。
たぶん当時撮影隊がカメラを据えたあたりには木が伸びてきているんだな、と。
私が住む住宅街の近所の公園はこの時間帯だと賑わっているが、この鵜ノ島公園は母ひとり子ひとりだったというのも、印象深い。

■07 4日目他 西海岸通踏切(助田町) 呆然と立つ男他 5m30s

ここ、■06に向かう途中に立ち寄れたはずですが、見過ごしてしまいました。
住宅街と工場街が溶け合っている印象は感じられました。

■08 4日目他 銀天街(中央町) 歩く二人他 6m

ほんの一瞬なので、■10で後述。

■09 4日目他 旧太陽家具本社内 B1~R(中央町) 彼女の居場所 7m

ここ、おそらく撮影当時に本社設備が移転したところを、いいロケ地になるじゃんということで使ったのでしょう(太陽家具は健在)。
この建物内の描写が素晴らしく、まさにロケ地マップにある通り「彼女の居場所」という表現がぴったり。
「ここはー! 秘密のー! 5階!」とかはしゃぎながら男=カントクに自己開示をする「彼女」の姿は、フィクションとはいえ(フィクションだからこそ)エバーグリーンだなと思います。
大袈裟にいえばレオス・カラックスが「汚れた血」でジュリエット・ビノシュの22歳を残したのに匹敵する意義があると言いたい。
この建物、残念ながら取り壊されてしまったのを、庵野がCGで結構お金をかけて描き足したのは有名。

映画内ではこんな姿でした。
■10で後述しますが、建物からすぐに、宙に浮いたかのような通路があるのが印象的です。

2022年現在は一階が画廊のマンションが建っているとウェブで予習していましたが、その画廊もなくなっていました。

■10 5日目他 銀天街アーケード上(中央町) 雨の中に立つ彼女他 13m15s

この映画で初めて、商店街のアーケードの上の空間を知りました。
地面からちょっと浮かんだような場所があって、それに今まで気づかなったことに驚いたくらいです。
その後いくつかの街の商店街を意識して観察してみたのですが、確かに似た作りの商店街って、ある!
しかも上から通路に向けてニョキっと中地半端な高さまで鉄製の梯子が降ろされていて、たぶん管理業者か誰かが使うのでしょうが、特に気にかけたこともなかった自分に驚きました。
もしかしたら子供のころにはあの梯子上りたいと思ったのかもしれないし、成長するにつれて好奇心が鈍磨したのかもしれない。
でもひょっとしたら子供のころにすらその梯子を見ることなくゲームボーイの画面を見ていたのかもしれないとか、つらつら思ったり。
wikipediaの記事があるくらい、その道の人には当然の空間みたいですね。

そういえば宮崎駿が、「風立ちぬ」発表前の「なんちゃって引退会見」の直前の姿を取材したドキュメンタリーだと思うのですが、会見するホテルの待機室から街を見下ろして、あそこを走ったらどうなんだろうと取材者に話していたことがあります。
鈴木敏夫の奸計で大仰な会見=宣伝をしなければならない気恥ずかしさを誤魔化すためのサービスだったのかもしれませんが。
いま見える風景を想像の中でハックするような姿勢、について、憧れ半分、さぞかし生きづらいだろうなと他人ながら同情半分。
ちなみに庵野、例に漏れず故郷があまり好きではなかったけれど、■14で後述する「課外授業 ようこそ先輩」のタイミングで、銀天街のアーケード上(キャットウォークと言っていいのかしらん)を知ってから、「式日」のロケ地を宇部新川に決めたんだとか。
そのときの庵野の姿を貼っておきますね。

■11 8日目  JR宇部新川駅構内(上町) ビデオに撮られる彼女 28m

劇中ではつい数分前、自分の家(?)を紹介するときには元気いっぱいだったのに、改めてキチンとカメラを向けられてると緊張しちゃう、彼女。
5歳児が変顔を見せてくるのに、写真を撮ろうとすると途端にぎこちなくなるみたいで、萌えシーンです。
なんとなく画像貼っときますね。

■12 8日目  クモハ42形制御電車内(小野田線・妻崎開作付近) 29m30s

宇部新川から見るとやや遠く、訪問できず。
電車については■16で後述します。

■13 8日目  長門本山の住宅(小野田市南松浜) 撮影している二人 31m

さすがに遠くて行けず。

■14 10日目 鵜ノ島小学校前(小松原町) 小学生達とすれ違う路 34m

鵜ノ島公園から足を伸ばせないでもなかったけど、省略。
このシーン何気に好き。
ちなみに、庵野者なら当然履修している番組「課外授業 ようこそ先輩」(1999年10月24日放送、NHK)で、

こんな格好をしたおじさんに付き合わされる小学生たちの戸惑いが描かれていました。
控えめにいって、大人度:庵野<小学生たち、でした。

■15 10日目 興産大橋下(沖ノ山) エロ本を拾う空地 35m

こんな遠い場所行けるわけねぇとはなから諦めていた場面。
でも名シーンですよね。
「カントクもこういうの好きなのー!?(ヘラヘラ)」→「いや男はみんなそうだよ(ウキウキ)」→「そんなんだ(ブッスー:マジ怒)」という、ディコミュニケーション。
あ、この女の人、適当な遣り過ごしは利かないんだな、と思わせるいい場面だと思います。
で、ロケーションマップには興産大橋下、とそっけなく書かれていますが、調べてみたらこの興産大橋って、歴史的に面白い。
wikipedia情報ですが、興産大橋を含む宇部興産専用道路は、全長31.94 kmに及ぶ日本一長い私道、なのだとか。
調べれば調べるほど興味深い宇部興産(現在はUBE)、シンジくんも新入社員研修で習ったのだろうか。

■16 10日目 JR長門本山駅構内(小野田市南松浜) 携帯を受ける男 38m

出ましたよ、「シン・エヴァ」にも通じる列車描写。
調べて開陳しようと目論んでいたのですが、いかんせん鉄の土台がない上、過不足なくまとめられているページを発見してしまったので、もういいかな、と。

こんな雑誌もあります。

■17 11日目 国道2号線(瓜生野) 雨にはしゃぐ彼女 42m30s

ここ、ロケーションマップで一番遠い場所です。
なんとなくこういうアングルを撮りたかったから、ということもできますが、深読みすれば、男=カントクと彼女、同居を始めていろいろな場所を巡る中で、ちょっと遠出しちゃおうと言える間柄になった、という解釈が、できないでもない。

■18 12日目 通称えびす通り(新天町) 撮影している二人 45m30s

一見宇部新川の太陽家具周辺のように見えますが、実はひとつ東の琴芝駅の商店街なのです。
深読みを重ねれば、えびす通りまで歩いて琴芝駅を撮って電車で帰る1,2時間の旅を男=カントクが言い出して、うきうきした気持ちの彼女が、私にも撮らせてよー、と主張したのでは。

■19 12日目 引込線の踏切跡(西中町) 喪服の男に妄想を見る彼女 47m

行けないでもなかったけど、探訪を見送ったシーン。
彼女が読んでいるのは、宇野和子「ポケットの中の赤ちゃん」。
児童書や絵本って定番や名作が版を重ねる、結構保守的な市場だと体感していて、この書影や書名から古い名作なんだろうなと思っていたのですが、検索してみたら、なんと1998年刊行作品なので、比較的新しい本のようです。
スタッフの誰かの私物なのかな……。
というところで切り上げようとしたら、実は違うとわかりました。
この「ポケットの中の赤ちゃん」、実は1980年に講談社青い鳥文庫(新書版)で刊行。
1998年に講談社から「児童文学創作シリーズ」として再刊されたのだとか。
藤谷文子さん(1979年生まれ)が子供のころに印象深かった本を、撮影のために新版で買ったのかしら。

現在前者は35000円超え、後者は4000円近いので気軽に注文はできないけれど、内容紹介によれば、
「ママのエプロンには、なつ子の秘密があるのママのエプロンのポケットから出てきた小さな赤ちゃんム-。ム-は、夜になるとなつ子を不思議な国へ連れていってくれますが、それはム-となつ子だけの秘密。」
だとか。
再刊時のコメントによれば、
「復刊しました!みなさんの熱い思いで、ムーちゃんが帰ってきました。/なつ子のママのエプロンのポケットの中から出てきた、ムーという名まえの小さな小さな女の子。よるになると、なつ子をふしぎな国へつれていってくれます。でも、それは、ママにはないしょ。ムーは、ほんきにしない人に見られると、消えてしまうんですって。/この「ポケットの中の赤ちゃん」は、“子どもの本の探偵”に、いちばん依頼の多かった、つまり、忘れられない、もう一度読みたいといった人がいちばん多かった本です。お母さんのポケットから出てきた小さな女の子ムーちゃんを育てるという、子どもの皮膚感覚で描かれたこの物語を、読者であった子どもたちは忘れなかったのでした。いわば、子どもが守り、復活させたこの本を、いまの子どもたちもきっと楽しんでくれるでしょう。――赤木かん子(子どもの本評論家)」
……最寄りの図書館で探してみたけれど、なし。残念。

■20 22日目 常盤公園と遊園地(則貞) 撮影している二人 1h03m

常盤公園については、後述。

■21 22日目他 新旧厚東川大橋(藤曲) 同上 1h04m30s

このシーン、このアングル、かなり好きですが、足を延ばせず。
脈絡もなく連想したことを書いちゃいますが、ヴィム・ヴェンダース「パリ、テキサス」の変奏っぽいですよね。

■22 22日目 廃車置場(藤曲) 男からビデオを奪う彼女 1h06m

このくだり、好き。
あと、アパートがあって広場があって廃車があって……。
唐突に自分語りをしてしまいますが、私が3歳から4歳のころ、こんなアパートに住んでいました。
広場に砂利が敷いてあって、小さな山みたいになっているところを、昇っていたら、アパートの掃き出し窓に座った母と祖母が私に笑いかけている、というのが、最初の記憶なのですが……逆に窓から山に挑んでいる自分の姿すら思い浮かぶので、限りなく想像に近い記憶なのでしょう。
ちなみにそのアパートは35年近く経ったいまも現存していて、仕事で近くを通ったときに車で立ち寄ってみたのですが、ただの殺風景な広場でしたね。

■23 22日目 宇部興産プラント前(小串) おんぶをせがむ彼女 1h07m30s

■20→■21→■22→■23って、深読みここに極まれりなことを書いてしまいますが、カントク=男と彼女が朝起きて、彼女があれしようこれしようと女児のごとく急き立てて遊びたがる、午前中はだらーっとしていたいカントク=男は、午前中は彼女の要求に対して、昼から出かけようよと受け流す……その結果の小旅行なのでは。
昼飯食ってバスで常盤公園へ行って遊んで、電車で岩鼻駅まで行っていちゃいちゃしながら歩いて帰る、その最後に疲れてヤケクソになった17時くらいが、この宇部興産プラント前(小串)なのではないか。
キャプチャしたのはヘッポコな絵面ですが、間違いなくふたりにとって幸せな瞬間だったろうと思います。
バイパス下の道路から、5分くらい歩けば二人のイチャイチャ場面に迫れるだろうなと思いながら、撮影してみた。

■24 28日目 山陽自動車道建設現場下(広瀬) 撮影を止める男 1h11m

このシーン、つら……。
数日前にあんなに幸せだったのに。
カントク=男の気持ちも判ってしまう。
でも、昨日まで自分のお道化に合わせてくれていた人が、鬱陶そうにし始めた瞬間って、世界崩壊に譬えても大げさではないくらいの驚愕ですよね。
あ、昨日笑い合ったのって、嘘だったんだ……自分の幸福感って嘘の上に成り立っていたんだ……という疑いを一度抱いてしまうと、今後無邪気に笑えなくなるかもしれない、という負の予感が先走ってしまって、過去も未来もいっぺんに暗雲に包まれる感覚。
あるある~(思い出してヤケクソ)。
ところで高速道路の橋梁というのか、横長の画面に縦の線が連続するリズムって、美しいですね。

■25 29日目 興産道路(小串) 手を繋いで歩く二人 1h18m30s

手を繋いでいても、心は。
というヤな感じを現わす、一瞬だけど効果的なシーンだと思います。

この私道を真っすぐ行けば、ギスギスしたふたりの歩いた道へ行けるのでしょう。

■26 29日目 銀天プラザ(中央町) 自転車の男、登場 1h20m

さすがにそのままとはいきませんが、20年も経てばこれくらい変わるんだな、と。

ちょっとした舞台。
地域の子供たちがブラスバンドの出し物でもして、商店街の人たちが集まってくるような。

■27 29日目 大和中央町裏の空地(中央町) 自転車の男に追われる彼女 1h20m30s

「大和」という百貨店チェーン? があって、その中央店の、裏路地。
2007年に完全閉鎖されたそうです。

■28 29日目 食前屋・酒菜亭(上町) 男の同窓会 1h23m

上で後述すると書いたのは、ここ。
食前屋・酒菜亭、ビジネスホテル新川のすぐ近くですが、ネットで調べても見つからず。
おそらく店じまいしたのでしょうね。
代わりに世界で一番有名になった魚民に行こうかと考えたのですが、疲れていてその気になれませんでした。
酒菜亭があったかもしれないあたりの焼き鳥屋でテイクアウトし、駅南のローソンで発泡酒を買って、ホテルで済ませました。
図らずも■03のように。

■29 30日目 厚東川の小野田線鉄橋附近(妻崎開作) 二人の歩く土手 1h35m30s

ロケ地探訪とは関係なく映画への感想を書いてしまいます
が、ここに多重人格や乖離のような描写が差し挟まれている点には、時代を感じます。
90年代特に後半の多重人格ブームって、どっぷり浸っていた者にとっては当然のように感じてしまいますが、四半世紀経って捉え直そうとしてみたら、ひどく稚拙な流行でしかなかったような、ある種の気恥ずかしささえ覚えます。
神経伝達物質の機序がまったく判然としていなかったフロイト当時まで遡って叩くほどに、憎んではいません。
むしろフロイトから始まるサイコセラピーは、その当時極力可能な対症療法を行ったという点で、医療としても一定程度の意義がある。
ナラティヴ・セラピーとして発展する基礎を作ったという意義もある。
要は人の心って、半分は科学的に説明できるけれど、半分は物語的にしか解釈できないから、薬も使いつつ認知も変えていこうという「穏当な」精神医療に、現在落ち着いているわけですが、
その過程で「踊らされた当事者」が無数にいたことが問題だと思うのです。
本気でフロイトの理論を信じて精神分析に多額の金を投じたのに、収まったかと思ったヒステリーが別の形で現出したとか、
フロイトなんて詐欺師よ患者は薬漬けにするのが正義よ、としか考えられない極端な医師を生み出した、とか。
罪深いのは、俗流解釈の精神分析や、ヒットした映画に取り上げられた深層心理学程度の理解で人の心がわかったつもりになって、事件が起こるたびにやいのやいのする一般人や、取材で応える「識者」とか。
ブームは罪になって後世にへばりついていると思います。

■30 30日目 大和中央店屋上(中央町) 空調機前での3人の会話 1h37m

ここも2007年に閉店してしまったのだとか。


■31 30日目 太陽家具の旧社員寮(中央町) 自転車の男の部屋 1h39m

この絵面の説得力よ。
本当にこういう部屋があって、そこそこ粗暴・そこそこ親切な男が住んでいいそう。
時々連れ込んでいた女が死んで、その妹がまあいい感じと思ったら、地雷だったという経緯があるわけですが、そんな姉妹が入り浸るのにぴったりな部屋だと思うのです。
ベッドなどなく床に布団直置き、ギターが数本あるけどストラトキャスター、レスポール、フライングVと音色別なのでインテリアではあるまい、地元の仲間とバンドを組んで一旗上げたいと夢想しつつライブハウスでも扱いは下のほう、壁の掲示物や衣服から立ち昇る饐えた匂い、儘ならない苛立ち……。

■32 30日目 路地(中央町) 包帯を解いていく彼女 1h42m50s

夢から醒める(二重人格という夢想)索漠とした感じ。

★おまけ(庵野秀明の油絵)

とあるサイトを参考にして訊ねてみました。

心の故郷だとか原風景だとか改めて言えば陳腐になりそうなのですが、
親の庇護下にあった少年期や思春期って、後から振り返れば、歳を重ねれば重ねるほど、実態か事実から離れてファンタジックに塗り替えられていくものだと思うのです。
小学生以前の全能感、中高生の挫折や、それでも残る自分って天賦の才があるんじゃないかという夢想が、概ね蹴散らされるのが思春期に続く初期青年期。
乳児期、幼児期、児童期、思春期、青年期と続く発達の過程をほとんど過ごした故郷が、愛憎の対象にならないわけがないと、考えます。
「青春ゾンビ」という言葉がありますが、罪深い概念ですね。

で、おまけのおまけ。

昭和型化石企業に勤める営業マンにとって、スポーツとかクルマとかは客との最も一般的な話題。
その風潮に頑張ってもいまひとつ馴染めなかったのですが、なんとかついていけそうだなと発見したのは、ラーメンという話題でした。
が、熊本の玉名あたりでお客さんに勧められた濃厚豚骨焦がしにんにくで胃もたれしたのをきっかけに、自分の味覚や胃の受け付け方が変わって、戸惑ったものです。
25歳頃にパニック発作を起こして以来、10年以上右往左往したのですが、濃い味の食生活と酒と腹具合と排便とが繋がっていると体験的に理解できたのが30オーバーで、今も毎日お腹の様子と飲みたさの狭間で慄いているのです、が。
「式日」ロケ地探訪を始めたのは午前9時ごろ。起きてローソンのチョコパンを食べてから。
水分補給には気を付けてはいたが、「一久」に着いたのは13時30分くらいか、4時間くらいひたすら歩いた後のラーメンは、懸念をゆうに超えてマジで美味かったです。

★まとめ

結局行けたり雰囲気を味わえたりしたのは、■01,■03,■05,■06,■09,■10,■11,■14,■15,■20,■23,■25,■26、くらい。
半日でこれだけ廻れたので、一日かけて本気で回れば、全ロケ地を廻れそうです。

「ふしぎの海のナディア」展

宇部新川駅からバスで15分程度。
常盤公園は「式日」ロケ地■20ですが、俄か雨、傘なし、汗が引いて寒気、腹痛、といった悪コンディションゆえ、断念しました。
そのぶんゆっくり「ナディア」展を廻った感想として一番印象的だったのは、総監督庵野が何度も「エレクトラはどうするか?」とメモしていたことです。
企画書、制作開始、当時の制作状況、に合わせて、当初のストーリーの全体像、制作状況に応じた残り全体像など、摸索しているメモが多く残されていましたが、エレクトラに関する態度保留が目につきました。
ナディア・ジャン・グランディス・サンソン・ハンソン・マリーといった、こういう状況に置けばこう動くだろうと考えやすいキャラクターが、まず存在します。
またネモやガーゴイルのような中年男性はストーリーの要請(いわば大きな物語)に従うので、わかりやすい。
対して、エレクトラ、「エヴァ」でいえばミサト、リツコ、「式日」の彼女といった、物語内で容易に想像はできないキャラクターを敢えて配置して、ある程度アドリブ的に共同制作したのではいか、と思います。
想定内と想定外を設定することが機動力になる……従来のアニメは監督の想定内で作られていましたが、テレビ版の時点で、庵野は声優に意見を求めて共同制作しようというニュアンスもありました。
邪推するに、声優にちょっかいかけたいという疼きがあって、それを正当化するためにエヴァ劇場版には実写パート入れますリアルな現代女性描きます宮村優子が中心です、とした。
しかし実際撮ってみたらいまひとつ。
特典映像に入れればよかろう。
という、邪推です。
要は、ちょっと理解の及ばない異性を想定することが、物語の推進力になっているのではないか、作り手も最初から理想的な答えを知っているわけではなく、敢えてスッキリしない何かしらを想定することでケツに火を点けているのではないかと、思った次第です。

最後に。
長ーい記事をお読みいただき、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?